カテゴリ:むかしむかしのバスガール( 30 )

バス車掌時代の思い出
2009年9月に「バス車掌の時代」と言う本を読んで、書いた記事が、最近も読まれて居ますので、ここに再掲載してみます。
(私は昭和26年春から9年半、東急バスの車掌をしていました)
以下は、2009年のブログ記事です。

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バス車掌の時代 正木鞆彦著 現代書館 1992年刊 を読んで驚いたこともたくさんありました。本の内容と、自分の思い出がごちゃまぜになりそうですが「むかしむかしのバスガール」を補足する意味で今日は書いてみましょう。

まず驚いたのは、路線バスの車掌と言う職業が出来たころは、洋装の職業婦人の草分けとして、あこがれの目で見られていたと言うこと、今ならさしずめ客室乗務員のような存在だったようです。 
都バスのルーツ、東京の市営バスが開業したのは大正13年。関東大震災で、電車が壊滅したため急きょバスを走らせました。はじめは車掌なしで、停留所に人が立って切符を売っていましたが、じき車掌の募集を始めました。応募してきた和服姿の女性たちは258名。採用は177名で、その中には高等女学校卒15名。裁縫女学校卒12名と当時としてはインテリも多かったそうです。
既婚者を31名も採用しているのは、信用できるからと言うことなのでしょうか?皆、夫の親と同居だから、子供の世話に問題が無かったとも言えましょう。中には夫を大学に通わせるために働くと言う妻もいたそうです。

制服が実に素晴らしい! 洋服を着たことのない彼女たち全員の寸法を計って、三越百貨店にオーダーメイドで作らせています。デザイナーはフランス人で、紺のワンピースに赤の襟をつけました。
この4年前、大正9年に東京で最初にできたバス会社は白襟だったので、それぞれ白襟嬢、赤襟嬢と世間から親しまれました。
(しかし当時から敗戦後まで、バスにはドアが無かった。車掌の立つべき場所も無い車だった。立ちっぱなし揺られどうしの車掌の仕事が、激務であったことに変わりはないでしょう)

こんなにも華やかにスタートした路線バスの車掌と言う職業が、いつから最低の地位に落とされたのか、はっきり書かれてはいません。昭和初期の大不況に続く15年戦争が暗い影を落としたことは否めないでしょう。

初期のころ、運転免許を持つ人は少なかったから、運転手の給料は高額でした。車掌は労働時間が他産業よりはるかに長いためもあって、給料は女工よりかなり良かったそうです。
オーダーメイドの制服を着た赤襟嬢には、車両清掃の仕事は無かったようです。車掌に本来業務以外の仕事がどんどん押しつけられるようになったのは何時からのことでしょうか。

昔トラックの運転手は見習い助手を徒弟として顎で使っていました。彼らがバスに転職したとき、車掌を助手並みに扱ったのだそうです。本来自分の仕事である筈の、フロントガラス拭きや、ラジエーターの水入れまで、車掌に押しつけて、自分は煙草をふかしている、それが当たり前になってしまいました。
冬季、凍結を防ぐため毎晩水を抜くラジエーターに、凍てつく朝、少女たちは遠くの水道からバケツで何回も水を運び、梯子によじのぼってやっとバスの鼻先に水を注いだのです。こぼせば自分がかぶってしまう。手がかじかんで自由が利かず、こぼすことはしばしばでした。
ただし、私の居た東急バスでは、ラジエーターの水補給は運転手の仕事でした。時々は車掌がやらなければならなかったし、それがとても大変な仕事だったので、私は毎日やらされたように思いこんでいましたが、会社は運転手の仕事と決めていたそうです。

車掌の地位が低くなったのは何時からだったのかはわかりません。私の入社した昭和26年には、ごく一部の古いタイプの運転手にこき使われるのが当たり前になっていました。生意気な私はその点使いにくかったらしく、私を避けて他の子に私用を頼んだりするのでした。
「車掌の分際で」という扱いを、無言で拒否していた私に、チャージ(金銭の着服)の誘いは一度もありませんでした。
但し運転手の半数以上は常識的な人たちで、車掌をいわれなく見下したりはしませんでした。

