お銈さんの記憶は正確でした!
96歳の遺言電子絵本化プロジェクトのメンバーが、次の記事を、見つけて下さいました。
関東大震災当日、浅草寺境内に避難した、おけいさん一家が見た、
花やしきの象の写真がここに載っています。
花屋敷の仔象(と言っても大きい)を、火の中から引っ張り出して、浅草寺五重塔の所に繋いでいたのは、花屋敷の園丁(飼育員)福井酉蔵という人でした。
大きい方の象は救出出来ず、焼け死んでしまったし、虎など猛獣たちは銃殺した。でも、火の迫る中、子供の象だけは必死で引っ張り出したのでした。
花やしきは、昭和10年迄、動物園のある遊園地だったのですね。
浅草寺本堂などが、大火災から守られた記録が
こちらで見られます。子象を救出した話も詳しく載っています。
8月に「96歳の遺言」を掲載した時、大震災前から、花やしきには象が2頭居た事を全く知らず、大震災後に、上野動物園で殺処分を命じられていた暴れ象を、花やしきが引き取って助けた話に惑わされ、大震災当日浅草寺に象が居たとは思えないむねの、但し書きを添えてしまいましたが、花屋敷は今より遥かに広くて、 猛獣もいる動物園だったことを知りました。
大震災で大半の動物は死なせたし、大きい象も焼け死んだけれど、福井さんは、かなりの動物を、穴倉にいれたりして、助けたそうです。
お銈さんの記憶は正確でした!!
ただ、もう一つ気になること、私の聞き違いかも知れないのです。
おけいさんは、「赤羽工兵隊の兵隊さんが、荒川に船を並べて板を渡し、仮設の橋にして、避難民を通してくれた」と語ったのですが、彼女自身がそれを見たとも渡ったとも言われなかったのに、避難する際川を渡ったものと思って、彼女の避難した道に、荒川はないので、勝手に変だなと思ってしまっていました。
赤羽に工兵隊があって、関東大震災では、避難路を確保するため、橋をかけたりして大活躍したのは事実です。
おけいさんは、それを見たわけではないけど知っていたのですね。
それで、関東大震災当日の、おけいさん一家が避難した話は、書き換えなければならなくなりました。
それともう一つ、聞いたのに書き漏らしたこともあります。日暮里に行く途中、倒壊していない、焼けていない街並みがあって、そこの人たちが、避難民におにぎりを配っていたそうです。おけいさん一家五人も、5つのおにぎりを貰ったのでした。
川を渡った部分を削除して、おにぎりの話を加えます。
ちゃんと書き直したら、もう一度、ブログに全文をアップします。
本当のことが分かって良かったです。
記事を見つけて下さって有難うございました。
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