(アルバイト日記・・・No,3 表紙は『地理』と書いてあります。女学校でノートは用意したものの授業は無くて、工場の焼け跡整理にかり出された時の残りです。戦時中からこんなにも酷い紙を使っていたのでした)
昭和23年12月20日(月) 今日は午後Y君I君たち、祐天寺駅前に売りに来ると言っていた。お正月も近いので午前中パーマをかける。
生まれて初めてのパーマネント。器具が非常に重い。薬で濡らした髪を巻いたカーラーに一つずつ小さい電熱器を被せてゆく。(電髪という初期のパーマ)長い縦ロールにして貰うつもりだったが、かけたてで縦ロールにすると,細くなって地味すぎると言われ、内巻きで我慢する。(ドライヤーが無い時代。濡れたままセットする)内巻きは気に食わないと思ったが案外似合う。
駅に行ってみたが、Y君たち居ない。待ってみたがとうとう来なかった。
12月21日(火)雨 赤ん坊のよっちゃん(一番下の甥)中耳炎の手術。姉さんはそのあと歯医者。一年生のM君の文化祭に行ってくれと頼まれる。S子(5歳)を連れて小学校に行く。会場の空気が悪すぎて頭が痛くなる。1年生の出し物は早く終わった。外に出たら雨は止んでいた、仕事に行けばよかったと思っていたら夜又雨。
12月22日 (水)今日こそ売らなければと意気込んでゆく。Y君に「なんで一昨日来なかったの」といったら「ああ、あの日はやめたあ」と平気な顔、I君の後を追って急いで出て行ってしまった。私はK子さんとノートと飴を持って船橋に行こうと新小岩まで出たら、預かり所に台が無い。みんながノートと飴に台を二つずつ持っていったからだ。電話して自転車で予備の台を届けてもらう。一つしかない。船橋で一つの台にノートと飴を載せて売ったので、ろくに売れなかった。新小岩についたとき、これから連盟に帰ったらバスがなくなる時間だった。台が四つ戻っていたから、Y君たち戻ったのかと電話してみる。他の人が戻ったのだった.K子さんがうっかり電話を切ってしまったので,H君に自転車で清算しに来て欲しいというのを忘れ、どうしても帰らなければならなくなってしまう。(公衆電話は長い行列だから、すぐ掛け直すわけにもいかなかった)
7時過ぎ帰りの終バスは行ってしまった。(当時は終バスが早かった)Y君たちから電話が入れば,H君が新小岩に清算に行くから、自転車に乗せていってくれると言う。K子さんが頼んでくれたのだが、お断りしてK子さんE君と三人で小松川橋を渡る。(K子さんには迷惑だったかも?)渋谷から(下の)兄と一緒になり、10時半帰宅。兄は明日朝早いという。寝不足になると困る。
12月23日(木)兄から「フーセンガムも売ってみたら」と何処かから預かってきたのを渡された。連盟に電話したら誰も居ないので、仕方なく小麦粉の配給をとりに行ったあと、12時半近くなってから出かけた。(配給品は指定の場所に指定の時間に行って買うことが多かった)さらし飴とガムを持って船橋へ。又籤売り農大生の隣に並ぶ。飴3本10円は高いと思う。10円売って2円の儲け。わりに早く電車賃が出てほっとしたら、4時から6時の間に千円売れた。又遅くなったのでHさんに来てもらおうと電話したが居ない。預かり所に台が二つ増えていた。バスの行列まで走っていくと、やはりY君たちだったので一緒に戻る。Y君の知り合いの貿易商が、輸出出来ない傷物の鏡を売らないかという話が有って、品物を見せてくれた。鏡の面に少し黒い傷があるがとても安い。是非紹介して欲しいと頼む。