車掌の生活を暗いものにしたのは、一部の人間が犯すチャージ(金銭着服)と、そのために会社が全員を疑ってかかる身体検査でした。仕事が終わると必ず風呂にいれ、その間に服のすべてと私物を検査する会社もあったそうです。東急には風呂場はありませんでしたが。

人間、プライドが有れば、不正は出来ないものです。プライドを持てない状況に追い込んでおいて、すべての車掌を泥棒扱いにした労務管理は最低だったと思います。
どの会社でも、車掌は40代50代になっても車掌のままでした。私は30代まで車掌でいることに耐えられない気がして28歳で辞めました。
出世のあては全くと言っていいほどないのです。要領のいい者がごくまれに検査員に昇格する、これは破格の出世で、もう車両清掃も、乗務もしなくて良い。彼女らは不正を摘発しようと懸命になり、かつての同僚に辛く当ることになるわけです。東急ではそこまでのうわさは聞きませんでしたが、他社では、警察官さえやらないような、長時間にわたる過酷な取り調べをした事実が有るそうです。
無実の車掌を自殺に追い込んだ例は、神戸での一件だけではないようです。
私も、友人が無実の罪を着せられたとき救済に奔走しましたが、無実のまま解雇されて泣き寝入りした例も多いと思います。最低の身分だった車掌が、何をどんなに抗弁しても通らない世界でしたから。

車掌にも他の職種に出世してゆく希望が持てたなら、私もそんなに悩まなかったと思います。スキルアップのあても無く、夜学に通う時間も無く、ただ毎月の給料が必要なために働き続けているのが、なんとも虚しかった。
そこで私はボランティアに熱中したのです。プライドも生き甲斐も、そこにしか見出せなかったから。そうして辞めることしか考えないまま9年余りを過ごしました。

私が辞めた昭和35年頃から、車掌の応募者が激減したそうです。
女子の職場が増えて、身体検査のある車掌になんかならなくても、働く場所はたくさんありました。
東急ではそんな話は聞きませんが、中小会社など、それまでは身元確認を心がけていたけれど、応募者が足りないので誰でも採用するようになり、チャージも激増し、身体検査のトラブルも増えたそうです。

ある会社では、ある一つの営業所に、やくざのような運転手が揃ってしまい、片っぱしから車掌の体を奪って、言うことを聞くように仕向け、多額のチャージを要求し続けたそうです。断れば「俺と不倫していたことをばらすぞ」と脅す。当時の貞操観念は厳しかったから、そんなことがばれたら嫁に行けなくなると娘たちは恐れました。ひとりで何人もの車掌を使って給与の何倍も横領し続けた男たちが、逮捕されたのは昭和36年だったとか。
悪徳運転手の餌食にされた車掌の中には、解雇されたあと、転落の道をたどった人も居たそうです。

バスの激務は、女性の体にはよくなかった、それなのに、生理休暇をとれない会社がかなり有ったようです。
東急は週休一日の他に、月に二日の生理休暇がちゃんととれました。しかし前もって今月は何日にと申し出ておかなければならないから、その日に生理が来ることは少なかったのです。
私は会社でただ一人、正しい日に生理休暇を強引にもらっていました。「明日と明後日休ませて下さい」操車係を慌てさせても私は平然と権利を主張しました。医師の診断書を振りかざして。操車係りのおじさん達も、ちゃんと特別扱いしてくれました。
生理痛がひどかったので、子宮後屈の手術を受けて、恥ずかしがらずに理由を述べ、「本当に生理の日には、乗れないんです」と頑として譲らなかった私。我が身を守るためには、手段を選んではいられないと思ったのです。でもそんなことを主張したのは私一人だけでした。
多くの人は、「生理の日には、金銭の間違いが多くなる」とぼやいていました。その上臨検にあたろうものなら、生理ショーツの中まで調べられて、さんざんな目に遭うのでした。

