カテゴリ:我が家の歴史( 47 )

素人芝居をやっていた頃・・・実はどん底の青春でした[追記]
孫が中学の演劇部に入ったというので、昔の写真を探したけど見当たりません。
以前のブログ記事に有りました。若き日の懐かしい思い出です。久々に、外郎売りの台詞を楽しんで居ます。ちゃんと出来ますよ。



[追記]
芝居をやっていた写真が楽しげで、さぞかし青春を謳歌していたように見えてしまいますが、私の青春は惨憺たるものでした。

19歳でバスの車掌になって、母との暮らしも一応安定。
でもバスの車掌は30歳になっても40歳になっても、15歳の子と同じ車掌の仕事しかさせてもらえません。キャリアアップのチャンスは全く無いので、将来の不安が大きかったのです。

5年目に、保護司さんのお手伝いをして非行少年の世話をするボランティア活動を見つけて、熱中したので、その保護司さんと私のペアは、大きな成果を挙げました。

リーダーがその記録を提出しろと言うから、外部には出さない約束で、日記の写しをボランティア組織に提出。
ところがリーダーはそれを外部にだし、ある日映画のプロデューサーを、紹介してよこしました。びっくりしたけど、日記をそのまま使われては大変なので、文章には自信があるから、小説を書くと言いました。

経験を小説に組み立てて、書き上げ、プロデューサーと一緒に脚本家の田中澄江先生のお宅に原稿を届けに行きました。

ところが、リーダーはその頃、私の日記の原文を、日活に売り込んでいました。

全然別の映画会社で製作が決定し、私の小説は無価値になりました。
大打撃を受けたのは、私の原稿を、田中澄江先生に届けたプロデューサーで、日活には勝てないと怒り心頭でした。私は書いたものがほごになっただけですみましたからあっさり諦めましたが。

今度は日活から、会社へ度々電話が来ました。日記を使わせてくれと。私が絶対許可しなかったので、作家に頼んで小説を書かせて、私とは関係無い話が映画化されました。
はとバスのガイドで、ボランティアに熱中して居る娘の役を左幸子。非行少年役を小林旭、その恋人に浅丘ルリ子でしたが、私とは関係無いし、興行成績も上がらない変な映画でした。

せっかく生き甲斐にしていたボランティアを続けられなくなって、もやもやしていた時、生まれて初めてプロポーズを受けました。でも、彼は7人兄弟の長男。家はひどく貧しい。私は母の生活を半分以上支えていた。バスの車掌では結婚出来ません。

当時私は、地域の名士たちに信用されていたので、バスをやめて、一人で総菜店を始めることはとんとん拍子に出来ました。いろんな方の応援で、仕事も習い、店も出来たとき、婚約者は劣等感に潰されて去ってゆきました。

夜中まで冷凍の鯵を開いたり、ひとりぼっちの厳しい仕事は、目的を失っては続けていられず、1年で大損して閉店。借金はなかったけれど、一文無し。

すぐに知人の紹介で地下鉄ストアの鼈甲屋の店員になり、前の店員の3倍売り上げて、入社3ヶ月でボーナスを貰い、ようやく年が越せたのでした。

そんな貧乏時代に、素人芝居の仲間に入ったのです。みんな貧乏で、月に千円の会費を払って、保育園の教室を、木曜の夜だけ借りて、夢を追いかけていました。
そうして、私が入ってから一回だけやったのが、写真の芝居です。

この数か月後、仲間の男子が自殺。みんな将来の希望も無いままがっくり来て、劇団は解散してしまいました。

そのあとすぐ、私が何をやったかと言うと、点字図書館に行って、盲人のための朗読奉仕を始めたのです。
30歳前後の私、お金も将来の見通しも無く、食べるためにだけ働いていては、心が壊れてしまうので、常に何かを探していました。

そこからハンセン病療養所の盲人会と楽しい交流が始まりました。結婚する4年ぐらい前のことです。


恋は片思いばかりでしたし、厳しすぎる青春でした。でも、力一杯なんでもやっていた。
じっとしてはいない自分らしい青春だったと、懐かしむことが出来ます。

いま、「語り」を知って、思う存分楽しめるのは、表現者で有り続けたいと思った青春があったからだと思います。

そして、情熱の有る限り、何才になろうと、人は青春なのだと思います。

いま、青春を生き直して居る 私です。
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そうそう、芝居仲間が一人、無名時代の山本陽子の芝居に出たので、小さな劇場へ見に行ったことが有ります。お国訛りが抜けないまま一生懸命でしたが、それっきり誰かが芝居に出たという話は聞きませんでした。





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by hisako-baaba | 2014-06-12 12:00 | 我が家の歴史 | Comments(16)

憧れの筑波山に行かれます
5月15日に、沢山珍しいお花を撮らせて頂いたお宅の前を又通りました。
玄関先に奥さんがいらっしゃったので、花の話が弾みました。なんとブラシの木も咲いていました。
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私はブラシの木は4月に咲くと思っていましたが、5~6月だったのですね。

他のお花は名前を聞いても忘れました。oshibanayoshimiさんにより「ナスタチウム」と判明。
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「ガウラ」だそうです。
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「マツバギク」
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妙に話が弾んで、同じ整形外科の患者同士とわかりました。そのうち治療中にお会いするかも。

さて、そこを通り過ぎて、図書館の分館へ。借りてきたのはこの本です。
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来月、遊工房さんのご好意に甘えて、筑波山に連れて行っていただくことになりました。
実は明治維新の4年前に、筑波山で旗揚げした尊皇攘夷の天狗党に私の祖父が加わっていたのです。
吉村昭氏は史実を克明に調べて忠実に書かれる方なので、この本を読み返してから、祖父の足跡を尋ねたいと思ったわけです。
祖父のことは2005年12月6日のこの記事に書いております。
ずーっと行きたいと思いながら、遠くもないのに行かれなかった筑波山。楽しみです。
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by hisako-baaba | 2008-05-24 16:06 | 我が家の歴史 | Comments(19)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No10
(ここから兄の結婚事情は話が長いので抜粋します)

昭和23年の事、兄が中国に残してきた婚約者から、特別なルートで手紙が来て、再会が絶望的になったので、「あなたを諦めてこちらで結婚しなければならなくなりました」と別れを告げられていた。そこで兄も彼女を諦めて、尊敬する恩師の娘との結婚を決めた。

昭和24年1月、下の兄の結婚式の日取りが決まり、住宅難の中、家の3畳と元の風呂場に住むことになる。3世帯で一つの家に住むので、家の模様替えを自分たちでやらなければならなかった。仕事を休んでいたら,I君から「30日連盟に行きます」とはがきが来たので、私も出かけた。しかしよい場所は他の人が出ていたし、飴も十分には仕入れられず、新小岩で3人一緒に売って、それでも一人190円になった。(飴はノートより売れた)

このあと2月8日のお寺での婚礼の準備に追われる。食糧難だから何でもヤミ(配給外)で調達しなければならない。兄が最中を注文して有ったので、前日遠くまで私が取りに行った。(目黒駅から白金方面にバスで行った記憶がある。お菓子はなかなか手に入らないものだった)
家で20人前のお赤飯を炊いたり、旨煮を大鍋に作ったり、前夜は寝る暇ない大騒ぎ。旨煮を一人で仕上げた私は鼻高々。翌日、上の兄が自転車で、私は電車で、料理を運び、いったん戻る。鯛は人数分に足りず、マグロの刺身は何とか間に合う。お赤飯と煮物や切りイカ等の折り詰めを自分で作り、本堂で内輪だけの婚礼が始まったが、意外にも妹の私に席はなく、裏方に回されてかなりむくれる。お台所で尼さん数人と賑やかに鯛を焼いたり料理の盛り付けをしたりした。それはそれで面白かったが、そのまま本堂で披露宴が始まると、大変忙しく働かされた。酒の燗が特に忙しかった。大酒呑みのお客が居て、追加しなければならなかったし。料理を作った私は人数に入っていなくて、自分の折り詰めは無かったけれど、楽しい尼さんたちが気を使ってくれて、何かしら裏でお腹いっぱい食べていた。最中の残りも、尼さんとじゃんけんして余計に食べた。

