夕べはちょっと夜なべをして、96歳の遺言に手を加えました。
私たちの勘違いで、よけいなことを書き足していた象の話も書き直しました。
おけいさんの6歳の時の記憶は正確で、関東大震災のとき、浅草観音の本堂と五重の塔は、周辺住民の協力で、延焼を免れており、境内には避難民があふれていたのでした。
そこへ、近くの遊園地花屋敷の園丁(動物の飼育係)のおじさんが一人で仔象を救出してきたのでした。
子供でも象は大きいから、お母さんは危険を感じてそこを離れたのでした。結果的にはその素早い行動が、列車に座って避難できる結果をもたらしました。象が来てよかったのですね。
日暮里駅に行く途中、全く焼けていない街が有ったと、おけいさんは言っていました。瓦が落ちたぐらいで、家は潰れていない地域が有ったと。そこの人達が、おにぎりを作って、避難する人々に配っていたと。
麻布にもそういう町が有って、うろ覚えでは市兵衛町と言ったような?1丁目と2丁目があって、どちらかは丸焼けになったが、父が住んでいた台地の上は揺れが少なく、家屋の被害が小さかったと兄に聞きました。
父は震災当日鎌倉の家に居て、歩いて麻布に着いてから、炊き出しを始めたそうです。たまたまお米を沢山買いこんだ直後だったので、個人でおにぎりを配ったと言っていました。
避難民が押し寄せた関東各地の駅前でも、おにぎりを配ったそうです。
そんな情報も見つけて頂いたので、いろいろ書き足しました。
夢中になって書いていたら、真夜中を過ぎていました。
今、「96歳の遺言 電子絵本化プロジェクトチーム」の、文章のプロ達に、読んでもらって居ます。
最終原稿を確認したら、お正月、元日のブログに載せ直したいと思っています。
3月には、無料配信の絵本が完成します。
木村さんは、最後の絵を描いているところだそうです。素敵な絵ですよ。
木村さんはギリギリのところで、おけいさんに会えましたから、彼女の描くおけいさんのお顔はよく似ています。ここに
木村さんの絵が数枚掲載されています。関東大震災の東京から脱出する部分です。
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