今日3月10日は東京大空襲の日から満61年になります。下町が火の海だった日です。十万の非戦闘員が殺されました。逃げ場を与えない絨毯爆撃、非人道的なやり方でした。つまりは人道的な戦争なんて有りえないという事ですね。
3月10日未明の空襲のやり方は、一人残らず殺せと言うあのナチスの「ゲルニカ」爆撃を踏襲したものでした。
スペイン内戦のときファシスト フランコの要請を受け、1937年4月26日、ヒットラーが皆殺し爆撃のテストをしたと言うスペイン北部の小さな町ゲルニカ。爆弾、焼夷弾、機銃掃射の順で、女子供も一人残らず殺せと言う作戦でした。
ピカソが怒りを込めて描いた「ゲルニカ」、そして当時アメリカも非戦闘員の殺戮は違法だと非難しています。それなのにそのアメリカも後にはゲルニカ爆撃のやり方を真似し始めたのです。それは今でも続けられていますね。
あの頃、私は山の手の目黒に住んでいて、下町の空の赤さを見ました。4月か5月の山の手の空襲では、火に追われる前に煙に追い立てられて逃げましたが、風下でも逃げ道は充分あったし、大火災によって風向きが逆転して家も助かりました。絨毯爆撃のはずれだったから生き延びたし、直接死者を見ることもありませんでした。
3月10日の空襲は、犠牲者の数と焦土となった面積において山の手空襲の比ではなかったのです。
61年たった慰霊の日、涙雨が降っています。慰霊祭に参加の皆さんは冷たくて大変でしょう。遺族も年をとりましたし。
私は家で平和を祈らせていただきます。
東京大空襲参照。
昨日役所に行った時、練馬の大鳥神社に寄って見ました。秋のお祭はなかなか盛んなお宮さんですが、普段はビルの谷間にひっそりと、とても小さく見えました。
境内になにやら菩薩様も祀られていました。
千社札がたくさん貼られていて、それぞれのデザインが楽しいです。