この日の日記には・・・
式が始まる前に誰も私を花嫁さんに紹介してくれない。仕方なく最中を配ったとき自己紹介したら、後からM先生(花嫁の父で、兄の恩師)がやっと紹介してくれた。全く忘れられた存在の私はお給仕役だけで、誰も席を取っておいてくれない。家族は母と上の兄だけしか式に参列しなかった。おめでたい席でなかったら、やかんと徳利と茶碗を並べて、勝手にお燗して飲みなさいと帰ってしまいたいところだが今日は我慢した。
むしゃくしゃしているとき、お上人様が台所に来られて「今度は妹さんの番ですね」と言われたので「お酒呑みは大嫌いですから」と言ったら、尼さんたちが「やられたー」とはやし立てたので、お上人さまは「そのくらいはっきりしているほうが良いでしょう」と言って戻って行った。お酒を持って行って私も勧められたが飲まずに置いたら、「飲めないの?」と言われた。お燗したお酒なんかまずくて飲めるか。私はお酒を熱いお湯で3倍くらいに薄めて、お砂糖を入れたのでなければ飲まない。(現在はビールの次に熱燗が好きです)



この後の日記も見つかりません。記憶では・・・鏡だけを一人で売って、4200円作って編み機を買い、講習に通いました。『高速編み物機』といっても初期のもので、セーター編むのに2日もかかります。
『矢』という棹を左右からシャーッ、シャーッと差し込んで1段づつ編み進む。ゴム網などはいちいち手で目をひっくり返すような厄介な機械でした。一通り編めるようになったけれど、仕事は斡旋してもらえず、完全に挫折しました。

編み物に絶望して、今度はお針子になりました。中目黒の小さな洋裁店で独身の先生と見習いは二人。ここで撮っていただいたのが、戦後初めての写真です。お針子はこの二人でした。私は向かって左。
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昭和25年夏、朝鮮戦争が勃発します。米軍兵士が戦車や装甲車に乗って、洋裁店の前の大通りを轟々と走って行きます。アメリカ兵に手を振ったことなど無かったけれど、この時は彼らが可哀想で、みんなして手を振りました。「生きて帰りなさいよー」と叫びたい思いでした。

お針子では生活できないので辞めて、東急バスの入社試験を受けました。なかなか通知が来ないので、三軒茶屋の市場の食料品店に勤めました。朝、商品を上手く並べたら、店主が「あんたが並べると見やすいし綺麗でいいね」と、褒められました。
そこへ東急から採用通知が届いて、給料がよかったので、食品店には病気といって辞めました。

ここが運命の大きな分かれ道だった気がします。もし東急が不採用であれば、三軒茶屋で商売にのめりこんだと思うのです。バスの車掌より販売の方がよほど面白い。たぶん市場に馴染んで、何処かの商店のおかみさんになっただろうと思います。
バスの暮らしが心身ともにきつかったので、苦し紛れにボランティアに熱中し、ますます「ヘンな女の子」のレッテルを貼られるようになった私は、厄介な方向にばかり進む運命だったのでしょう。

東急バスの車掌だった9年余りの日記は膨大な量が残っていて、まだとても整理し切れません。朝4時半起きで電車を乗り継いで車庫までかなり歩いて出勤。午後早く帰れる日はバスで帰るから良いけれど、長い中休のあと夕方から又勤務だったりで電車を遠回りしての帰りは夜中の事も・・・夜学に通う事も出来ませんでした。
私はバスの仕事を意地でも完璧にこなそうとしながら、でも好きになれなくて、『これは生活の為のアルバイトだ』と割り切り、「本業」のケースワーカーに徹しようとボランティアに駆けずり回ったのです。辛かったけれど、あれこそが私の熱い青春だったと思います。失恋ばかりしていたけれど・・・生意気すぎて、もてるわけが無いヘンな女の子になりきった青春は、でも熱かった素晴らしい思い出になっています。あの情熱に後悔はありません。

その話は日記をもっと整理して抜粋してから、又掲載します。たぶん半年位後に。
今回の連載はここで一応終了と致します。


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8日の写真の続きです。
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志木の市場通りには、昔の建物が多い。
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町のシンボルは河童
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オオバコの花?
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3日間散歩ばかりしていたので、四日目は大掃除・・・といっても換気扇だけ。
脚立に上って浴室の換気扇のフィルターをはずして洗い、キッチンの換気扇は分解掃除。
マンションの換気扇は構造がわからず、説明書を読んでも、普通と全く違う電源の位置を見つけるだけで手間取りました。「説明書ってどうしてこんなに頭の悪い書き方なんだろ」・・・ぶつぶつ言いながらドラムをはずして洗剤に漬け込みました。歯ブラシではギトギト汚れが取りきれず、タオルで拭きなおして、周辺の油を取り除き、元どおりに組み立てて、脚立から下りたらどっと疲れが出ました・・・
半年でこの程度か・・・揚げ物はしたくないなあと思いました。4月と10月に分解掃除をすることに決めておきましょう。
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by hisako-baaba | 2007-04-10 10:25 | 我が家の歴史 | Comments(8)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・No9
4冊目の日記がどうしても見つかりません。記憶では数年前パソコンに入れようとして、べつにしてしまったようです。この一冊が一番面白かったからだと思います。近年読み返したことがあるので、記憶には少し残っています。(仕方ないので思い出して書きます.日記NO4)

昭和24年1月3日 午後一時Y君I君K子さんを待つ。I君だけが玄関に現れた。Y君は恥ずかしがってバス通りの角に立っているという。迎えに出て引っ張ってくる。K子さんは来なかった。ネコアンカに当たりながら、みかんやトウモロコシパンなどありったけのおやつを出す。トランプなどしてから外に出て羽根つきもした。(トウモロコシは米の代わりに配給されるアメリカの援助物資で、それをパンに焼く為の真ん中に煙突のついた鋳物の鍋があって、今のアップルリングと言うパンより少し大きめのリング状のパンを上手に焼く事が出来た。アメリカの砂糖を入れてとても美味い主食だった)

1月4日 Y君I君が渋谷で映画を見せてくれた。(明るい恋愛映画だったと思う。大混雑でその回が終わるまで身動きできずに立っていて、その後座ってちゃんと見られた。映画は庶民の主な娯楽だったから、常に大入り満員だった。)

お正月休みが終わると、立川で鏡を仕入れては、主に自由が丘で一人で売った。りんご箱を4個も借りられないので、家から三尺の棚板をはずして抱えて行き、りんご箱2個の上に渡して、もぞう紙を掛けて、絵の具で書いた看板を下げて鏡を飾った。小さくて薄い鏡がほとんどだが、20cm以上のも少しあって、これが一番人気で儲けも多かった。鏡面には少し凸凹があって、ガラスが緑がかっている粗悪品だから、顔色が青白く写る。いわゆるうぬぼれ鏡だった。それでも大空襲で何もかもが失われた後だから、品物さえあれば何でも売れた。
はっきり覚えているのは、或る日自由が丘で、一番売れ筋の大きい鏡が4枚残っていたとき、東北弁のおばさん4人に値切り倒され全部持っていかれてしまったこと。大きいのがなくなるとパタッと客足が止まるから大打撃だったが、おばさんパワーに抵抗する事は出来なかった。
一人で売るのは心もとないし、自由が丘にばかり出ても居られず、ほかを開拓する元気もなく、やはり連盟の方向に出て行きたくなる。Y君が「K子さんは友達にしないほうが良いよ」と忠告してくれていたのに、彼女を誘って二人で売った。しかし彼女はすっぽかしの名人で、約束をカンタンに裏切る。どちらの家にも電話がないから私はきりきり舞いして何日も無駄にした。(1月18日から5冊目の日記が残っている)


