どうも風邪を引いたようです。午前中、スニーカー履いて、スポーツドリンク持って買い物に行ったのに、サーキットトレーニングの前は素通りしました。運動したらまずいという感じだったから。軽い頭痛です。でもこんなときお医者さんの薬を貰うとなぜか効かないんです。このごろは或るごく普通の綜合感冒薬を1日飲むと治ります。昔は即座に医院に行っていましたが、普通の風邪薬の方が効く場合が多いので、始めの1日は様子を見ることにしました。肩こりも始まったけど、今日のブログは書きたいんだなあ・・・ブログ中毒かしら?
昨日また、作家の真尾悦子さんと電話で長々しゃべりました。
兄の講演会に若い方がたくさん来てくださった話をしたら、大変喜んでくださいました。真尾さんも若い方がしっかり歴史を勉強して欲しいと言われます。
沖縄のおばあさん達から度々電話があるそうで、先日或る方が怒って話されたのは、観光に来た女子大生が「え?戦争したの? で、どっち勝ったの?」と言ったのですって。「小学生じゃあなくて、大学生なんだよ!」と呆れ返っておられたそうです。
真尾さんは昭和53年から沖縄へ取材に通われました。真尾さん自身、4歳の時から小児麻痺で、ちゃんとは歩けないし、極貧時代の経験もあるから、沖縄の貧しい女性方も、だんだんに受け入れてくださったようで、その後は親友になりました。
沖縄の苦難は戦争中だけではなかった。米軍占領下でも色々な目に遭い、本土復帰後も貧しさはつきまといました。戦後何十年も経っているのに有名な市場のすぐ裏からはバラックが並んでいたそうです。掘っ立て小屋のようなところに住む女性は、仏壇もなく、ただの棚に祀っている小さな位牌を指して、「日本軍の将校が、軍刀を突きつけて『子供を殺せ。殺さなければお前を殺す』って言うんだよ。人間は弱いもんだね。泣く泣く泥水につけて我が子を殺したんだ」と涙ながらに語ったそうです。
米軍が制圧した直後、生き延びた女性が米軍から貰った食料を食べていたら、潜んでいた日本軍の男に「お前はスパイだ」と言って撃ち殺されてしまったそうです。戦が終わっても犠牲者は出ていました。
当時出版された「いくさ世を生きて」と言う本が今、電子図書になって売られています。是非読んでいただきたい本です。
検索は、 電子図書パブリ・・・筑摩書房・・・いくさ世を生きて・・・で、630円です。
単行本と文庫本は絶版ですが、数多く出版された為、古本のスーパー源氏で検索すれば買えると思います。
真尾さんはその後も何度か沖縄に行かれました。あるときタクシーに乗ったら運転手さんが『今日は気分悪いから仕事はこれで終わりにする』と言うので理由を聞くと『さっき新婚カップルを姫百合の塔に連れて行ったんです。シャッター押してと言うから撮ってやったが、塔の前の柵に腰掛けて、足をぶらんぶらんさせながらきゃっきゃと笑っているんだ』・・・内地の若者は、姫百合の塔をただの観光スポットとしか思っていないのですね。
61年まえ、何の良いこともないまま、飢えと艦砲にさいなまれて死んでいった人々は今の沖縄をどう見ているのでしょうか。歴史に無関心な若者達は、暗い記憶を持つ老人達の感情を逆なですることが多いようです。
桜も桜草も咲きました。