一昨日のSEALDsの、奥田愛基 君も、関西から駆けつけた 寺田ともかさんも、良いスピーチしますね。素敵素敵! 他にも大勢マイクを握って語りかけていたようですね。
彼らが次にこの国を動かす。そこに希望が見えてきました。
原稿棒読みの政治家どもは顔色なしでしょう。
若者は、本当に今思うことを淀みなく語れる。嘘がないから清々しい。
それから学者として参加した精神科医の香山リカ先生の、スピーチを貼り付けます。
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今日は学者の会から来たので、ちょっと私の専門の精神医学の話を少しだけします。これはですね、今年6月に日本の精神科医が8000人ぐらい集まって行われた、日本精神神経学会というすごく大きな学会で行われたパネル展のパンフレットです。
【パネル展パンフレット「ナチ時代の患者と障害者たち」】
http://www.dgppn.de/fileadmin/user_upload/_medien/images/
Psych_im_Nat/Wanderausstellung/Broschuere_Japan_2015.pdf
どんなパネル展かと言いますと、これはですね、ドイツの精神医学会が行なったパネル展なんすが、そのタイトルが「ナチ時代の患者と障害者達」というパネル展なんです。
で、みなさんにはあまり知られていないんですが、ナチスはユダヤ人を虐殺する前に、精神障害者や知的障害者、20万人を社会のお荷物と考えて、ガス室送りにして、虐殺をしました。
しかし、その後、誰もそのことについて、責任をとったり、謝罪をしたりしようとしなかったんです。
それが、2010年に、すごく大きな出来事が起きました。それは、初めてドイツの精神神経科医たちが、自分たちがナチス時代に加担してしまった、精神障害者たちの虐殺の責任をとって、その犠牲者や遺族のための追悼式典を、3000人ももの医師が集まって行うという集会をして、それから、これから自分たちは、反省と検証を始めるんだと約束をし、このパネル展もその一環として行われたんです。
ここには、自分たちのおこなったおぞましい過去、患者たちを集めた写真、それから、その患者たちをガス室に送った時のバスの写真なども載っています。
おそらく、もしかしてこれを見て、今、これはとても自虐的な、自分たちがおこなった、しかも自分たち本人ではない、もう親や祖父の世代がおこなったことを、今頃認めて謝る必要はないと思う人もいるかもしれません。
しかし、その会場では多くの精神科医たちが、本当に真剣な表情でこのパネル展を見て、そして別に500年前でも、1000年前でもない、わずか80年ほど前に、自分たちと同じ精神科医たちが、皆「これが社会の健全化の役に立つ」というふうに考えて、患者たちを安楽死、虐殺してしまったということが起きうるんだということをですね、皆本当に真剣な表情で受け取っていました。
この度、安倍首相は戦後70年の談話ということで、もう孫や自分たちの子どもや孫の世代に、謝罪する宿命を背負わせることはできないと言いました。
この談話がある一部の人達には、未来志向だと言われて、非常に受けが良かったようですが、そうでしょうか?
