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pasoさんからの書き込み

26日の「台湾での蒋介石総統」の記事に対して、台湾に詳しいpasoさんから書き込みをいただきました。
peauさんが映画『非情都市』を見たお話をを書き込んで下さったあとに続けてくださったものです。
これは私が書いたことの裏付けにもなるので、皆さんの目に触れたほうがいいと思い、ここにあらためてご紹介させていただきます。

hisakoさん、peau320さん
わたしも「非情城市」、見ましたよ。228事件という、久子さんの書かれた、みすぼらしい“兵士”たちが、台湾の現地の人々を虐殺したときのことを描いたシーンがあるのですが、映画が公開される頃まで、台湾では228事件のことを言ったり書いたりするのは、禁止されていたので、大問題がおきた映画なんですよ。わたしはそのとき、台湾に住んでいたので、その騒ぎをよく覚えています。騒ぎがあって、歴史を知って、びっくり。でも何年もあと、国民党の李登輝大統領は、国民に侘び、228公園を作り、歴史を刻む碑も作りました。これに列席した被害者の家族は、皆、泣いていましたよ。228事件のとき、蒋介石が送り込んだ兵士の多くは、田舎の、教育も受けておらずなんで台湾に送られるのかも理解していない農民たちだったそうです。食べるためだけにきたそうな。双方が、かわいそうな事件でしたね。


やっぱり、蒋介石には台湾に送るべきまともな軍隊は無かったのですね。軍服さえも。
228事件とは1947年2月28日のことだと思います。



        春の光
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by hisako-baaba | 2006-02-28 09:23 | Comments(8)

台湾では有名な八田与一という人

台湾についてほとんど知らないくせに、受け売りで書くのは気が引けますが、ネットで探してウィキペディア百科事典から、八田与一(1886~1942)と言う方のことを知りました。台湾では有名で、教科書にも載り、毎年5月8日の命日には烏山頭ダムで慰霊祭が行われているそうです。

大正7年に水利技術者として台湾に派遣され、南部の嘉南平野を調査した彼は、旱魃に悩む15万ヘクタールの農地の為に、烏山頭ダムと24000キロにわたる水路を作ることを政府に承認させ10年をかけて完成しました。(後年作られた曾文渓ダムも彼の計画によるものだそうです)
旱魃から救われた農民たちによって烏山頭ダム湖のほとりの彼の墓と銅像は大切にされてきました。蒋介石時代に日本の顕彰碑などは総て壊されましたが、八田与一の銅像は農民達によって隠され、1981年に再び湖畔に建てられました。

彼は昭和17年フィリピンへ調査に向かう途中,船を撃沈され南の海に沈みました。彼の妻は、敗戦の半月後に烏山頭ダム湖に身を投じ夫のあとを追いました。

彼がいつまでも台湾の人々に慕われているのは、たんにダムを作ったからだけでなく、農民や労務者を大切に扱った人柄に因るものと思われます。


クリスマスローズでしょうか、葉陰にひっそり地味な色で咲いたことに気がつきませんでした。
ピンクもあったら春らしいのに。寂しい公園。
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by hisako-baaba | 2006-02-27 12:34 | Comments(0)

台湾での蒋介石総統

昨日は蒋介石総統を褒めました。だから今日はけなすこともしないとバランスが取れません。
台湾統治に当たって、彼の軍隊と官僚は最悪だったそうです。私は台湾を知らないし、僅かに読んだり聞きかじったりしたことをまとめた私見であることをお断りして書いて見ます。