アルバイト日記 No5 1月18日 1時半立川へ,K子さんと東宝園で清算を済ませたが、鏡の分かる人が居なくて待たされた。女中さん(当時はお手伝いさんをそう呼んだ)が心配してくれて、他のお店に取りに行ってくれたところに、いつもの方が帰ってきた。二人で持ちきれないほど持って、吉祥寺北口前に上手く店を出した。ところが共産党が大声で叫ぶので全然売れない。やっと居なくなったので大声で売ったら5時から7時半の間に一人250円になった。品物の中に、ほとんど無傷の7インチが混じっていたので、それだけは160円で売り、一枚で70円儲けてしまった。とても寒かったが9時に帰宅できた。明日1時船橋に出る約束をする。
1月19日 1時の約束にK子さん来ない。1時半連盟に電話しても来ておらずじっと待つ。さんざん遅れて現れたが、今日Y氏が船橋に来るから、鏡を売るのはまずいと言う。元八幡に移って売れそうだったのにK子さんは嫌になったと言う。これから千葉に出ているH君に文句を言いに行くといって、私にすべての荷物を押し付けて行ってしまった。
風が強くなったので仕方なく2倍の荷物を担いで、棚板も抱えて一人で帰る。大変な損害だ。

1月21日 今日は祐天寺で正午に待ち合わせだったが、K子さん来ない。(後で聞けば連盟に居たそうだ)当てにならない人を当てにしてうろうろ。結局仕事に出る気をなくす。もう信じられるのは自分だけ。明日は何がなんでも一人で自由が丘に出る。そうしないと立川に清算に行けない。今儲けは650円。明日500円になれば足代引いても千円は超える。貯金が1200円ある。暫くがんばれば高速編み物機が買えるだろう。(就職は無理なので、編み物で自立するつもりだった)

1月22日 お金が欲しいから仕方なく一人で自由が丘へ。二人分の荷物が大変重い。でも全部担いでゆく。嬉しいことに、この前会った共済連盟の人がノートを売っていた。荷物を見ていてもらって、箱を借りに歩く。いつもの店にはなくて遠くで借りた。快晴なので鏡は酷く反射する。駅の人が飛んできて、「事務所に反射してまぶしくて仕事が出来ないから、向きを変えなさい」と言われて慌てて飾り方を変えた。大きいものばかり売れるのでじきに儲けが300円を超えた。安心してノート売りの大学生とおしゃべり。両親がないそうだが快活で話の面白い人だ。帰りは彼と、宝くじ売りのおじいさんと3人一緒に東横線に乗り、祐天寺で降りるまでおしゃべりした。今日の儲けは470円。

1月24日 立川に清算に行き、帰りに代々木の高速編み物研究会に寄る。
夫婦で編み物機を買いに来ている人が居た。 編み物機2500円、台800円、入会金300円、月謝300円。
初めに4200円払わなければならない。2月に入学するのはとうてい無理だ。何とかお金を作らなければ。(続く)


自立するには手に職をつけるのが一番と思って、機械編みでプロを目指しました。初回払込金4200円を貯めるのにどれほどの労力を費やしたことか・・・翌月からは月謝300円ですが、他にも買わなければならない出費が有って、卒業してもその上のクラスに進まなければならず・・・ずいぶん無駄な努力をしたものです。



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昨日又2日前に行ったばかりの川の合流点まで、今度は片道2時間歩いてゆきました。
犬も歩けば・・・いえ、私も歩けば犬に当たる。ミニ馬さんと同じくらいでっかい犬にびっくりでした。
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黒のラブラドールレトリバーだって大型犬ですが、このレオンベルがーは何倍もでかい。
2匹を散歩させていた紳士は、写真を撮らせてとお願いすると、2匹の綱を放して「座れ」といってくださいましたが、レオンはどたっと寝てしまって大きさが良く解らなくなりました。
志木で見たお馬さんと、背中の高さはほぼ同じでした。
飼い主さんによると、レオンはラブラドールよりはるかに飼い易く、「誰でも飼える犬ですよ」とのこと・・・まさか・・・広いお庭と遊ばせられる河原があって、お金持ちで無ければ飼える訳が無いでしょう、こんなでっかい犬・・・でかいけれど優しい目をして、とってもゆったりした犬でした。

こちらの犬は真っ白で綺麗で、やさしそう。
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あたりは広い田んぼと、広い河原・・・よい環境です。
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左の新河岸川に右から柳瀬川が合流して東京へと流れて行きます。
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新河岸川には江戸から川越まで、高瀬舟(底の平らな川船)が、川のぼりは川岸から人夫が綱で引いて3~4日がかりで川越に着き、川下りは1日で江戸に着いたそうです。
志木は一つ目の中継点だったようです。
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by hisako-baaba | 2007-04-09 10:42 | 我が家の歴史 | Comments(6)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No8
昭和23年12月27日(月) 昨日は大雨。今朝兄さんから風船ガムの卸の外交をやってみろといわれ、一軒行って断られた。(当たり前だ。名刺も持たない女の子が見本持ってセールスに来たって誰も相手にしない)天気が気がかりだが連盟に向かうと、御茶ノ水の乗換えで、目の前にY君が立っていた。新小岩で台を借りて千葉に鏡を売りに行くのだそうだ。台三つ持ってってやるから飴売りに来いよ」という。本部に急いだがE君が千葉へ飴売りに出るところだったので仕方なくノートにした。雨が降りそうだが、並んでノートを売る。雨が降り出しては駅に戻り止むと又出す。そんなことをしているうち、原価7円のノートを15冊泥水に落としてしまった。これは自分で買うしかない。又止んだので、5人で店を並べたらお巡りさんに止められて、もとの場所に戻る。結局売れない。「鏡を早く売らせて」と頼んで29日9時立川に行く約束が出来た。今日は電車賃140円、落としたノート代105円、200円の赤字。新小岩で土砂降りになりバスが来たので走ったら物凄いぬかるみで靴下まで泥水まみれ。冷たい。でももうこんな所に二度と来たく無いから、何が何でも清算してこなければ・・・バスは超満員で乗せ切れず行ってしまった。暫く待ってようやく乗れた。連盟に着いて急いで清算。お金足りず60円借りる。バス停で待ったが、バス一台止まらずに行ってしまう。イライラして次のバスを待つ。降りてから走り通しで預かり所の傍まできたら,I君に呼び止められた。Y君たちは真っ直ぐ帰るので駅の中に居るという。私を待っていてくれたのだ。Y君「立川に行くのは明日の夜にしてくれ」という。立川の地図を描いて貰って代々木で別れた。

