自分のブログがどの程度読んで頂けているか、以前は知りませんでした。毎日確認できると知ったのは近年のことですが、「96歳の遺言」発表当初、毎日5〜6百人の来訪が有りびっくりしました。
ツイッターやFacebookを私はやっていないのに、どなたか知らない方々が、わーっと拡散してくださったお陰で、1万人以上に読んで頂けました。
今も「96歳の遺言」を検索して読みに来てくださる方が毎日有ります。ありがたい事です。
「96歳の遺言 電子絵本」は20日 配信開始予定です。自分が書き上げた文章が、プロの手で絵本になるなんて、想像も出来ないことでした。ワクワクします。
このブログ、最近は1日300人前後の方が訪問してくださり、アクセス数は5〜600位です。
一番読まれる記事が毎日同じで
「ヒロポン飲んで 子供が防空壕を掘った話」なのです。
ヒロポンで検索して見つけてくださるのでしょう。
70年以上前に、私が、国の命令で防空壕を掘る時に、軍需工場で配られていた覚せい剤「ヒロポン」の錠剤を二粒飲んで一気に掘ってしまった話ですが、私は、むしろ防空壕に入れという馬鹿げた命令が、多くの人を死なせたと言いたかったのです。
床下に作った防空壕に入っていたら、家とともに蒸し焼きになります。焼夷弾火災からはひたすら逃げるしか無いのに、逃げられない穴の中に居ろと、国は命令していました。
私は防空壕は掘らされたけれど、ただの一度も入りませんでした。子供心に、命令がおかしいと思っていたからです。あの頃、命令に逆らう人は少なかったでしょうけれど、私は、庭で空を睨んでいました。
山の防空壕なら私も入ったでしょう、工業地帯で、爆弾も落ちてくるなら、私だって穴に潜りました。
でも、焼夷弾しか落ちてこない住宅密集地では、穴にもぐる程危険なことは有りませんでした。
焼夷弾は爆風を起こさず、油火災を起こすからです。頭の上で燃え出したら逃げ道が有りません。
同級生一家は防空壕の中で、お父さんが不発弾の直撃で亡くなりました。不発でなかったら一家全滅だったはずです。西へ3分逃げ走っていたら無事だったのに。
昔の記事を思い出していました。
8日以来体調が悪くて、半日しか動けません。午前中買い物をすると、午後は寝てしまいます。
でも、語りのお約束があれば、その時だけ元気に出かけます。楽しみだからです。
流石に都内に出かける元気は有りません。こんなことは初めてです。
都内にお誘い頂いて、断ったことなど今までに有りませんでした。ちょっと困ったことになっていますが、明後日には、語りを4話程頼まれていますし、20日には、「96歳の遺言電子絵本」が無料配信開始になります。
これでぐっと元気が出るはずです。
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