日清戦争の結果日本に割譲されるまでの台湾は、213年間に渡る清朝の統治の間に、住民の反乱が154回も記録されて居るそうです。それは、三年交代で送り込まれてくる清朝の官吏や兵士が腐敗しており、収穫の多くを奪われていたからです。
1895年に日本統治が始まって三年ほどは反乱が続きました。1898年第4代台湾総督 児玉源太郎と民政長官 後藤新平が赴任、民生の安定を図りました。教育に力を注ぎ、山奥の蛮族と差別されていた部族の村にまで学校を作りました。日本式の教育ではあっても、無学文盲だった人々まで“学ぶ”と言うことを知りました。これは後年国力を支える原動力になっていることでしょう。
後藤は鉄道を敷きインフラを整備し流通のシステムを作りました。全土を測量して、土地台帳を作り、権利者の登記を行いました。これは中国人社会において初めて国が民衆の財産所有権を法令によって保障した画期的なことでした。
順法精神を高め行政当局自身にもそれを徹底しました。ある巡査は、妻が農民から15銭相当の酒を貰ったために、収賄で免職になったそうです。(月給60円の時代)強烈な順法精神は徹底され、日本統治時代は官吏が甘い汁を吸った話は全く聞かれなかったそうです。民衆にも厳しく、道で痰を吐いたり手鼻をかんだりすれば警官に処罰されますが、泥棒の取り締まりも徹底して民衆の安全を守ったそうです。今でも神として大切に祀られている日本人警察官があります。村民の税を軽減して欲しいと当局と争い、抗議の自決をした森川清十郎巡査は、村民によって『義愛公』と呼ばれ富安宮に祀られているそうです。
こういう厳しい統治の下、『日本時代は、鍵をかけなくても泥棒の心配はなかった』と言い継がれています。
1945年敗戦により日本は去りました。その頃。蒋介石総統の政権は14年にわたる日本との戦いで弱体化していました。そこへ漁夫の利を得た毛沢東の共産軍が襲い掛かってきたので、共産軍との戦闘だけで手一杯。日本人が去った台湾に送り込むべき優秀な官吏も軍隊も居りません。戦争に行くわけじゃあないから誰でも良いだろうと、頭数だけ揃えたもののようです。
1945年10月17日に米軍の艦船から12000人の中華民国軍と200人あまりの官吏が上陸しました。小旗を持って出迎えた台湾の民衆は唖然とします。兵隊は薄汚れた綿入れを着て、素足に草履を履いている。銃ではなく鍋釜を持ち、カラ傘を背負っていたり、鶏の入った籠を天秤棒で担いだりして、だらだらと歩いていたのです。まるで軍隊の形を成していませんでした。そのときから婦女暴行や強盗事件が頻発し始めます。台湾は一挙に無法地帯となってしまいました。
民衆の怒りが爆発したのは1年4ヵ月後の1947年2月でした。憲兵の発砲により、民衆に数十名の死傷者が出てからは、全島に大暴動が発展します。3月蒋介石は本土から2個師団を送り込み暴動を鎮圧します。この軍隊もまた残虐の限りを尽くし、かなりの数の大学教授、弁護士、医師、教師など知識人が闇に消されてしまいました。(ポルポトみたい)この頃の犠牲者は1万9千人とも2万8千人とも言われていますが、総ては歴史の闇に葬り去られました。以来40年近くにわたって戒厳令が敷かれ、でっち上げの政治事件などで逮捕投獄された者は14万人に及ぶと言います。
蒋介石政権の無法な汚職体質に、台湾人は『犬が去って、豚が来た』と言ったそうです。
「犬(日本人)は、吠える代わりに守ってくれたが、豚(本土から来た中国人)は食い荒らすだけだ」と言うのです。
『アメリカは日本に原爆を落としたが、台湾には蒋介石を落とした』とも言って嘆いたそうです。
蒋介石個人の理想も誇りも、本土を追われて台湾にこもっては、配下に行き届かなくなっていたのでしょうか。

どう考えたって、日本の統治が総て良かったはずは無いし、台湾人にも反日の方は多いでしょう。でも老人の中に日本時代を懐かしむ方々が多いのは、日本が去った後の方が苦労が酷かったせいだと思います。・・・以上は浅学な私の私見ですから、偏りがあるかもしれません。

戦争中日本で働いた台湾の少年工がいまも日本を大好きで居てくださる話は、昨年末掲載しました。「高座海軍工廠、台湾少年工の話」です。あわせてお読みいただければ嬉しいです。

それからハムスターバゾさんが南京大虐殺について、兄が話したことなど書かれていますのでお読み頂きたいと思います。『南京大虐殺を、別の視点で検討してみよう!』です


ナギイカダの葉っぱはとっても硬くて痛い。
花も咲かず実もならず、落ち葉が引っかかると取れなくなります。
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花を引き立てるにはいい緑だけれど、こればっかり並べたんじゃあ・・・公園は寂しい。
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by hisako-baaba | 2006-02-26 14:46 | Comments(8)

蒋介石総統の一言『報怨以徳』に救われた多くの日本人

これも兄に聞いた話です。日本が無条件降伏をしたとき、中国大陸には多くの兵士や民間人が取り残されて居ました。武装解除され、行動の自由を失ったとき、武器を持たない兵士達は全くの別人になりました。これからどんな目に遭わされるか、どうやって日本に帰れるのか、いままで痛めつけてきた中国民衆にきっと報復されるだろう・・・不安だけが渦巻いて、いまにも絶望しそうな弱い庶民の姿になっていたのです。