12月28日(火) 曇りのち晴れ。朝大急ぎで大きい紙に鏡の看板を書いた。それから母と日本橋へ買い物に行く。三越、白木屋を回り母は先に帰る。手相を見てもらいたくなって銀座通りを通って有楽町まで歩く。高島易断しか出ていなかったので手相はやめた。少し早いけれど立川に向かう。電車賃30円。祐天寺から行くのと同じだ。立川に4時過ぎに着く。東宝園を下見してから、婦人公論を買い、読みながら待つ。Y君来てI君と駅の反対側で売っているのだという。入場券で駅を通り抜け北口に出ると、I君が薄暗いところで鏡を売っていた。パンパン(街娼)に冷やかされたりでさっぱり売れない。諦めて片付ける。東宝園に行く途中Y君、私に鏡を3枚預けて「これ見せないで置いて。全部清算したら電車賃も出ないんだ」とっさに逆じゃないかと思ったが預かる。東宝園で清算すると、思ったとおり計算が合わない。数学に疎いY君が勘違いして3枚隠したから余計儲けが出ないわけだ。結局60円しか儲けが無く、お店の人が気の毒がって電車賃をくれた。私の分もリュックに一杯鏡を預かる。身元も確かめないで商品を貸してくれた。手提げを入れたリュックをY君に持ってもらっていたので、「その中にお財布が」というと「良いよ、さっき貰った百円で買うから」と渋谷まで切符を買ってくれた。明日はY君出られないのでI君と自由が丘に出る約束をした。Y君が婦人公論見せてくれというので渡すと、何とかの恋愛と結婚のモラルとか言うページを開いて、何回ぱらぱらやってもここが開くよ。ここばかり読んでたんだな」とからかう。一冊だけ残っていたのを買ったからで、そこはまだ読んでないのに。しゃくにさわったから本をひったくってしまった。暫くしてY君「向こうに居る人、ああいう服装で、お下げを長くしている人が好きだ」と言う。長いお下げが好きと聞いて、最近パーマを掛けた私がヘンな顔をしたらしく、「君みたいなの好きじゃないって言うんじゃないんだよ」と付け足したから、私は吹き出してしまった。でも髪を切ってしまったのが残念。
新宿で4番線の手洗い所(トイレ)に寄る。出てきたY君意外にもタバコをくわえている。あまりの事にギクリとして声も出なかった。叩き落してあげようかと思ったら「俺一本吸えないんだよ」と消した。『止めなさいよ』と言いたかったが年上だし「私、タバコの煙大嫌い」とだけ言った。まだ明けて20歳(当時数え年だからお正月に年をとる。その年の誕生日までは満なら18歳)今からタバコなどと言う魔物に取り憑かれてしまったらどうだろう。せっかく血色の良い肌もやがては艶の無いきめの粗い肌になってしまうのではないかと気がもめる。6番線の下で荷物を受け取ろうとすると、「上まで持ってってあげるよ。ただし“ロング”とかなんとかってんじゃないんだよ。K子さんだとすぐ『ロングねー』って言うから嫌だ」と言う。「日本人は男女が居るとみんなじろじろ見るから嫌だな」とも言う。私も同感。(ロングは当時の流行り言葉で、鼻の下が長いという意味)電車が遅れるとスピーカーが言った。「一人じゃつまらないだろ、電車来るまで一緒に居てあげるよ。俺たちは二人だもの」と荷物を持っていてくれた。そこで彼の知り合いで共済連盟の新宿支部に行っている学生に会って、紹介してもらった。こんどはその人が荷物を渋谷まで持ってくれた。私たちの連盟の事を訊かれ、中身16枚のノートの原価が7円だと言うと、そんな高いのは、何処の学生連盟にも無いという。「良かったら共済連盟にいらっしゃい。6円で卸してますよ」と言ってくれた。渋谷で別れて東横線の切符売り場の長い列に並ぶ。リュックの鏡がずしりと重く感じられた。さっきY君がくれた5円で切符を買う。夜なのに東横線は満員で、鏡が壊れないかと荷物を守るのに必死だった。どうやら掻き分けて降りられたが、重くて困った。9時帰宅。

12月29日(水) 朝の8時に床屋に行って待ち、10時までかかって顔を剃ってもらう。(当時なんで女性が皆床屋で顔そりをしたのか不思議)大急ぎで自由が丘へ。I君先に来ていた。台が無いから勇気を出して果物屋さんに「りんご箱を貸してください」と頼む。二つではどうにも足りないから、I君が他の店で一つ借り、私がガードの方まで行ってもう一つ借りた。模造紙の看板を下げ、紙の上に鏡を飾る。メガホンの大声で叫んで売る。I君は売り手としてあまり感じよくない。「これから一人で売る度胸をつけたいから、暫く遊んできて」と体よく一人になって色々な事を叫んで売る。交代で休憩して最後に又一緒に売る。どんどん売れるので面白くてしょうがない。街灯が無いので暗くなり四時半ごろ片付けにかかる。種類が多いから間違わないようにノートに記入するのが大変。箱を返しに歩き、原価をI君に預けて儲けを分け合う。電車に乗ってから「タバコってそんなに止められないものなの?」と訊いてみた。「駄目ですねー」と言う。「Y君は本当にタバコ吸うの?」と訊いてみたら、吸えもしないのに親にナイショで吸っているのだそうだ。少しでも大人に見せたいのだろうとのこと。馬鹿な話。「止められなくなる前に止めておかないと後悔するわね」と言ったら,I君「僕が後悔しているんだから止めろと言うのに耳を貸さないんですからね」と言う。祐天寺で別れた。荷物と清算はI君にお願いしたので、立川まで行く電車賃も助かった。

12月31日 朝、ニシさん(美容院)へ行く。19番目の札を貰って午後二時に行く事になる。Y君たちが来る日の為にみかんを買っていたら、同級生に会った。Mさん、まだ産まれないそうだ。(同級生が17歳で出産?記憶にありません)お昼食べる間も惜しく障子貼りをする。1時ニシさんに行き都合よく縦ロールにしてもらえた。障子貼りを終えたが、便所の壁紙までは貼れず、夜は疲れて除夜の鐘を聴くどころではなく寝てしまった。
大変だった昭和23年は終わった。(ここで3冊目は終わっています・・・続く)


敗戦から3年半、まだ世の中は落ち着いていませんでした。上の兄は三人の幼い子を抱え、苦労しながら母に支援していました。下の兄は駆けずり回って将来を模索しながら母にも支援していました。母は62歳になっており、外で働いた経験も無いので、1枚何銭の紙を貼る内職ぐらいしか出来なかったけれど、お嬢様育ちの呑気さで、いつも「何とかなる」と思ってくよくよしない人でした。
兄嫁とはもめるので一つ屋根の下で世帯は別でした。家が小さいので母と私は六畳一間の暮らしが長く続くことになるのでした。

父が亡くなったとき家屋敷を売って、小さい家を上の兄が買って、残りを母の郵便年金に払い込んでおきました。戦後のインフレさえなければ、母と私は毎月の生活費が郵便局から下りたはずです。でもその一か月分で、パンが一個か2個しか買えない状況になって、その年金は消滅したのです。国債も総て紙切れとなりました。
そんな中で、自立したい私のあがきはバスガールになるまで5年間続きました。



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昨日は又花を求めて、4時間も散歩しました。
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by hisako-baaba | 2007-04-08 08:36 | 我が家の歴史 | Comments(8)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No7
(アルバイト日記・・・No,3 表紙は『地理』と書いてあります。女学校でノートは用意したものの授業は無くて、工場の焼け跡整理にかり出された時の残りです。戦時中からこんなにも酷い紙を使っていたのでした)
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昭和23年12月20日(月) 今日は午後Y君I君たち、祐天寺駅前に売りに来ると言っていた。お正月も近いので午前中パーマをかける。
生まれて初めてのパーマネント。器具が非常に重い。薬で濡らした髪を巻いたカーラーに一つずつ小さい電熱器を被せてゆく。(電髪という初期のパーマ)長い縦ロールにして貰うつもりだったが、かけたてで縦ロールにすると,細くなって地味すぎると言われ、内巻きで我慢する。(ドライヤーが無い時代。濡れたままセットする)内巻きは気に食わないと思ったが案外似合う。
駅に行ってみたが、Y君たち居ない。待ってみたがとうとう来なかった。

12月21日(火)雨 赤ん坊のよっちゃん(一番下の甥)中耳炎の手術。姉さんはそのあと歯医者。一年生のM君の文化祭に行ってくれと頼まれる。S子(5歳)を連れて小学校に行く。会場の空気が悪すぎて頭が痛くなる。1年生の出し物は早く終わった。外に出たら雨は止んでいた、仕事に行けばよかったと思っていたら夜又雨。

12月22日 (水)今日こそ売らなければと意気込んでゆく。Y君に「なんで一昨日来なかったの」といったら「ああ、あの日はやめたあ」と平気な顔、I君の後を追って急いで出て行ってしまった。私はK子さんとノートと飴を持って船橋に行こうと新小岩まで出たら、預かり所に台が無い。みんながノートと飴に台を二つずつ持っていったからだ。電話して自転車で予備の台を届けてもらう。一つしかない。船橋で一つの台にノートと飴を載せて売ったので、ろくに売れなかった。新小岩についたとき、これから連盟に帰ったらバスがなくなる時間だった。台が四つ戻っていたから、Y君たち戻ったのかと電話してみる。他の人が戻ったのだった.K子さんがうっかり電話を切ってしまったので,H君に自転車で清算しに来て欲しいというのを忘れ、どうしても帰らなければならなくなってしまう。(公衆電話は長い行列だから、すぐ掛け直すわけにもいかなかった)
7時過ぎ帰りの終バスは行ってしまった。(当時は終バスが早かった)Y君たちから電話が入れば,H君が新小岩に清算に行くから、自転車に乗せていってくれると言う。K子さんが頼んでくれたのだが、お断りしてK子さんE君と三人で小松川橋を渡る。(K子さんには迷惑だったかも?)渋谷から(下の)兄と一緒になり、10時半帰宅。兄は明日朝早いという。寝不足になると困る。

