何!? この数字??? アクセス数はほぼいつも通りの422だけど、来訪者数は、335!!
何で昨日だけ、来訪者が百名も増えたの?
「厄日」という言葉で検索かけた人が、どれほど多かったかということでしょうね。
厄日ってマイナスイメージですね。何かしら不安や不満を抱えた人たちが、ヒントを探してネットサーフィン?
なれば、81年生きた婆ちゃんとして、一言書くかな。
人生、行き止まりのトンネルはなかったわ。止まない雨もなかったし。ちょっとしたしんどいことなら、大抵は2ヶ月位でやや落ち着くでしょ。
どうも思うようにいかない、憂鬱な日々も、2年過ぎれば変化が出てくる。
どうしてこうも不運なんだろうって、嘆く暮らしも普通は20年で終わるね。例えば、20年貧乏暮らしをすれば、真面目に努力している限り、生きる知恵は身につきますよね。そこで暮らしは楽しくなり始める。
心がけばかりは自己責任よね。人間、自分の信じる通りの人生になってゆくものだわ。
「今はきつすぎるけど、やがて楽しい日が訪れる筈よ」って信じる人には、本当に楽しい人生が訪れる。
「なんで私ばかりこんな苦労をしなきゃならないのよ。お先真っ暗だわ」なんて思う人は、トンネルの出口を見つけるチャンスを失う。
浮かぶも沈むも、心がけ次第。でもいくらポジティブに考えてもどうにもならない---例えば、災害や、病気なんてのもありますね。
それでも、耐えられない試練はないはず だといわれていますね。
何かあった時私は、これは真っ向から戦うべき困難か?戦うのは無理で、折り合いを付けながら辛抱して行くべき時期なのか、判断するのも自己責任だなあとおもいます。
まあ、20年以上続くどん底は無い筈なんで、生きてさえいれば、良いことはありますよ。いいえ、良いことは、呼び寄せなきゃいけないかも。きっと良いことあるだろうって、信じていれば、向こうから良いことはやってきます。婆ちゃんはそう思ってます。
厄日があったら「今日でお終い」と思って寝る。それでも翌日もまた厄日だったら、また、これでおしまいと思う。そうしていれば、厄日は早めに終わる。終わったら「ああ,厄落としが済んだ」と喜ぶ。
泣きたい日は思いっきり泣いて、悲しみを洗い流す。「生きてるだけで、めっけもの」と自分に言い聞かす。
夫婦喧嘩をしたら、「相手を選んだ自分の責任」と割り切る。連れ合いに、一つ以上の注文をつけない。たった一つの条件を満たしているうちは、他の点には目を瞑る。その一つの条件が、満たされなくなったら、別れてもいいと思う。
生かされている間は、真剣に生きようと思うこの頃です。
やりたいことがある人生は楽しいですからね。欲を忘れちゃあいけません。
ああ、もっと昔話を覚えたい。語る場を増やしたい。
誰かさん、この語り手婆ちゃんを呼んで下さい。出演料ただですから。聴き手が2~3人でも、3000人でも構いませんよ。