そのとき蒋介石総統がラジオで勝利宣言をしました。(注。当時の中国を支配していたのは、
今の政権では有りません。共産党とは対立する国民党がまだ中国の支配者でした)
後に台湾に追いやられることになる蒋介石は、毀誉褒貶の格差の大きい人ですが、誇り高いカリスマでもありました。
彼は勝利宣言をした後、『我が国民は襟度(プライド)を保ち、日本人に対して“怨みに報ゆるに 徳を以ってせよ”(報怨以徳)』と呼びかけました。彼の命令は徹底し、軍も報復することなく、武装解除した日本軍と民間人を整然と帰国させました。
酷い目に遭わされることも無く、復員船で帰国できた兵士達は、あれほど蔑視していた中国人に対し大きな好意を抱きました。満州ではソ連軍に酷い目に遭わされ、シベリア抑留と言う不当な扱いを受けた人々が多く居たのに、中国からは安全に故郷に帰れたのですから、これは大変有り難いことでした。
蒋介石総統が、こういう方針で日本に国家賠償も要求しなかったことに対して、後年その思惑を色々かんぐる向きもありますが、兄は中華民族の誇りをかけて『報怨以徳』と言ったのだろうと信じています。ここで敗者に追い討ちをかけたら恥になる。中華民族の名に恥じない行動を世界に示そうと願ったのだろうと。
こうして中国人民は誇りを保ち得たし、日本人は無事帰国出来たのです。
蒋介石の国民党が台湾に逃れ、そこで色々な問題も生じたようですが、やがて日本は中華人民共和国と国交を結ぶ為に国民政府(台湾)と国交を絶ちました。そのとき「義理に反するなあ」と感じたのは私だけではなかったと思います。


近所でも梅が咲きました。
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私は目下、民主党を嵌めたのは誰か、何の目的かを知りたいです。
嵌められる甘さも論外だけど、嵌めたやつには何か目的があるはず。
メールなんか偽物でも何でもかまわないけど、裏の真相はどうなのさ?
ガセネタだと最初から言った小泉さんが、メールは偽物だと前もって知っていたと言うから胡散臭いなあ。
民主党を陥れたのは誰や?
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by hisako-baaba | 2006-02-25 14:44 | Comments(8)

講演会「循環型社会に戦争はいらない」 のご案内

私の兄(85歳)が生まれて初めて講演をすることになりました。
兄が80歳を過ぎてから、ようやくたまに会えるようになったとき、私は戦争を語ってくれと言い出しました。色々な体験談を書いて貰って、一つの文章に組み立てました。
それを私の友人が、ホームページにしてくれたのです。
『日中戦争の中の青春』です。(新しくエッセイを追加しました)
そこから日刊ベリタの記事になったりいろいろ発展しまして、次のような講演会が催されることになりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【講演会のご案内 3月25日(土)@表参道】

講演会:「循環型社会に戦争はいらない」
~80代、50代、20代が語る戦争体験と戦争観~

戦後60年。戦争体験者が高齢化し、過酷な体験を話すことなく
、胸にしまったままこの世を去る方が多いと聞きます。それら
の体験者にとって残された時間は、後わずか。日々刻々と少な
くなってきています。

「いつか来た道」を歩まないためにも今私たちに課せられた事
の一つは、少しでも多く貴重な証言に耳を傾け、それを語り継
ぐこと。

戦時中、陸軍の特務機関員として南京周辺で活動をし、捕虜の
斬首などに立ち会ってきたという中谷孝さん(80代)、ジャー
ナリストとして30年間にわたり各地の戦(紛)争を追い続けて
きた浅井久仁臣さん(50代)、戦争を知らない私たちが語り継
いでいかなくては、と元日本兵の聞き取りを一人で行い、その
想いを被害にあった国の犠牲者の方々に届ける活動をする神直
子さん(20代)がそれぞれの戦争を語ります。

●日 時:3/25(土)14:00~16:00
●場 所:環境パートナーシップオフィス(東京都渋谷区)
     http://www.geic.or.jp/geic/intro/access.html
○資料代:800円
○要申し込み:naoko_j@hotmail.comまたはFAX:048-837-1793
○連絡先:080-3382-9724