不動前営業所の運転手はほとんどが所帯持ちでしたが、独身の運転手の多い会社でも、車掌との職場結婚は少なめだったと言います。それはもしかしたら運転手たちが「車掌は子供を産めない体になっているのではないか」と誤解していたからかもしれません。

この本には車掌が虐げられた話が多いので非常に暗い感じがしますが、不動前車庫は決して暗い職場ではありませんでした。百人あまりの小さな車庫で、結構家族的でした。みんなでお正月にお汁粉を作ったことも有ります。石油缶何杯もお汁粉を作って、白玉をどっさり入れて、午後から入庫するみんなに配りました。私たちは雑誌を発行していたことも有ります。

私が辞めた後のことを、45年も勤続したハルエさんに訊きますと、他社のように、車掌の仕事が無くなった時の混乱はなかったそうです。
不動前は一番早くワンマンバスの車庫に変わったため、車掌は他の営業所に転勤できました。彼女はまだワンマンにならない路線2本と一緒に目黒営業所に移動したため、今までなじんだ路線に乗務し続けることが出来ました。だんだん多くの路線がワンマン化すると、彼女は定期券売り場などに転勤した後、会社の病院の事務員になり、そこで24年も勤続できたそうです。それは、どこに行っても勤まるハルエさんの優しくて我慢強い人柄にもよるでしょう。
転勤先が男ばかりの駅などで、苦労したと言う他社の話に比べたら、たいそう恵まれていたのですね。
やがて不動前営業所自体も移転して無くなりましたが、当時を懐かしんで、最後のころ居た運転手も車掌も整備士もみんなで「不動前会」と言う会合を退職後も毎年続けてきたそうです。それも泊りがけの旅行会のようです。みんな七十代以上になり、そろそろ集まりにくくなったそうですが、もしも暗い職場だったらそんな交流が何十年も続くわけが有りませんから、とても良い職場だったのだと思います。

「バス車掌の時代」と言う本の内容を紹介するつもりが、自分たちの体験に話を広げてしまいました。
たしかに、この本に描かれているようなことも体験したけれど、ここまで暗い環境ではなかったと言いたいです。
他社のことも、自社の他の営業所の様子も全く知りませんでしたが、不動前車庫は特別良かったのかもしれません。チャージも社内では一番少なかったと聞いていますし。

ただ、私自身には、不動前車庫を懐かしむ気持ちはぜんぜん有りません。

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追記
沖縄では、台風8号が通り過ぎた後、もう一度、大雨で大被害が出ているそうですね。
九州も大変そう。遠く離れた新潟県でも大水害が起きているのですね。
被害が酷くなりませんように。明後日にはこちらに来るそうです。ウチは心配ない立地ですが、日本じゅうの被害が少なく済むよう祈って居ます。
皆様、お怪我のありませんように。

今日は感染症を起こして居て、病院に行こうと家を出たら、降り出してしまい、薬は有るから家にこもって居ます。






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by hisako-baaba | 2014-07-09 09:58 | むかしむかしのバスガール | Comments(8)

昭和のバスの本 8月10日に発刊されます
「昭和のバス 名車輛」 佐藤信之 編著  戒光祥出版 刊
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私はこの本の特集ページ「思い出のバス車掌」のところに、4ページ書いているだけですが、8月10日発行を前に、見本として一冊いただきました。

単行本の一部に、自分の文章が載るのは初めての体験です。元車掌で文章書く人がほかに居ないからと、頼まれて書いたものですが、書かせていただいて楽しかったです。
文章の初めと終わりの部分は蛇足だったかなと気になりますが、素人ですからまあ仕方ないでしょう。

これから読み始めますが、懐かしい写真がいっぱい。全体的に色が暗いのが気になりますが、知らないこともたくさん載っていて、知っている車輛や、景色など大いに楽しめそうな本です。
日本橋交差点角の、白木屋百貨店はすぐにわかりました。
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by hisako-baaba | 2010-08-06 12:04 | むかしむかしのバスガール | Comments(12)

卒論!