私たちが謝罪をしなくてもよいということは、つまり、過去をもう忘れてもいい、過去を見なくてもいいということです。
これは、決して未来志向ではない。私たちは過去に何をやってしまったのか、あるいは、またそのことをまた繰り返してしまう危険性はないのかということを、きちんと目を向けて、それを反省すべき点は反省し、どうすれば再びそういう道に踏み出さないのかを考え続けないと、本当の意味で、私たちがこういう戦いや虐殺を自分たちから避けることはできないんだと思います。
それを、なぜ安倍首相たちはできないのか。なぜできないのか。
私は、それは恐いんだと思います。
自分の中に非常に不安がある。 自分たちが間違ったことをした過去があるとういことを認めるのも恐いし、これからもしかしたら間違ったことをしてしまうかもしれないとういことを認めるのも恐い。
人間、これは精神医学的に、恐い、不安、恐怖があると、それを打ち消すために、反動形成といって、逆の強がりの態度をとってしまう。 これは、非常によく知られていることですね。
こういう態度をとって、今はなにか威張ったり、人をバカにしたり、微笑みを浮かべたような態度を取ることで、自分の中にある、もしかしたら、恐怖や不安や脅えと戦っているのかもしれない。そういう状況までに追い込んだのは、ひとつは皆さんたちの闘いのおかげなんだと思います。
で、私は、皆さんは本当は勝っているんだと思います。彼をここまで追い込むことができた。世の中に、今迄なかったこんなうねりを作ることができた。もう、既に実際は勝っている。あとは、それをどういう形で押し付けるのかという、今ここまできているのだと思います。
私は本当に心から、皆さんたちのこの一連の若い人たち、SEALDsを中心とした、若い人たちのこの動きを評価し、そして、一緒に連帯できることを本当に嬉しく思いますし、そして、これが必ず目に見える形の勝利に結びつくことを確信しています。
明日、私のいる立教大学と、そして上智大学で連帯が行われます。午後6時から神谷町にある聖アンデレ教会というところで、「私たちはなぜ安保法案に反対するのか?――立教・上智有志からの発信」という、そういう集会が開かれ、上智、立教だけでなく多くの学校から教員も、あるいは学生や卒業生も参加して、スピーチをすることになっています。
こんなことは本当に今までなかった。大学同士はお互いに受験生の数を競い合い、あるいは大学のランキングを競い合い、ライバル、競争相手として、相手をともすれば蹴落とすといようなことばっかりを考えていた。
それが今こうやって手を取り合って、一緒に一つのことをやろうという動きができてきた。
それを作ってくれたのも皆さんたちです。
本当にそういう意味で私たち大学人を目覚めさせてくれた、皆さんたち、学生さんたちには、本当に感謝しています。http://blogs.yahoo.co.jp/honjyofag/65790466.html より。
昨日のお昼に近所の買い物から帰ったとき、突然の異様な腹痛!?なんの予兆もなしにあまりにも突然なのでびっくり。
いつもの感染症が、いつもと違う急激な起こり方をしたようだった。免疫落ちていたからか? 用意の薬が効き始めるまでの5時間ほど特にしんどい思いをした。
歩きたくないし、一週間分以上の薬のストックがあるから、昨日は受診しなかった。
クラビット500が夜までには効き目を現したけれど、お風呂は遠慮。こういう日のシャワーの気持ち良いこと。
35歳の時酷い腎盂腎炎をやったあと、7年間に膀胱炎を20回ぐらい繰り返し、42歳ごろ、抗生物質ではない薬を、治ってからも2ヶ月近く続けたら、以後30年間一度も起きなかった。
70代でまた始まってしまったけれど、30年前良く効いた薬が何であったのか、医師に訊いてもわからない。
今処方されるのは抗生物質ばかり。なんか納得がいかないのだけれど。とにかく治まらせないとしんどいから、ストックしておいて飲む。今は良く効くけれどいずれ効かなくなったりするのでは?
寝る前にスポーツドリンクを500ml 用意しておき、3回起きた間に全部飲み干した。なるべく水分を摂る。
目覚めてもすぐ又眠れるので朝の目覚めは意外にすっきり。急激に来て突然治る?
気づいたら目の爛れがすっかり治っていた。これは気分が良い。
まあ、7日が受診日だけど、明日主治医に診てもらうようにして、それまで手持ちの薬で治して置こう。
それにしても、40年前の特効薬、なぜ今無いのだろう。
さあ、少しやる気が出たので、防災グッズの追加注文をしておこう。
南関東に近々地震があるかもと言われているし、今朝も揺れたから。
[追記]
常備している「OS1」(経口補水液)を常温でごくり。久々に飲んだらずい分塩鹹く感じた。
こんなにしょっぱいのが良いのならと、緑茶を淹れ直して梅干しを入れた。
とにかく今日はなんでも飲めるだけ飲む。水分が薬なんだから。
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