主催:ピースメディア塾
共催:NPO法人BeGood Cafe    
   Bridge for PEACE

二十代の語り手、神直子さんはフィリピンの戦争体験を掘り起こし、日本軍生き残りの方々の体験をインタビューしたビデオを、フィリピンの戦争被害者に見せ、又その方々の意見をビデオで元日本兵だった方々に見せる。相互理解の橋渡しをされているそうです。
ブログはここ  です。

講演会。お近くの方は是非お越しください。私も友人たちと参ります。

             兄です
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by hisako-baaba | 2006-02-24 15:46 | Comments(7)

私の『埋み火』 (美人の日本語の続き)

昨日、まとめきれなかったので今日続けます。
私の埋み火(うずみび)は沢山たくさん有りましたが、近年再び燃やせたものは、“数学”です。

戦中戦後の混乱で、小学校しか出られなかった私。6年のとき初めてクラス1番になれたものは『算数』と『順手懸垂』
それっきり勉学の機会なく、『XとかYとか出てくる数学』への憧れは胸の奥にしまいこんでいました。
娘が小学校のときは6年まで一緒に算数を勉強しました。(中学になったら教えてくれなくなった)
6年の或る日、同級生の男の子に「うちのお母さん算数出来るよ」と自慢したらしい娘が、その子から中学2年の文章題を渡されてきて、私にやってみてと言いました。やり方は知らなくても文章題なら推理して解けますので答えたら、娘は翌日男の子に見せて『やたら口惜しがっていたよ』というのです。なんでよそのおばさんに口惜しがるのかなあと大笑いしました。
息子が小学生の頃は暮らしに追われていたし男の子は一緒にやろうとは言いませんから、私は算数を忘れるばかりでした。

60代になって5年生のドリルを買ってみたら何とか出来ました。でも中学のはさっぱり分かりません。子供たちが行く塾に行ってみたいと思ったけれど、月謝7千円なので諦めました。
そうして70歳の春、通信制中学を発見したのです。月謝は無料。交通費も都営地下鉄とバスで行けるので、シルバーパスで無料。片道一時間ちょっとで通える。最高の条件でした。3年間休まず楽しく月2回ほどのスクーリングに通いました。他の学科も楽しくてそれはそれは幸せな時間でした。
これも総て『数学への憧れ』と言う“埋み火”を消さずにもち続けていたお蔭でした。
情熱は消さないことが大事なのですね。今年も進学は無理だけれどラジオで数学だけは学びたいと思います。


ピンクの馬酔木(あせび)が咲きました。
先日載せた蕾は、やはりアセビでした。アセビは白だけかと思っていたら赤もピンクもあるそうです。毒があって馬が食べると麻酔にかかったようになるから『馬酔木』なのだそうです。
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by hisako-baaba | 2006-02-24 09:10 | Comments(9)

『美人の日本語』
いま山下景子著『美人の日本語』幻冬舎刊 と言う本を図書館で何ヶ月も待って、やっと借りて読んでいます。4月から3月まで1年365日にそれぞれ一語ずつ、日本の単語が記されています。
2月のところから読み始めました。印象に残ったページから・・・15日

『埋み火』・・・消さない情熱。(本から引用させていただきます)

昔の暖房器具といえば火鉢。炭を燃やして暖をとっていました。
そして夜になっても炭を消さずに、灰の中に埋めておいたのだそうです。
それを『埋み火』(うずみび)『埋け火』(いけび)『埋け炭』(いけずみ)と言います。
・・・中略・・・
あなたの心の中の熱い思い。燃やし続けられないこともあるでしょう。
あきらめたり、どうしても続けられない事情が出来たり・・・・・。
でもそんな時、すっかり消してしまわなくても良いのではないでしょうか。
埋み火のように、そっと灰を被せておく。
そうすれば、心はほんのりあたたかいです。そして、いつかきっと、赤く燃え盛る日も来ると思うのです。・・・・・・以上引用させていただきました。

なるほどと思いました。火鉢の埋み火を、翌朝掘り出して新しい炭を継ぎ足してそーっと吹いてやると又赤々と火がおこります。
情熱も消さずに埋めていれば、やがて夜が明けて・・
以上山下景子著『美人の日本語』から思ったこと。