クリスマスに頂き物が続いて、びっくりしていたら、25日もうひとつ凄いものが届きました。
「卒論」!! 私の記事を卒論の参考に使った大学生さんが、大学に提出後、私にも送ってくださったのです。

53枚もの紙の束に、お礼の品まで添えられて・・・
読む前に綴じなければと、6つの穴をあけて、糸で和綴じにしてから、包装紙にハトロン紙で裏打ちした表紙を貼りました。
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さあ、これで安心して読めます。

ひと様の論文を、ご紹介するわけにはいきませんが、少し読んだだけでも、文章がしっかりしていることに感心しました。
なんとも几帳面に、参考にした文献のページをいちいち示し、ブログのページごとのURLまで詳しく載っています。

いまどきの若い人も、大したものだなあと、感心しきりです。
内容は、バスガールの歴史を例として・・・メディアによって、その印象がいかに実像と違ったものになってしまったか・・・詳しく考察されているようです。
彼女自身は見たこともない筈のバス車掌の実態を、実に詳しく掘り下げています。うーん…偉いもんだわ。
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by hisako-baaba | 2009-12-26 11:10 | むかしむかしのバスガール | Comments(12)

美空ひばりのバスガール
昨夜、「歌え青春はりきり娘」と言う映画をDVDで見ました。
昔々のモノクロ映画で、少女時代の美空ひばりが、自分自身と、そっくりさんのバスガールと二役を演じています。
バスのことを卒論に書いている学生さんからお借りしたもので、感想を求められていました。

あらすじは
電車が通るたびにぐらぐら揺れるぼろアパートで、母と弟との貧しい暮らしを支えている、美空ひばりにそっくりな新人バスガールが、母譲りのオンチに悩んでいる。(弟が高校3年らしいから姉はもっと上?当時バスの新人は皆15才だったのに)
浮気して母と離婚した父親が、戻りたがっているが、父も母も素直になれず意地を張り合っている。子供たちはその両親の復縁を画策し、成功する。
車庫では指導車掌と運転手、歌の上手なコンビが結婚することになる。出庫前の掃除の時間に、運転手が歌いだし、車掌たちが手を止めて聞きほれる。(出庫前にそんな暇はありません)そのまま発車。(切符も受け取らず、操車係に申告もせず)
乗務中の出来事は、まあまああり得ることだけど、入庫して会計係の前で計算し「百円足りない」とヒロインが騒いでいる。指導車掌が「不足分は給料から引かれるのよ」という一言を入れているのはいいが、百円札が胸ポケットから出てくるなんてありえない。出てくるのはかばんの脇のポケットでなければならず、胸ポケットから出したら疑われて当然。

別の日の休憩室。男の検査員が来て車掌が集められ「ポケットの中のものを見せなさい」といわれる。各自自分でポケットの中身を出して見せるだけの検査・・・ありえない。
あんな検査ならいくらでもチャージできてしまう。第一男性が調べて何がわかる?盗んだ金をポケットに入れているわけがない。乗務の途中や、入庫直後に裸同然にして調べるから摘発できたのであって、この映画に出てくる検査は検査ではない。そのいい加減な検査で、ヒロインのポケットから千円札が出た。別れた父親が偶然乗り合わせて、そっと彼女のポケットに入れたものだ。翌日午後番の勤務前に彼女は父を伴って出社。疑いが晴れる・・・・・・ありえない。千円が発見された時点で勤務からはずされる。父親が証言したところで誰も信じない。疑いが晴れることは絶対にないだろう。
だいいち、休憩時間や、清算後にポケットを検査しても何にもならない。休憩室では自分のお金をもてるのだから。

映画は、大手バス会社の協力で作られ、実際の車庫を撮影している。会社は「臨検」の実態は絶対に話さなかっただろう。だからあんなありえない検査でお茶を濁したのだろう。
結論は、バスガールの仕事を、乗客から見える範囲は、かなり正確に描いているけれど、車庫のことなどはでたらめだと言う感じです。

お堀端で故障して「応急車」の救援を待つ間、運転手と指導車掌のカップルが仲良くしているので、見習いのヒロインは、車から出てゆく。そこで思いを寄せる学生と出会ってお堀を見ながら二人で座っている・・・ありえない!故障車から離れることはできない筈、お金を持ったまま、車の外で人に会うなんてできる訳がない。

