遊工房さんのご主人のご先祖が、藤田東湖の掛け軸を大事にしておられ、何か繋がりがあったのかも、筑波山に挙兵した、天狗党とも関係があったかなあと書いておられたので、コメントを書いてきました。
ご先祖たちの、幕末という時代は、尊王攘夷派と、佐幕派の対立だけで無い、複雑な対立の時代だったので、どこかで出会っていたかもしれませんね。
コメントにはこんな風に書きました。
遊工房さんのブログに書いたコメント
下の方の天狗党の話ですが、筑波山に最初に挙兵したのは、藤田東湖の四男、藤田小四郎で、23歳だったので年長者を首領に立てたけど、はじめに動いたのは小四郎です。
藤田東湖は父幽谷の代からの水戸学(尊皇)の思想家で政治家。水戸藩主斉昭に重用され、斉昭とともに失脚、斉昭とともに復活を遂げますが、江戸の大地震で、母親を助けて、自分は圧死したそうです。筑波山事件より9年前に死んでいます。
元治元年、藤田小四郎が、筑波山に同士を集めた時、17歳のウチの祖父は19歳の兄と馳せ参じたのかも?
もう少し分かることがあったら面白いのに。
藤田東湖は、小野篁の子孫だという説があるとか???真偽のほどは分かりませんが、小野篁って、私の大好きな人物です。
だってとっても面白いんですもの。
昼間は朝廷に仕え夜は、井戸から地底の閻魔の庁に出勤し、閻魔様の補佐をしていたなんて伝説が出来る人。普通じゃ無いでしょ。
遣唐使副使として、二度出港したものの、正使の船が難破しては戻った。
三度目に出港する時、正使が、壊れなかった篁の船を取り上げ、難破した船と取り替えたため、家にこもってサボタージュ。唐に行かなかった。
天皇に怒られて、隠岐に島流しされる時、
「わだのはら八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよあまの釣り船」と歌った。なんか力強いですね。きっと帰ってきてやると思っていた感じ。
欲のない人で、お金は人にやってしまって、貧しかったといいますが、私はスパイを大勢抱えていたのだと思うのです。
みんながたまげるような事を度々すっぱ抜いたのは、千里眼ではなく、諜報活動に長けていたからではないでしょうか?
たった1年2ヶ月で、島流しから呼び戻されて、朝廷に重用されたのは、水面下で何かが活動していたのでは?
謎が多くて素っ頓狂な伝説を生んだ、不思議な人小野篁、大好きです。
幕末には何の関係もない方に話が逸れました。
私はどっちにも興味津々なのです。