12月23日(木)兄から「フーセンガムも売ってみたら」と何処かから預かってきたのを渡された。連盟に電話したら誰も居ないので、仕方なく小麦粉の配給をとりに行ったあと、12時半近くなってから出かけた。(配給品は指定の場所に指定の時間に行って買うことが多かった)さらし飴とガムを持って船橋へ。又籤売り農大生の隣に並ぶ。飴3本10円は高いと思う。10円売って2円の儲け。わりに早く電車賃が出てほっとしたら、4時から6時の間に千円売れた。又遅くなったのでHさんに来てもらおうと電話したが居ない。預かり所に台が二つ増えていた。バスの行列まで走っていくと、やはりY君たちだったので一緒に戻る。Y君の知り合いの貿易商が、輸出出来ない傷物の鏡を売らないかという話が有って、品物を見せてくれた。鏡の面に少し黒い傷があるがとても安い。是非紹介して欲しいと頼む。
連盟でお手洗い(トイレ)に行って戻ったら事務所の雰囲気がヘンだ。Y氏が突っ立っていて,Y君たちは下を向いている。何かあったなと帰り支度をしながら聞き耳を立てる。Y氏はみんなに「毎日来い」だとか、「熱意が足りない」だとか、ガミガミ言っている。何ぼか自分が学生達の為を思って、何十万の資本を掛けたかというようなことを恩に着せている。ノート一本でやるべきで、今売れないのは年末のセイだ、4月になれば又売れるという、当たり前だ。では売れない期間どうしろと言うのか。飴のお蔭で一息ついたのに、飴はY氏の儲けが少ないのだろうか?Y君が「でも今売れないものは売れないのですからね」と発言。Y氏の小言は彼に集中した。「君達が映画や飲食にお金を使っていることはちゃんと耳に入っている。みんなは苦学するのでなく、享楽の為に働いているようだ」と極め付けた。Y君が「しかし僕達にとって、映画は享楽じゃあありませんからね」と反論すると「いつ、わしが映画は享楽だと言った?」と怒鳴りだす。「言った」「言わない」の押し問答になった。I君がY君を突っついたので彼も他の人に遠慮して黙った。私は何とか気分を変えようと、笑いながら「遅くなるわー」というとY氏「帰りますか」と声の調子が変わった。「一人で小松川橋渡るの嫌ですよー」と笑顔で言うとI君が、「少し待っててください、すぐ終わりますから」というので、清算を手伝う。Y氏、私のパーマに気付いて「久子ちゃん、アイロン掛けたの?」私はぺろりと舌を出した。軽蔑したのだが、はにかんで舌を出したと受け取られたようだ。・・・当時髪にパーマでなくアイロン(髪をカールする電気コテ)を掛けてもカールが作れた。・・・Y君ぐずぐずして立とうとしない。帰りがけに又,Y氏が「毎日来い」とか「大勢来るようにしろ」だのくどくど言っていた。でも大学へは何時行けば良いのか???学生を呼び捨てにしたり“お前”呼ばわりしたり,Y氏にはいつも腹が立つ。
連盟に行くのが嫌になり、Y君に鏡を卸して頂けるよう紹介を頼んだ。立川で進駐軍相手に商売している会社だとのこと。明日朝彼は立川に行くそうだ。

12月24日(金)雨になりそうだったが、お金が欲しいから出かけた。K子さんを外に呼んで、夕べのY氏の話をしたら彼女もカンカンに怒った。事務所ではY氏が新発売の電気洗濯機がどうのとみんなにまくし立てていた。(初期の洗濯機で、脱水は出来ず、ローラーの絞り機がついているものだったと思う)土砂降りになってみんな諦めて帰る。K子さんはE君S君と秋葉原で降りていった。又ダンスホールかもしれない。東横に寄って福引を引いたけれど、マッチ一個だった。百匁15円のみかん200匁(約700グラム?)買ってから、2階で鏡の値段を調べた。Y君に見せてもらった40円卸し、60円売りのと同じ大きさの青くて凸凹で質の悪い鏡が130円で、やや質のよいのが160円もする。携帯ケース入りは35円と55円.Y君のほうは卸20円で25円売りだ。是非やらせてもらわなければならない。

12月25日(土) クリスマスは私には関係ないと朝は思った。腹痛で休む。明日Y君と鏡の相談が出来るかどうか、そのことばかり心配していた。夕方郵便局にアメリカの叔母さんから小包が届いたと連絡があって、居合わせた兄が自転車でとりに行ってくれた。急いで開ける。叔母さんは私のものばかり入れてくれる。レインコートが真っ先に出てきた。少し色褪せてはいるが水色のセーターはお正月に着られる。夏物衣類も色々入っていた。キャンデーがコーヒーの缶に一杯。毛のついた靴が出てきたので足を入れたら丁度良い。中は黒のハイヒールで、外はオーバーシューズだった。今日は素晴らしいクリスマスになった。中でも一番嬉しかったのが、ベージュのレインコート。Y君とおなじ色だからかなと・・・自分の気持ちがわからなくなった。(続く)


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昨日の写真の続きです。志木駅前に、小さな小さなお馬さんが2頭居ました。
セラピー犬は聞いたことがあるけど、セラピー馬は初めて見ました。育成のための募金箱に少し入れて、写真を撮らせていただきました。こちらは男の子。
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こちらは女の子。
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小さいでしょう。これでもオトナですって。世界最小の種類で、オーストラリア産だそうです。
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ちいちゃいけど、タテガミは立派です。
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優しい目をして、実におとなしくて穏やかなミニチュアホースさんでした。
病気の子供たちやお年寄りに元気を与えるお仕事、がんばってくださいね、お馬ちゃん。
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by hisako-baaba | 2007-04-07 09:57 | 我が家の歴史 | Comments(8)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No6
12月13日(月) Y君に会いたくて本部に行ったら昨日来られたと言う。私も昨日来れば良かったと残念でならない。今日も来られるそうだがなかなかみえない。
K子さんが「この前のこと,貴女の言った様にするわ」と言う、なんか話が妙だ。S君の傍で平気な顔をしている。S君「滝」と言う字を裏返しに書いて「ウラミの滝」などとK子さんを気味悪がらせていた。
K子さんはなんと今日Y君と出る約束なのだそうだ。私は声がかれて一人では出られないと言うと「M君かI君でも良いじゃない」という。二人とも嫌なので気のない返事をしたら、「じゃあY君と出れば」と冷やかしながら言ってくれた。思わず嬉しい顔になる。K子さんは問題のE君と出かけて行った。しかしY君どころか誰ひとり来ない。4時まで待って諦めて帰る。声が嗄れて(毎日大声を張り上げすぎたから)気分は最悪。(あとで思えば、私はこの日、K子さんに上手くおちょくられ騙されたようだ)

12月14日(火) 天気が良いので、風邪をおして出ようと思ったが母に叱られ諦めた。そのうち雨になった。姉(上の兄の嫁)が歯医者に行く。頼まれた赤ちゃんは泣いてばかりで、お昼ご飯も落ち着いて食べられない。家にいるのはこりごり。

12月16日(木) まだ体調悪く休む。又姉さんに子供3人預けられて困る。赤ちゃんをおぶってS子を連れて氷屋(駄菓子屋を兼ねている)に行く。折り紙を買って輪つなぎなど作ってやる。絵を描いてみてもうまく描けず、絵よりも児童心理を勉強して、良い母親になったほうが良いかも知れない。学校に行かれないのが何より困る。宝くじでも当たれば・・・買わないから当たらないし買うお金も無い。やはり欲しいのはお金。しかし年の暮れにノートが売れるはずも無い。連盟がもう少し積極的に他の商品を仕入れてくれれば有り難いのに。