ありえないといえば、本物の美空ひばりがそっくりさんを招いて、レッスンしてあげる。オンチと思っていたヒロインが一回のレッスンでたちまち歌えるようになる・・・まあそこが映画の世界で・・・でも二役の美空ひばりが、画面に一緒に出ているシーンがかなりあって、一緒に歌ってもいる。モノクロ映画の時代にそういうことが上手にできているのが面白かった。
まあ、美空ひばりの娯楽映画だから、この程度でよかったのでしょう。
私には30年代の東京下町のアパートの暮らしが面白かったです。
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by hisako-baaba | 2009-12-03 23:32 | むかしむかしのバスガール | Comments(4)

朝日新聞の記事
先週土曜日の朝日新聞be版が届きました。

「サザエさんを探して」という連載記事です。もとの4コマ漫画が載っていて、
①サザエさんがタラちゃんを抱いてワンマンバスから降りたところ。
②運転手が「つぎは新町三丁目」と言いながら、おばあさんにお釣りを渡している。
③車庫に帰って、仕事を終える運転手。
④家で、赤ん坊をおんぶして、上の子3人にご飯を給仕しながら、友達と碁を打っている運転手が「帰ってもワンマンカーだ」とぼやき、友達が「まだ奥さん サトから帰らないの?」と訊いている。
(初期のワンマンカーの風景。両替機もなく、お釣りをいちいち運転手が手渡したし、停留所名もアナウンスしていた)

そうして記事は・・・
「ワンマンバス  運転手の肩に重圧ずしり」という見出し。
昭和42年、この漫画が描かれたころのワンマンバス運転手は、会社の合理化で、補佐役の車掌を失い、倍増した仕事の責任がのしかかっていた。という意味の記事でした。

その大変さは、それまで一緒に乗っていた車掌の業務がいかに激務であったかを見れば、ワンマンの運転手の労働がどれほど苛酷であったかがわかる・・・という観点から、私の話した車掌の職務内容と、運賃計算の大変さが語られていました。

その後は機械類が発達して、今ではアナウンスしなくて良いし、両替機が進化しているうえ、カードまで使えるようになった。それでも、カードのお金が足りなかったりすれば、そこで時間のロスが出る。心ない客が迷惑をかけることが、運行を遅らせる一因になっている。
「お客様にはバスに乗る前に小銭を用意していただき、カードの残高や定期の期限などを把握しておいていただけると助かります。そうしたご協力も、ダイヤ通りの運行や安全につながるのです」と言う、横浜市営バスの課長さんの言葉で締めくくられていました。

今から42年前のサザエさん。私が退職して7年後の話です。当時ワンマンバスの危険さがしばしば話題になっていました。
車掌から見て、ワンマン運行が可能だなんて信じられないことでした。左後輪に巻き込む人身事故が有りました。車掌がドアを開けて「左オーライ」と叫んでいれば起きなかった事故がかなりあったようです。
今ではバスが「左へ曲がります」とか「バックします」などとしゃべりますが、当時はそんな機能もなかったし・・・初期のワンマンカー運転手さんはさぞご苦労だったことでしょう。
今だって大変そうですよね。私は乗る前に小銭を揃えます。動作がのろいけれど、乗り降りでぐずつかないよう気をつけています。
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by hisako-baaba | 2009-12-01 23:37 | むかしむかしのバスガール | Comments(4)

バス時代の話
昨日、バスの車掌時代の話を取材に来た方とお話しました。

「バス車掌の時代」の本をお持ちでしたので…「この本によると、他社の車掌さんたちはずいぶんひどい環境で苦労されたようですが、東急不動前は、もっと明るかった。他社のことを読んで、自分たちは一番恵まれていたらしいと初めて気が付きました」というような話をしました。

