政治番組を見ていると、いつも腹が立ってきます。党利党略ばかりで、国民を忘れている人が多すぎる。
一体誰に政治を託せば、日本は良くなるのでしょうか?解散があるとしても、入れたい人がいるのかしらね?
宴席に出た出ないが問題じゃなくて、裏で口利きをしているか否かが問題でしょう・・・それをはっきりさせなきゃ意味が無い。
国会延長すれば莫大な費用がかかるのでしょう。税金の無駄遣いやめて、さっさとして欲しいです。
さて、皆さんから頂いたコメントを見て、気がつきました。インフレの恐怖をどなたもご存じない。
もはや戦争も遠い昔のことでした。
少し、そこのところを書かなくちゃと思うのです。
私の父が、不況の中で突然死した昭和13年、森永ミルクキャラメルの小箱が5銭でした。
銭と言う単位ご存じないでしょう。1円の百分の一が1銭です
一円あればキャラメルの小箱が20個買えたのです。
10年後昭和23年末の日記では、菓子パン(今みたいに美味しいものではありませんよ)1個25円でした。
昭和初期には「百円取り」という言葉があって、高級サラリーマンを羨む呼び名でした。百円取りに出世することが,庶民の夢でした。
但し酷い格差社会だったから、底辺の人の暮らしは悲惨でした。底辺から這い上がるのも困難な時代でした。農村は疲弊して、娘を遊女に売らなければならない時代でも有りました。
それでも都会では、一ヶ月百円あれば家族5~6人楽に暮らせたのです。子供は多かったし、妻は家事に専念できました。サラリーマンの妻が外で働くなんて考えられない時代でした。
昭和元年に東京で、六畳四畳半と台所の平屋が、千円で建てられました。父はそれを庭に建てて(台所とトイレの部分を三畳に変更して)離れにしました。だから”千円の離れ”と私は記憶しています。
昭和13年は日中戦争のさなかです。23年は太平洋戦争にボロ負けした2年後です。戦争をはさんだ10年間に経済はめちゃくちゃになっていました。
二十分の一円で買えたキャラメル。今いくらでしょう?
父の死後、大きな屋敷を手放して小さな家を買い、残ったお金を母の分は一時払いの郵便年金に預けました。それは毎月生活費が支払われるようになっているものでした。
母は一生涯父の遺産で細々と食べてゆけるはずでした。
でもそれが一ヶ月パン一個の価値になってしまって、郵便局から通知が来ました。月々払っても仕様が無いから、わずかな金をまとめて払って、解消すると。口惜しいけど価値がなくなったのだから仕方有りませんでした。
戦時国債と言うものも有りました。強制的に買わされたようです。そんなものはただの紙切れになりました。
さて、現在のインフレがもしこのまま進行したら、お札の価値も国債の(持っていませんが)価値もどんどん目減りしてゆきます。大損するのは庶民です。
インフレの恐怖に対して、国は庶民を守るでしょうか???国の暴走で国民の命も財産も奪われた時代を経てきたし、軍隊が国民を守らなかった沖縄の記憶もあるし、年寄りは懐疑的にならざるを得ないのです。