12月17日(金) 今日やっと連盟に行ったが、会いたい人たちはたった今出てしまい夕方は戻らないと言う。仕方なく京成船橋に一人で出たが売れない。籤売りの農大生さんとおしゃべりしながら、6時までがんばったが、終バスに遅れると困るので、売り上げ450円で諦めた。収入120円。足代90円。40円使ったので結局10円赤字。バスで帰って9時少し前家に着いた。

12月18日(土)早く行ったのに連盟に誰も居ない。Y君たちは直接出て、帰りは寄るかどうか分からないと言う。声がまだ出ないので、一緒に行ってくれる人を待つ。連盟でも、ノートの他に飴を売る事になった。Nさんという人が横浜の桜木町から初めて来た。連れて出てくれといわれたが、声が出ないから無理。K子さんが来てNさんを連れて出た。私の分までノートを持たせたので私は出られなくなってしまった。せっかく来たのだから夕方Y君が戻るなら会いたいし、見たい映画が来ているから、時間つぶして待つことにする。新小岩に出て映画館に行ったら停電だという。闇市をぶらついて、大豆20円のを2合買う。帰りの電車賃と、映画の30円しか残らなかった。また映画館に行って見たら、もうすぐ始まると言う。中に入って木の長い椅子(背もたれも無くて、縁台のような粗末な椅子)に腰掛けて待つ。見たかった映画『蜂の巣の子供たち』とってもいい映画だった。(戦災孤児たちが集まって生き抜くお話)途中で度々フィルムが切れて気をもんだが、それでも良かった。(切れるたびにフィルムを繋ぐ間、電気の節約の為か両側のドアが開かれる。そこは廊下ではなく外なのだ。バラックみたいな映画館だった)ニュースの途中で又停電になる。いつ電気が来るかわからないから出てしまう。(当時停電はしょっちゅう起きた)劇映画が終わっていて良かった。町じゅうが停電で真っ暗。時間の潰しようが無いから、恥ずかしいが本部に戻る。トランプ占いをしてY君を待った。じきにY君のレインコートが入ってきたので『待っていたのよー』と言ったらI君だった。Y君はI君のジャンバーを着て入ってくるなり「本持って来てないぜ」という。本なんかどうでも良い。「事務の人に置手紙するから何か紙をくれ」と私に言う。手提げの中の紙を探すのに、浅田飴(水飴状の喉の薬)を出したら、「あ、これくれ。美味いんだ」と取って「でも棒が無くちゃ食えないな」と返してよこす。お正月の相談をしてI君やK子さんと3日午後家に来る事に決まった。お小遣いは無くなったが、映画も見られたし・・・今日は良い日だった。

ここまでで2冊目は終わっています。当時学生が駅前で売っていたのは、茶色っぽいざら紙で表紙もすぐぼろぼろになる灰色の再生紙の薄いノートでした。10円売りのが普通32ページ。インクはにじむしペン先が引っかかる。当時のペンはいちいちペン先を差し替えるものや、ガラスペン。このガラスペンは優れもので、今も有るらしいです。インク壷に入れると、ガラスの表面にある細い溝に毛細管現象でインクが上がって、金属のペン先よりも長く書けました。当時の万年筆にはカートリッジなんて無いから、いちいちインクビンに突っ込んで吸い上げるものでした。父の遺品の万年筆はすでにインクを吸い込む機能が壊れていたから、インクをつけながら書きました。ボールペンなど全く知らなかった時代の話です。(続く)



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桜は待ってくれないので、風邪が治りきっていないのに一人で散歩に行きました。
志木から歩いて宝幢寺へ。10日ほど遅かったでしょうか、枝垂れ桜は散り終えていました。
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一本だけ遅咲きが咲いていて、八重桜はまだまだ固い蕾でした。
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東京では六地蔵様に屋根は有りませんでしたが、埼玉では屋根に守られておいでなのでした。
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一級河川同士の、新河岸川と柳瀬川が合流するところにも行ってみました。
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合流点の三角地帯は公園になっていて、明治10年に建てられた薬屋が移築されていました。
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ボランティアの老紳士が説明してくださいました。志木は新河岸川水運の中継地で、商家も多かったようです。ついでに近隣の町の見どころも色々教えていただきました。

もう一度脚を鍛えて、一時間半ぐらいかけて家から歩いて行きたいと思っています。
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by hisako-baaba | 2007-04-06 16:16 | 我が家の歴史 | Comments(6)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・No5

12月5日(日)休み。今日は良い天気だが、疲れているので日本橋に行くのは止めた。朝から連盟の事ばかり頭に浮かぶ。休むと寂しい。どんなにみんな憂鬱な顔をしていても、大勢で居る方が楽しいものだ。私は何と言う寂しがりやだろうか。小さいときから家庭が寂しいので、大勢集まって面白く遊びたいといつも思っている。Y氏に言いたいことがあるから、もう一度会食会が有れば良いのに。私は学生の集まりにお酒を出すことを絶対反対する。

12月6日(月) 今日は骨折り損のくたびれもうけだった。先に出た人たちが千葉と舟橋に行ってしまった。Y子さんが来るまで事務所の留守番を頼まれてしまう。K子さんが来て昨夜の話しを聞かせてくれた。Y氏がぐでんぐでんに酔っ払って吉田首相の所から帰ってきて、又酒を持って来いと自宅まで取りにやったそうだ。一級酒をコップに4杯も飲んでその上M君,I君にまで飲ませ,I君は酔って手こずらせたそうだ。未成年者に飲ませるなんて仕様の無い酒飲み親父だ。「Y子は俺の愛人だ」などとK子さんやY子さんを困らせたらしい。私が居たらY氏をひっぱたいて帰ったかも知れない。昨日の話を聞いて私が軽蔑して「ふん」と言ったら,Y君が苦笑していた。
Y氏は昼ごろやっと出てきた。兄が譲った自転車の代金を早く欲しいと言っていたと催促したが、「もう少し待ってください。今年中には払いますから」と呑気なことを言っていて、払いそうに無い。「本部の仕事一切学生に任せてみませんか」と意見してやろうと思ったら、Eさんが来てしまったのでやめた。遅くにY子さんが来ると,Y氏はノートの工場に行ってしまい,Y君たちの味方をする機会は逃げてしまった。結局がっかりしただけで、ろくなことが無いまま5時ころ帰宅。またまた電車賃損した。

12月7日(火) からりと晴れたのに、風が強すぎてノート売りは諦めた。お小遣い数えたら1106円。なんとなく憂鬱でならない。お正月にK子さんやM君を呼んで面白く遊べたら良いなあと思う。

12月9日(木) ノートの質が悪すぎて売る気がしない。(茶色っぽいザラ紙で、ペン先がひっかかる)それでもM君に会いたくなって、本部へ行った。来ない.K子さんは来たが、「出るの嫌になったから帰る」という。私は仕方なく一人で船橋へ出る。昼間は売れなかったが、夜になって売れ出した。収入280円。電車賃90円差し引いて、190円。がっかり。今日はM君と二人しか出なかったそうだ。一緒に帰って面白い人はいないから、さっさとバスで帰る。帰宅は9時。

