私はお墓に興味がありませんでした。
夫は子供に迷惑をかけないようにと、二十数年前お墓を買いました。すごく合理的なイージーオーダーで安上がりだったのに、 家紋の代わりに彫って貰った蓮の蕾の家紋風デザインが、何とも素晴らしかったので、興味の薄かった私も、大満足でした。
まあ息子や孫の代は---その後がどうなろうとどうでもいいです。お寺の檀家ではないし、50年後の権利がどうなっても、構うことはありません。土着の人間ではないから、子孫がどこに住むかわからないし、無縁墓になっても、あの世で悲しみはしないと思います。
お墓って遺族のものですよね。遺族の安らぎになれば良いのです。
そんな現実派の私ですが、以前遠くまで散歩出来た頃、素敵なお寺に立ち寄ったことがありました。表に素敵な言葉が表示されていました。
崖地の墓地を通り抜けて、下の道に出ようとした時、墓石につまづきそうになりました。石段の途中に6基程の古い墓石とお地蔵様や観音様が放り出してありました。その置き方が何とも邪険な感じだったのです。
無縁墓を片付けて、跡地を売るため取外したものを、ちゃんと一角に纏めて祀るにしても、それまでの置き方にもう少し情味があっても良いのではないかと、不快感を覚えました。
もう跡継ぎはいないのだから、どこへ片付けようとお寺の勝手ですか?蹴飛ばすような場所に、お地蔵さんを転がして置いて良いのでしょうか?
それっきり、そのお寺には行かなくなりました。
今回の被災地では、倒れたり流されたり、埋ってしまったり、回復困難なお墓が多いですね。
石屋さんも手が回らないと聞きます。
そんな中で、あるお寺では津波の泥の中から墓石やお地蔵さんを一つ一つ見つけ出してくださったそうです。でもそれを全部くっつけて山にして、無縁墓のようなスタイルで祀ってしまわれたのですね。
檀家は墓石を見つけても取り出せなくなってしまいました。全部くっつけてしまったから、上から見てもどれだか分からない。たまたま文字面が見えても、元の場所に建てる事は叶いません。
檀家は悲しかったと思いますよ。見つけ出していただいたことは感謝するけど、でも悲しいなあ。何で待って上げられなかったのかしら?
未曾有の災害なんだから、そんなことでまで悲しませてはいけなかったんじゃいないの?
お墓なんてどうでも良いと思いながら、人様のお墓の有様が、悲しくてならない私です。