昨日のNHKラジオ『気になる日本語』も面白かったですよ。
『このごろ目からうろこがポロポロ落ちたなどと軽く言うが、以前鯉のうろこが目に飛び込んで、貼りついて何としても取れず、ホースで水をかけてやっと取ったことがある。目からうろこは“ポロポロ”などと簡単には落ちません』と言う投書があって・・・・・・
でもこれは、目にうろこが入ったのではなく、濁った心で見えていなかった目からうろこのようなものが落ちたという、新約聖書の『サウロの改心』から来た言葉なのだそうです。
イエスに反対していたサウロは急に目が見えなくなった。イエスの弟子が来て手をかざすと、目から魚のうろこのようなものが落ちて、はっきり見えるようになり、改心して名をパウロと改めた・・・というような?お話だそうで、違っていたらごめんなさい・・・

『豚に真珠』も聖書の言葉なのですってね。

公園でパピヨンに会いました。パピヨン=蝶みたいな耳を持つワンちゃん。
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by hisako-baaba | 2006-02-23 08:41 | Comments(2)

気になる言葉

先日NHKラジオホットタイムの「気になる言葉」(梅津アナウンサー)でちょっと面白かったこと。

「い」や「の」の字が有るか無いかで意味が全く違ってくる言葉。

古い新聞 :古新聞   安いもの :安物   黒い幕 :黒幕   白い紙 :白紙
昔の話 :昔話   北の風 :北風   まだまだありそうですね。
古い新聞は資料で、古新聞は古紙回収に出す。
安い物は価値の同じものが割安で嬉しい。安物は安かろう悪かろうの印象。確かに違いますね。

昨日の同じ番組では「会議が煮詰まる」をどっちの意味で使いますか?でした。

会議が煮詰まる=議論がまとまって結論を出す段階に来た・・・が本来の意味なのだけれども・・・
          =議論が紛糾してにっちもさっちも行かなくなった・・・という意味合いでも
           1950年代からは使われだした。

本来はうまく行った意味なのだけれど、料理の場合でも『うまく煮詰まった』場合と、『味噌汁が煮詰まっちゃった』と言う失敗の場合とあるので、今後もプラス面、マイナス面、両方使われてゆくのではないかと言うお話でした。あとはニュアンスの差で表現するしかないですね。

『議論が煮詰まったから、まとめに入りましょう』
『議論が煮詰まっちゃってどうにもならないから、お茶でも飲んで一息入れましょう』  
 日本語は難しい。


よそのマンションの金柑、色づきました。
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新しく訪れてくださった皆様。バックナンバーのこのページだけは読んでみて下さい。
子供にも分かるほど馬鹿げた事だらけだった戦争
又お暇があったらこの辺りも
りんご箱の思い出・・・偽学生アルバイトの話
幕末の志士の末裔・・・ルーツ・・・十話連載
幼い日、20話連載
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by hisako-baaba | 2006-02-22 08:33 | Comments(9)

荒れてゆく公園

古いものをかき回していたら、10年前、自治会が区に提出した要望書のコピーが出て来ました。
1996年5月。その年私は団地自治会の当番で書記を勤めていました。

川を埋め立てた4,5キロのグリンベルトの内、団地脇の250メートルを一番先に改修することになったので自治会として要望したいことを私がまとめて会長が提出したのです

三十数年前川が埋め立てられたとき、この辺に区議会議長が居たので、有力議員のお膝元優先というわけで一番早く川の跡の公園が完成しました。その場所の改修も、いまの有力議員たちが居るので一番先に始まったのです。

そもそも作って22年しか経たず、木々も茂っていいあんばいだった元の公園をぶっ壊して木々は切り刻んでごみにしてしまったことから、勿体無いと腹を立てていたのに、地元の意見など聞きもせずいまの公園は出来たのです。要望書を読み返して空しくなりました。

吾が自治会では、高齢化が極端に進む団地の脇に、全く車の道と交差しない貴重な250メートルの散歩道が有るのですから、弱者に優しい公園にして欲しいと訴えました。
団地に住む視力障害者(中途失明、明暗だけ分かる)に意見を聞いて、その方が最近道路を改修した地元の商店街に行かれなくなってしまった理由から訴えました。
1・それまでの白線がなくなって、ベージュ色の歩道になったため、歩道と車道の区別がつかなくなって踏み外す。
2・ガードレールは無いのに、その柱だけがぽつんぽつんと立っているので、ぶつかってしまう。
3・歩道と同じ色の点字ブロックが、角についていることに全く気がつかなかった。
そこで要望したことは、『点字ブロックをコントラストの強い色で、ずっとたどれるようにつけて欲しい』・・・結果は・・・全く無視され、道と同じ色の点字ブロックが、端にだけついています。