12月10日(金) 今日はY君を当てにして本部に行った。バスが来るたびに出てみたが来ない。K子さんとトランプ占いに熱中する。2時まで待って来ないので、K子さんはS君に、私はY君に置手紙をして、久々に二人で元八幡へ、感じ悪いので京成船橋に移る。宝くじ売りの隣に出す。くじ売りの農大の学生さん、初めてだが毎日ここに出るそうだ。留守番頼めて便利になった。でも全く売れない。お腹がすいて我慢できなかったので、赤字覚悟でパンを買う。
K子さんは朝からしきりに「S君に悪い」「S君に悪い」と考え込んでいる。訊いてみたら打ち明けてくれた。K子さんが日大のS君に6分,Eくんに4分の好意を持っていた頃、S君に告白され、軽はづみに承諾してしまったが、その後二人に五分五分の好意を抱くようになり,E君とも踊りに行ったりしたのを見つかってしまった。昨日又S君に文句を言われたので、はっきり「別れましょう」と言ってしまったのだそうだ。(又軽はずみだったと思う)それで「悪い」「悪い」と自分ばかり責めている。私はそうは思わない。K子さんの気持ちが変わったのならK子さんの自由だと思う。「一体あなたは二人のどちらをより好きなの」と訊くと、解らないと言う。二人を別々にすると物足らないのだそうだ。それなら二人ともに遠ざかったら良いでしょうというと、それは寂しくてできないと言う。それならどちらを好きなのか、自分の心を試すため、休んで二人の顔を見ないようにしたら良いでしょうと言うと、そうして見る気になったらしい。私には経験が無いから、漠然としか解らない。
後からE君M君が京成船橋に来て、何処から持ってきたのかバターを売り始めた。K子さんとE君平気な顔。心の中少しも解らない。バター一つしか売れず、みんなして諦めて帰る。どうせ赤字。80円ずつにしかならなかった。足代90円、パン代15円。赤字赤字。終バスにやっと間に合い帰る。代々木までM君I君と一緒。M君ヘンな本ばかり持っている。Y君が居たら良いのにと思う。
K子さんの話を聞いているうちに、自分はY君をお友達としてなら大好きなのだと自覚した。お正月には是非彼らを招きたいと思う。まだまだK子さんにしても私にしてもお友達以上の気持ちを抱くのは早いような気がする。 (続く)



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今朝は久々の快晴です。でもまだ酷く寒い。
昨日までの数日は、風やら雨やら、霙まで降って、満開の桜を見ることも出来ませんでした。今朝も霜が降りたようです。
完全に風邪を引いてしまいました。でも桜を見に行きたい・・・今しかないのですもの。
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雨の中でもピンクの花はやさしく咲いていました。
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by hisako-baaba | 2007-04-05 09:07 | 我が家の歴史 | Comments(6)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No4
アルバイト日記・・・No2(ここからは売り物の10円ノート、中身が16枚しかない灰色のザラ紙ノートに書いています)
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昭和23年12月1日(水)朝は快晴だったのに昼から曇る。一人で自由が丘に出ようと昨日の残りを持って連盟に行ったら、『ノート全部出してしまったよ』と言う。商品が無くては仕事にならない。事務担当のH君が『映画でも見ますか』と言ってくれたが『明日も来ます』とすぐ帰る。新小岩でI君に会ったので,『Y君に、他の本読みたければ、明日祐天寺に店を出すように伝えて』と頼む。闇市で一合24円のピーナッツを2合と、65円の下駄を買っただけで、空しく帰る。(下駄は家の近所で日常履いた。靴はもったいなくて普段は履けなかった)今日は電車賃だけ丸損した。ナポレオン占い(カードだったように思う)で、『儲かりますか』とやってみたが『儲けたものまで失くしてしまう』とはがっかり。当たっているからなお嫌になる。

12月2日 やる気をなくしたのと、もしY君I君が祐天寺に来るかもと思って、自分は休む。祐天寺には共済会の学生が出ていて、何回行って見てもY君らの姿は無かった。明日は誰がなんと言おうと一人で自由が丘に出ると決めてもぞう紙の看板を何枚もこしらえた。

12月3日連盟に行ったらまだ商品が揃っていない。一番売れる10円ノートを持たずに出ても仕方ないので待つ。
M子さんが『Y氏にナイショで、電車賃30円貸して』と言う。8月生まれの性格どおり50円貸してしまった。(M子さんは得体の知れない子だった。住むに家無く、K氏のところに泊まっていたようだが、束縛を嫌い外泊したりでいつももめていた)
自由が丘に行くには遅くなりすぎたので仕方なく船橋に出る。後からE君が来て近くの京成踏み切り傍に店を出したのは痛かった。6時20分1200円の売り上げで諦めて帰る。(収入280円)E君は1600円売ったそうだ。
Y君I君コンビは板橋から肩を落として戻る。Y子さんが事務をしていて、Y君たちほとんど儲けが無く、ますますがっかりしていたが、計算違いが判明、それでも大した収入ではなかったらしい。I君は風呂屋に行ってたった15分で戻ってきた、風呂銭もったいないなあ。
そのときM君がかなり売り上げて戻ったので、みんなは気まずくなった。Y子さんがM君に『K子さんを待ちたいので、一緒に待っていて』と頼んだものだからY君よけい気を悪くしたらしい。(Y君はK子さんを好きなのだろう)都電を待つ間Y君たち二人にみかんを上げたらI君は皮ごと食べた。小松川橋の上では、涙の乾杯だのこんな女に誰がしただのと嫌な歌ばかり歌う。気を腐らせているからだろう。もっと元気な歌にしようとY君、でも思いついたのは「ああ玉杯に花うけて・・・」だけだった。家について11時。

12月4日 「千葉に行く」と昨日あれほど宣言しておいたのに、本部に着いたらY氏『何処に行きますか』と聞く。千葉には他の人を行かせてしまったのだ。腹が立ったが仕方なく一人で船橋に出る。風が強く日が暮れると寂しくて困った。帰りがけ新小岩でY君I君に会うと、二人で1300円だったと言う。私も一人で1200円。Y君にリュックを持ってもらって楽々帰る。率の良い物が売れたので収入370円。そこへK子さんも帰る。気付くとM子さんがむくれた顔をして奥にいた。Y氏にこっぴどく怒鳴られたようだ。M子さんのような子を頭ごなしで叱ってもきく訳が無いのに。みんなあの子が今夜寝るところを失うのではないかと心配する。揃って帰る途中、新小岩駅でY氏と親しいおじさんに会ったので、みんなしてM子さんのことをY氏にとりなしてくださるようお願いした。おじさんは「任せなさい」と引き受けてくれた。悪いのはM子さんだが、話をこんぐらがらせてしまうのはY氏なのだ。Y氏にナイショで私からお金を借りたり変だと思ったら、やはり反感からわざと外泊して、誤解を招くような事をしたらしい。
電車の中でみんなとY氏への反感を語り合った。Y氏は下手な嘘を言い過ぎる。人を見るのが上手いとか、人を操るのが上手いとか言っているが、あんなに我侭で、人を扱うのが下手な人は無いと思う。中間搾取はしないと言いながら、大分へずっている様子。H君が言うには、そのくらいの利益は、会食会を一度やれば無くなってしまうそうだが、私たちの儲けの上前をはねて、会食会に事寄せてお酒を飲むなどもってのほかのことだと思う。とにかく今年中に再学連は消えてしまうか分裂するかして遠からず潰れてしまうことだろう。Y氏は学生の自尊心を尊重して、いちいち干渉せず任せておけば良いのにと思う。
帰りに闇市で8個100円の石鹸を買った。
(往きのバスの中で、仲間と話しているY君の目を見上げたら、誰よりも澄んでいた。酒もタバコも呑まないから肌も子供のよう。Y君の短所はカラ元気で意思のあまり強くない事。陰では大分大きなことを言っているが、面と向かうとどうもいえなくなる弱さだ。M字型の額は芸術家向きで、実社会には向かないのかも。Y君に「あなたはすぐ感情を顔に出すわね」と言ったら、「そうさ」と平気な顔。反対に私は顔へ出さな過ぎると言う。そんなつもりは無いのだが。しかし顔に出すほうが子供っぽくって正直かもしれない。他の人はもうかなり大人っぽくなっていて、性質はなかなかわからない.K子さんの気持ちは半分もわからない。)  (続く)
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by hisako-baaba | 2007-04-04 10:35 | 我が家の歴史 | Comments(4)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No3

昭和23年11月19日(金)季節遅れの台風が近づいたらしく雨が酷い。これでは連盟の会食会にも行けない。(仕事で無いのに電車賃かけてあそこまで行くのはもったいないし)屋根瓦が弛んでいて雨漏りはするし嫌になる。(屋根にかぼちゃを作って、棟を歩き回った私が瓦をゆるめた訳だが)身体の具合悪く2,3日働けないだろう。収入の道が出来ても、電車賃が高いので一向にお小遣い増えない。現在高557円30銭也。古い黒皮ハンドバッグに300円、あとはパス入れに入れる。