細かいことを質問されて初めて思い出す部分があったりして、楽しかったです。

初対面の方に、私は必ず『語り』の押し売りをします。『栄光の手』です。語るチャンスが少なくて、語りたくてしようがないお話なので、聴いて頂いちゃいました。

この前櫻井先生の助言をいただいて、修正した『栄光の手』を後でここにアップしようと思います。
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いまの時期、真っ赤なピラカンサは嬉しいものですね。
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by hisako-baaba | 2009-11-03 06:21 | むかしむかしのバスガール | Comments(0)

ラジエーターの水補給

いろんな昔の友達から、電話がきて、ラジエーターの件はわかってきました。
会社としては、運転手の業務になっていて、きちんと出庫30分前までに来る運転手さんは、ちゃんと水を入れていました。ところが出庫寸前に来る人がいたり、急に欠勤者の代わりに運転しなければならなくなったり、とにかく運転手が始業前点検を30分ちゃんとやらない場合があった。そんなとき出庫時間が迫れば車掌がやらざるを得なくなる。
遠くの方にしか無い水道から、朝顔バケツに半分以下の水(多いと、梯子に乗る時こぼすから)を持って来て小さい梯子をバスの鼻面にかけて、3回かそれ以上も水道まで往復しました。
「やったやった、やったわよね。いつもじゃなかったけどね」そうなんです。だから大変だったーという記憶が残っているのです。私の記憶違いじゃあなかったのでした。ああ良かった。

ただし、毎日やっていたような気がしたのは間違いでしたから、本文はこれから訂正します。
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コムラサキシキブ 実際はもう少し濃い色なんですが・・・
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by hisako-baaba | 2009-10-18 14:41 | むかしむかしのバスガール | Comments(2)

むかしむかしのバスガールを書いたことから広がった世界

今日は「バス車掌の時代」の著者、正木鞆彦先生からのメールにびっくりしました。
長い長い「むかしむかしのバスガール」8月6日と7日の記事を全部お読みくださって、「第一級の資料です」と言ってくださったのです。

それほど、バスの車掌について書かれたものが少ないのだそうです。

村上信彦著「紺の制服」バスの女子車掌たち 1959年 三一新書 これは絶版になっていて、古書店に出ると一万円を超える高値で、すぐ売り切れる希少本になっているそうです。

その次に出たのが、正木先生の「バス車掌の時代」 1992年 現代書館 で、単行本としてはこの二冊しかないそうです。
あとは、東急川崎営業所の車掌だった山中恭子さんが自費出版したエッセイ「バスの中の青春」があります。

小説では、元車掌の、片岡稔恵著「チャージ」が中央公論女流文学賞をとっているそうです。

昔々昭和7年(1932)に雑誌「働く婦人」に連載された「赤い襟章」は、東京市バス新宿営業所勤務だった松山達枝さんの作品で、近年「文化評論」に“発掘小説”として再び掲載されたそうです。

それ以外には、労働省婦人少年局の、バス車掌の実態調査報告。
私鉄総連の実態調査書があるだけで、車掌のことに詳しい資料はごくわずかしかないそうです。

だから車掌本人が書いた記事は貴重なのだそうです。

ラジエーターの水補給は誰の仕事だったかお訊ねしていましたが、正木先生が調査された範囲では、東武、国際興業、小湊鉄道、大阪市営バスなどはみな車掌が水を入れることになっており、東武バスでは、はっきり車掌の仕事と規定されていましたが、他は、運転手の業務なのに、車掌の仕事として習慣づけられていたそうです。
大半のバスで、車掌がやらされていたとしても、東急では運転手の業務だったのなら、素晴らしいことです。
私は自分がやったつもりでいましたが、もう少し友人たちにに訊いてから修正します。

いろいろ他の本を読むと、ますます私の居た不動前車庫は良い職場だったことがわかります。
ハルエさんによれば、東急の他の営業所から転勤してきた会計係さんが「不動前が一番居心地が良い」と言っていたそうです。
よそのことは全く知らないまま、不平不満でいっぱいだった私、野心があるのに出世の道が無いから不満だったわけですが。そう、永久に車掌ばかりやらされるのでは、不満を抱いても当然だったとは思うのです。
しかし、その9年間が、無駄だったように感じていたのは間違いで、成長のための大事な期間だったと再認識できました。私自身のためにも「むかしむかしのバスガール」を書いてよかったと思います。