連盟でお手洗い(トイレ)に行って戻ったら事務所の雰囲気がヘンだ。Y氏が突っ立っていて,Y君たちは下を向いている。何かあったなと帰り支度をしながら聞き耳を立てる。Y氏はみんなに「毎日来い」だとか、「熱意が足りない」だとか、ガミガミ言っている。何ぼか自分が学生達の為を思って、何十万の資本を掛けたかというようなことを恩に着せている。ノート一本でやるべきで、今売れないのは年末のセイだ、4月になれば又売れるという、当たり前だ。では売れない期間どうしろと言うのか。飴のお蔭で一息ついたのに、飴はY氏の儲けが少ないのだろうか?Y君が「でも今売れないものは売れないのですからね」と発言。Y氏の小言は彼に集中した。「君達が映画や飲食にお金を使っていることはちゃんと耳に入っている。みんなは苦学するのでなく、享楽の為に働いているようだ」と極め付けた。Y君が「しかし僕達にとって、映画は享楽じゃあありませんからね」と反論すると「いつ、わしが映画は享楽だと言った?」と怒鳴りだす。「言った」「言わない」の押し問答になった。I君がY君を突っついたので彼も他の人に遠慮して黙った。私は何とか気分を変えようと、笑いながら「遅くなるわー」というとY氏「帰りますか」と声の調子が変わった。「一人で小松川橋渡るの嫌ですよー」と笑顔で言うとI君が、「少し待っててください、すぐ終わりますから」というので、清算を手伝う。Y氏、私のパーマに気付いて「久子ちゃん、アイロン掛けたの?」私はぺろりと舌を出した。軽蔑したのだが、はにかんで舌を出したと受け取られたようだ。・・・当時髪にパーマでなくアイロン(髪をカールする電気コテ)を掛けてもカールが作れた。・・・Y君ぐずぐずして立とうとしない。帰りがけに又,Y氏が「毎日来い」とか「大勢来るようにしろ」だのくどくど言っていた。でも大学へは何時行けば良いのか???学生を呼び捨てにしたり“お前”呼ばわりしたり,Y氏にはいつも腹が立つ。
連盟に行くのが嫌になり、Y君に鏡を卸して頂けるよう紹介を頼んだ。立川で進駐軍相手に商売している会社だとのこと。明日朝彼は立川に行くそうだ。
12月24日(金)雨になりそうだったが、お金が欲しいから出かけた。K子さんを外に呼んで、夕べのY氏の話をしたら彼女もカンカンに怒った。事務所ではY氏が新発売の電気洗濯機がどうのとみんなにまくし立てていた。(初期の洗濯機で、脱水は出来ず、ローラーの絞り機がついているものだったと思う)土砂降りになってみんな諦めて帰る。K子さんはE君S君と秋葉原で降りていった。又ダンスホールかもしれない。東横に寄って福引を引いたけれど、マッチ一個だった。百匁15円のみかん200匁(約700グラム?)買ってから、2階で鏡の値段を調べた。Y君に見せてもらった40円卸し、60円売りのと同じ大きさの青くて凸凹で質の悪い鏡が130円で、やや質のよいのが160円もする。携帯ケース入りは35円と55円.Y君のほうは卸20円で25円売りだ。是非やらせてもらわなければならない。
12月25日(土) クリスマスは私には関係ないと朝は思った。腹痛で休む。明日Y君と鏡の相談が出来るかどうか、そのことばかり心配していた。夕方郵便局にアメリカの叔母さんから小包が届いたと連絡があって、居合わせた兄が自転車でとりに行ってくれた。急いで開ける。叔母さんは私のものばかり入れてくれる。レインコートが真っ先に出てきた。少し色褪せてはいるが水色のセーターはお正月に着られる。夏物衣類も色々入っていた。キャンデーがコーヒーの缶に一杯。毛のついた靴が出てきたので足を入れたら丁度良い。中は黒のハイヒールで、外はオーバーシューズだった。今日は素晴らしいクリスマスになった。中でも一番嬉しかったのが、ベージュのレインコート。Y君とおなじ色だからかなと・・・自分の気持ちがわからなくなった。(続く)
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昨日の写真の続きです。志木駅前に、小さな小さなお馬さんが2頭居ました。
セラピー犬は聞いたことがあるけど、セラピー馬は初めて見ました。育成のための募金箱に少し入れて、写真を撮らせていただきました。こちらは男の子。
こちらは女の子。
小さいでしょう。これでもオトナですって。世界最小の種類で、オーストラリア産だそうです。
ちいちゃいけど、タテガミは立派です。
優しい目をして、実におとなしくて穏やかなミニチュアホースさんでした。
病気の子供たちやお年寄りに元気を与えるお仕事、がんばってくださいね、お馬ちゃん。