20日(土)今日も体の具合が悪くて休む。今朝は嵐の後の気持ちいい天気だったのに、夕方から季節外れの夕立で、今日出た方達のことが案じられる。夜が更けても昨日の嵐の続きのようにざあざあ降っている。体の都合でどうせ出られないのだから、雨の方が諦めがついていいかもしれない。
昨日の夜8時半とかに、近所の伊関と言う古物商にピストル強盗が入ったそうだが、その夜のうちに、湯河原とかの自宅に帰ったところを3人とも捕まったそうだ。盗まれたものは汽車賃しか使われずに戻ったという。軍隊のピストルを持った者がかなり居るようで恐ろしい。
夜遅く帰るのは嫌だと思うが、夜の本部は面白くて魅力がある。夜の小松川橋は永く忘れられない思い出になることだろう。雨が降ると物思いにふけりがち。人相や占いの本を久しぶりに出してみる。ろくな答えは出ない。そんなことをしているとつくづく絵が習いたくなる。

11月22日(月)まだ気分は悪いが仕事に出る。バスの揺れが辛い。本八幡に行ったが全然売れず、収入たった百円、電車賃にしかならない。帰りはバスに揺られたくないのでわざと遅れて、がたがた電車(都電)で帰る。K子さんが大声で騒ぐので恥ずかしい。錦糸町で『お汁粉おごってー』などと騒いでいる間に黙って一人で帰ってきた。祐天寺から家まで帰る間の人通りは酔っ払いばかり。帰宅10時半。

11月23日(火)昨日の分まで取り戻そうと,今日は物静かなY子さんと二人で鶯谷に出た。なんとチンピラが『しょば代』と言って手を出す。ここはやくざが仕切っているらしい。20円取られた。しかも全く売れない。結果、50円の赤字。
帰りの秋葉原の混雑でY子さんが片方の靴を線路に落とし、私だけ新小岩に着いて待ったがなかなか来ない。駅長室に問い合わせてもらいに行ったとき、先ほど女性が電車に轢かれた話を聞いてしまった。Y子さんは何台も乗り損なって(おとなしい人は押しのけられて乗れないほど混んでいた)やっとの思いで帰ってきた。
とっても重たいままのリュックを背負って本部に帰ったのは終バス。泣きたい思いだ。それでも寒風の吹く小松川橋をみんなと渡って帰るのだけは・・・好きだ。もう鶯谷には二度と出ない。

11月25日(木)昨日は雨で休んだ。
二人組みでは儲からないから一人で自由が丘に出ようと思って、朝8時半に家を出た。私は一人で大丈夫だと思うのに,T君と千葉に行けといわれてしまう。千葉はいつも人通りが多い。あとから来た他の連盟の学生が近くで同じものを売り始めたので、売れ行きに障ったが、それでも大声を出したお蔭で4000円の売り上げがあった。色々な人と組んでみる方が早く慣れて良いようだ。T君はK子さんみたいに買い食いしたりしないから良かった。しかも帰りが遅れて終バスに乗れるかどうかわからないから、『荷物は僕が持って帰ります。直接帰って良いですよ』と言ってもらえて、家に9時半に着いた。収入一人462円は初めての体験。T君に感謝。

11月27日(土)(昨日は錦糸町で収入157円50銭)
今日は又T君と組むように言われ川口に行こうと出発したら激しいにわか雨。すぐに止んだが全く売れず、蕨に行って見る。ここも売れない。沖電気の工員さんたちが闘争資金作りに飴を売っているそばで、一緒になって大声で騒いだが売れない。
T君の知り合いで、アメリカ帰りのおじさんが通りかかって彼と挨拶をしていた。おじさんは外国人と英語で話しながら、駅に向かって行った。
『方眼紙を売りませんか』と問屋さんが見本を持ってきたりした。
7時までがんばって、売り上げたったの700円。T君は「これから上野に行きましょう」と言う。彼の秘密の場所なのだそうだ。
郵便局の前のみかん売りの隣に店を出す。『君一人のほうが売れますから』とT君は貸し本屋に行ってしまった。高い方のノートが面白いほど売れた。隣のおじさんからみかんを買ったら、たくさんおまけしてくれた。T君は9時過ぎに戻ってきて、儲けを分け荷物は全部持って帰ってくれた。
上野は恐い町と聞いていたが、怖いことは何もなかった。確かに身を売るらしい女性も居たし、T君がそっと教えてくれたのだが、“おかま”さんが和服で歩いていた。私にはきれいなお姉さんにしか見えなかったが。
“浮浪児狩り”の直後だったのか、戦災孤児達はぜんぜん見かけなかった。(空襲などで親に死別した子供たちが、盛り場に集まって逞しく生きていたが、時々いっせいに捕まえて収容された。そこでも食料は十分でないし、待遇もよくないので、すぐ逃げ戻って盛り場を徘徊するのだった)

11月29日(月)朝からなんとなく憂鬱。Y君に貸す約束の人相の本(父が西洋占星術の占い師だったので、占い関係の本がいろいろ有った)を持って行く。K子さんと秋葉原に出たが売れない。K子さん、靴が割れてしまって、いったん家に戻る。その間一人で売る。メガホンで大声を出して沖電気労組の飴売りに散々迷惑をかけたが売れない。収入一人85円では電車賃にも足りない。
連盟で又ぐずぐずしていたがY君I君は戻らない。諦めて外に出たら帰ってきて「本持ってきてないんだろう」と言う。「もってきてくれた?」と訊くべきなのに。私のメガホンまで「貸してくれ、頼む」と拝むから貸してしまった。帰りの省線(今のJR)でY君と二人になれたので、貸して上げた人相の本を開いて代々木までしゃべり通す。みかんと飴を上げようと思っていたのに忘れてしまった。家について、11時15分。(私が関心を持ち始めたY君は、男の癖に一人で売りに出る勇気は無い様子で、いつも I 君か他の誰かと組んで出るのでした)

11月30日(火) 今日はろくなことが無かった。一人で出た下総中山で全く売れず、新小岩に移っても全く駄目。強風にノートを飛ばされるので、諦めて事務所に帰る。みんなの帰りを待っていたとき,Y氏のところに吉田首相の秘書とか言う方が見えた。お茶を出してくれと言われ、気に障ったのでK子さんにやらせてしまった。Y君達は京成千葉で露天商の取り締まりに遭って追い払われたそうだ。彼もこの頃ろくなことが無い。
今日は大勢で7時頃のバスに乗って帰った。家について9時前。

ここまでの日記は、何処かの会社の売り上げ日報を裏返して綴じた手作りノート。丹念に赤い糸で綴じてあります。
この再建学生連盟なる組織は、非常にあいまいで商売人の感覚を持つ人は存在しませんでした。
Y氏は選挙で財産すったとか?区会議員の他に職業は無かったかも、大酒飲みで、酔いつぶれて暴言を吐くことが多い人でした。学生達は彼を尊敬せず、学生の為と言いながら実はピンはねしていると思っていました。確かに他の学生連盟のノートの原価より1割前後高かったから、利益優先だったのかもしれません。それならちゃんと間に合うだけ商品を準備すれば良いのに、学生が仕入れに行っても商品が無くなっていたりする、なんともずさんな経営でした。
でも、学生証を持たない私は、他の連盟に移るわけには行きません、偽学生なのですから。(続く)

****************************************
4月1日から畑の上空でヒバリの声が聞こえています。鎌倉街道の両側から二組以上の声がします。
町の七草『カタクリ』は見つからなかったけれど、町の鳥『ひばり』は健在でした。

2月15日と3月15日にアップした大根畑はいまや花盛りです。
a0050728_1175897.jpg

一昨日から、中国の黄砂が大量に舞っています。夫はベランダのウッドデッキにブルーシートを被せました。
なのに私は昨日の昼、雨がやんだからと洗濯物を干したのです。今朝ブルーシートに黄砂がびっくりするほど積もっていました、仕方なく昨日の洗濯物をすすぎなおして今部屋干ししています。
今日は雨ですが油断ならないようです。
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by hisako-baaba | 2007-04-03 11:34 | 我が家の歴史 | Comments(10)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
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