ラジエーターの件でaxbxcxさんが、北海道バス協会の記事に、ラジエーターの水補給は車掌の業務だったと書いてあると教えて下さいました。第13章モータリゼーションの明暗の中の(かつて女性が支えたバスだった)という記事です。
ほとんどのバスで、女性の仕事だったようですね。そこにはボディによじ登って、フロントガラスを拭く車掌の写真も載っています。二人でやっているので、もしかしたら一人は見習いさんかもしれませんね。北海道のバス車掌は、私たちよりはるかに厳しい仕事だったと思います。
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台風を乗り越えたシュウメイギクは今が盛りです。
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by hisako-baaba | 2009-10-17 23:19 | むかしむかしのバスガール | Comments(8)

奇縁!
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これ、私が乗務していた不動前営業所のロマンスカーの模型でした。
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9月29日にご紹介した「ボンネットバスが好き」という本の表紙に載っていた東急バスの模型が、3117号車で、3100番台のバスは不動前車庫のものと決まっていましたから、この模型の写真をくださいと編集者の坂田さんにお願いしました。今日頂いた写真を見て、もう一度びっくり! あのロマンスカーだったのです。
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8月7日にこのバスの写真を2枚アップしてありますが、まさにこれです。この菱形の窓は1台しかなかったから間違いありません。
会社は自慢の新車の模型を少数作らせたようです。でもラッシュに乗るには辛い車で、私は千円掏られて弁償させられた、嫌な想い出の有る車でした。
でもこうして模型を見ると、やっぱり懐かしいですね。
昭和26~7年ごろの最新型、ロマンスシートの車両でした。
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もうひとつ、奇縁に恵まれました。
9月22日に「バス車掌の時代」という本をご紹介しましたが、なんとそこに著者の正木鞆彦様からコメントをいただき、メール交換が始まったのです。
私より2歳お若い、同世代です。著者に質問できるなんて、とっても有難いです。
いろいろ伺うと、私のいた“東急不動前営業所”は、何処よりも雰囲気が良く、一番働きやすい車庫だったのだと理解できました。
しんどかったけれど、他の車庫に比べたら、人間関係も特に良い方で、そこに配属された私たちは幸運だったのです。
バスのことを書かなければ、私はバスの暮らしを嫌ったままだったでしょう。きつかったが、よそよりは、はるかにましだったと解ったのは、大きな収穫でした。

カメラは無事のようですし…いろいろ良いことに恵まれて、風邪も吹き飛んだようです。
私はやっぱり幸運児なんですね。
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by hisako-baaba | 2009-10-13 23:28 | むかしむかしのバスガール | Comments(6)

「バス車掌の時代」を読んで

バス車掌の時代 正木鞆彦著 現代書館 1992年刊 を読んで驚いたこともたくさんありました。本の内容と、自分の思い出がごちゃまぜになりそうですが「むかしむかしのバスガール」を補足する意味で今日は書いてみましょう。

まず驚いたのは、路線バスの車掌と言う職業が出来たころは、洋装の職業婦人の草分けとして、あこがれの目で見られていたと言うこと、今ならさしずめ客室乗務員のような存在だったようです。 
都バスのルーツ、東京の市営バスが開業したのは大正13年。関東大震災で、電車が壊滅したため急きょバスを走らせました。はじめは車掌なしで、停留所に人が立って切符を売っていましたが、じき車掌の募集を始めました。応募してきた和服姿の女性たちは258名。採用は177名で、その中には高等女学校卒15名。裁縫女学校卒12名と当時としてはインテリも多かったそうです。
既婚者を31名も採用しているのは、信用できるからと言うことなのでしょうか?皆、夫の親と同居だから、子供の世話に問題が無かったとも言えましょう。中には夫を大学に通わせるために働くと言う妻もいたそうです。

