年金特別便が届いたとき、どうせ電車賃かけるのなら、観光してこなくちゃと、駅で小江戸川越クーポンを買いました。
川越市内循環バス乗り放題がついた切符。620円でした。(これで私は890円分乗りました)
巡回バス9時50分発、乗客はたった二人。喜多院のバス停には、ボランティアガイドさんが待っていましたが、誰も降りず気の毒でした。
ここで降りたら羅漢さん見て日が暮れるので、今回は素通り。この前行かなかった博物館に行きました。
フラッシュをたかずに写真を撮っていたら、係りの人が「撮影許可証」を首に下げてくれました。
団体客が来たので説明が始まり、意外なことを覚えました。
小江戸川越蔵の街・・・と聞くと、蔵は江戸時代から有ったように思いますが、なんと明治26年の大火の後に作られた町並みなのだそうです。
大火によって街の三分の一が焼け落ちたとき、一軒だけ江戸時代の蔵造りの店が焼け残ったそうです。(現存するその店を見たかったけど、足が痛いので止めました)
新河岸川による、江戸への水運が盛んで、物資の集散地であったこの街の商家の財力は大したもの、焼け跡にどんどん蔵作りの店を建築しました。一軒作るのに一年以上かかりますが、数年で町並みは出来上がったようです。
蔵作りは総重量が大変重いので、鳶職が二重のやぐらを立て、高い位置から重い丸太を落として地固めをしたそうです。
店の中の正面の梁に、けやきの巨木を用い、お客に店の財力を誇示しました。
上棟式の供え物の中に、サツマイモと大根を並べるのは「芋を食っても、大根を食べれば胸が焼けない・・・棟が焼けない・・・という縁起担ぎだそうです。火事が一番怖いので。
間口が狭く、奥行きの長い地所だから、店の表に戸袋を作っては間口が狭くなると、板戸を何枚にも分けて、上に収納しました。とても合理的に設計されていたのです。
建築当時は江戸の蔵造りに倣って真っ黒な蔵だったそうです。江戸では黒が粋とされたので。
鬼瓦も大きい。
続く