要望『植え込みの縁石を白にして、弱視の方が歩きよいように、又足弱の人がちょっと腰を下ろせるように、縁石を47センチ程の高さに統一して欲しい。そうすればベンチからベンチまで一度に歩けない人でも、縁石に支えられて歩行練習が出来るから』・・・これも無視され、平らな植え込みの縁は30センチの木の柱をロープで繋いだだけ。すでに大半が腐って、転がったまま放置されています。脚の弱い人が摑まれるような柱も木もありません。

『長い公園の中に、トイレ(車椅子用も)を増やして欲しい』・・・結果トイレは増設されず、4,5キロのグリンベルトにたった一箇所のまま。そのトイレに車椅子用が追加されただけ。

『植栽について、珊瑚樹とアベリアは植えないで欲しい』・・・結果、アベリアを植えてぼさぼさに伸び過ぎてから半分以下の高さに平に切り詰める度に汚らしくなっている。

『春先にピンクの花木と白の花木が咲くようにして欲しい』・・・結果赤い山茶花、赤いツツジばかり。黄色のまんさくが一本植えられたけれど、水不足で枯れました。

『手入れしなくても良い丈夫なものを植えて欲しい』『散水用水道を各所につけて欲しい』・・・結果、水道が全く無いので、手入れもしない木や草の4分の1はすでに枯れてしまった。
一番勿体無かったのは、えびね蘭を沢山植えたこと。高価なものなのに一度も咲かずにすぐ枯れてしまった。

一番おかしいのは桜を10本以上切り倒してしまったこと。日照権に問題があるところを伐ったと言いますが,ウチの横は、窓の無い壁なので桜があっても日照問題は起きないのに2本伐られた。だからいまウチの近くに桜は1本だけしかない。
隣の自衛隊団地にソメイヨシノが沢山あって、公園の上に枝を伸ばしているからお花見は出来ますが、公園の桜はほんの僅かしかない。

水の流れる子供の遊び場が出来たと思ったら、ポンプを動かすのにお金がかかりすぎるらしく夏休みしか流さない。普段は格好の悪いコンクリートのカラ掘りが枯れ草の中にぶざまに横たわっています。

住民の意見など一切無視して、木が少なく、花の咲かない草ばかり多い公園にして、10年で荒れ放題にしてしまった。元の公園のままならもっと花の咲く木々が茂って藤棚もあったのに。藤の木を切り刻んでゴミにしたのが許せません。造園業者の言いなりになって税金の無駄使いをしたとしか思えないのです。
花の少ない公園は寂しいし、方々で枯れ木の切り株や枯れ草の跡が目立つのは嫌なものですよ。
昔の書類が出てきたので、改めて腹を立ててしまいました。


えびねも、やぶこうじも枯れ果てて、サツキさえ一部枯れました。
代わりにさまざまな雑草とハコベとタンポポとおおいぬふぐりは生えてきましたが。
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椿と山茶花とサツキは赤ばかり。黄色のまんさくはとうに枯れました。柵も腐りきったままです。
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by hisako-baaba | 2006-02-21 09:16 | Comments(10)

三井さんフィリピンに向かう

18日、三井昌志さんが「やたら暑い」と言うバリ島からメールをくれました。
スマトラ島をアチェから縦断後、東ティモールをバイクでめぐり、バリに来て、これからフィリピンへ向かうとのこと。
そうしたらフィリピンで大災害が起きました。山を裸にしたために起きた物凄い地滑り。村一つ呑み込まれたそうですね。なんともやりきれない大災害です。

三井さんは何処を歩くかな?初めてのフィリピンを巡りながら,暫くしたら災害地にも行くかもしれませんね。
「旅空日記」を開いたら、東ティモールのステキな写真が載っていました。凄惨な紛争の後、21世紀になってやっと独立した小さな国。でも写真はのどかで美少女が多い。
フィリピンのレポートも楽しみです。


今時分こんなに実をつける木って、いつどんな花が咲くのか、今度見たいものです。
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まだカメラがおかしいのかなあ???ピントがイマイチ甘いみたいで?私のせい???
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by hisako-baaba | 2006-02-20 10:46 | Comments(4)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
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