制服が実に素晴らしい! 洋服を着たことのない彼女たち全員の寸法を計って、三越百貨店にオーダーメイドで作らせています。デザイナーはフランス人で、紺のワンピースに赤の襟をつけました。
この4年前、大正9年に東京で最初にできたバス会社は白襟だったので、それぞれ白襟嬢、赤襟嬢と世間から親しまれました。
(しかし当時から敗戦後まで、バスにはドアが無かった。車掌の立つべき場所も無い車だった。立ちっぱなし揺られどうしの車掌の仕事が、激務であったことに変わりはないでしょう)

こんなにも華やかにスタートした路線バスの車掌と言う職業が、いつから最低の地位に落とされたのか、はっきり書かれてはいません。昭和初期の大不況に続く15年戦争が暗い影を落としたことは否めないでしょう。

初期のころ、運転免許を持つ人は少なかったから、運転手の給料は高額でした。車掌は労働時間が他産業よりはるかに長いためもあって、給料は女工よりかなり良かったそうです。
オーダーメイドの制服を着た赤襟嬢には、車両清掃の仕事は無かったようです。車掌に本来業務以外の仕事がどんどん押しつけられるようになったのは何時からのことでしょうか。

昔トラックの運転手は見習い助手を徒弟として顎で使っていました。彼らがバスに転職したとき、車掌を助手並みに扱ったのだそうです。本来自分の仕事である筈の、フロントガラス拭きや、ラジエーターの水入れまで、車掌に押しつけて、自分は煙草をふかしている、それが当たり前になってしまいました。
冬季、凍結を防ぐため毎晩水を抜くラジエーターに、凍てつく朝、少女たちは遠くの水道からバケツで何回も水を運び、梯子によじのぼってやっとバスの鼻先に水を注いだのです。こぼせば自分がかぶってしまう。手がかじかんで自由が利かず、こぼすことはしばしばでした。
ただし、私の居た東急バスでは、ラジエーターの水補給は運転手の仕事でした。時々は車掌がやらなければならなかったし、それがとても大変な仕事だったので、私は毎日やらされたように思いこんでいましたが、会社は運転手の仕事と決めていたそうです。

車掌の地位が低くなったのは何時からだったのかはわかりません。私の入社した昭和26年には、ごく一部の古いタイプの運転手にこき使われるのが当たり前になっていました。生意気な私はその点使いにくかったらしく、私を避けて他の子に私用を頼んだりするのでした。
「車掌の分際で」という扱いを、無言で拒否していた私に、チャージの誘いは一度もありませんでした。
但し運転手の半数以上は常識的な人たちで、車掌をいわれなく見下したりはしませんでした。

車掌の生活を暗いものにしたのは、一部の人間が犯すチャージ(金銭着服)と、そのために会社が全員を疑ってかかる身体検査でした。仕事が終わると必ず風呂にいれ、その間に服のすべてと私物を検査する会社もあったそうです。東急には風呂場はありませんでしたが。

人間、プライドが有れば、不正は出来ないものです。プライドを持てない状況に追い込んでおいて、すべての車掌を泥棒扱いにした労務管理は最低だったと思います。
どの会社でも、車掌は40代50代になっても車掌のままでした。私は30代まで車掌でいることに耐えられない気がして28歳で辞めました。
出世のあては全くと言っていいほどないのです。要領のいい者がごくまれに検査員に昇格する、これは破格の出世で、もう車両清掃も、乗務もしなくて良い。彼女らは不正を摘発しようと懸命になり、かつての同僚に辛く当ることになるわけです。東急ではそこまでのうわさは聞きませんでしたが、他社では、警察官さえやらないような、長時間にわたる過酷な取り調べをした事実が有るそうです。
無実の車掌を自殺に追い込んだ例は、神戸での一件だけではないようです。
私も、友人が無実の罪を着せられたとき救済に奔走しましたが、無実のまま解雇されて泣き寝入りした例も多いと思います。最低の身分だった車掌が、何をどんなに抗弁しても通らない世界でしたから。・・・後篇に続く・・・
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by hisako-baaba | 2009-09-22 23:11 | むかしむかしのバスガール | Comments(12)


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