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福島の放射線量------ローマからのメッセージ
福島の放射線量が、危険水準になっているのに、隠蔽していると、sideさんがかいておられます。行って見て下さい。

反原発デモで、大きなうねりが起きていることについて、junkoさんもいろいろ書いておられます。行って見て下さい。
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by hisako-baaba | 2012-06-30 22:14 | Comments(0)

民謡コンサート
民謡を聞きに行ったのは初めてです。
公民館で500円のコンサートは満員でした。
遅く行ったのですが、一人なので一番前の端に案内していただけました。
あまり上等でないスピーカーの前に座ってしまい、大音響に困りましたが、いい声の歌い手さんでした。
おもだか(沢瀉)秋子民謡コンサート。尺八は弟の 誠さん。お姉さんは2歳から舞台に立ち、弟も3歳から三味線尺八太鼓で舞台に立っているとのこと。

プログラムが凄い。
五木の子守唄、長崎ぶらぶら節、おてもやん、伊予節、安来節、郡上節、郡上春駒、佐渡おけさ、出雲崎おけさ----ずっと弾きかたり、端唄までいれて、梅は咲いたか、吉原さわぎ、
民謡に戻って、草津湯もみ唄、秩父音頭、新相馬節、会津磐梯山、南部牛追い唄---汗だくで一挙に演奏。休憩中に着物から洋服に変えて、二部は津軽三味線と沖縄のサンシンを持ってきて、十三の砂山、津軽じょんがら節の曲弾き、古調あいや節、さんしんに持ち替えて、花、てぃんさぐの花、安里屋ユンタ----涙そうそうをみんなで歌い、津軽三味線に持ち替えて、秋田長持唄、秋田荷方節、津軽甚句----
26歳の若さで歌いまくりました。
埼玉出身で、青森から沖縄まで何でも唄う珍しい歌手。民謡マルチプレーヤーと自称。太鼓も習っているそうです。
ワンコインのコンサートなんだから、2000円のCDを買ってくださいと、宣伝していました。

楽しめましたが、目の前の大音響で、疲れきってしまいました。
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このフクロウくん、なんでしょう?
蚊取り線香入れかと思ったら、後ろの蓋は小さかった。何をいれるものかしら?
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by hisako-baaba | 2012-06-30 18:00 | Comments(0)

便利な洗剤情報
昨日体調が悪いのに、換気扇の掃除をしたのは、ちっとも大変じゃないからなのです。
ベタベタの油汚れは漬け置いただけで、こすっていません。

その洗剤を訊かれたので、おつたえします。

職業訓練校ビルクリーニング課でプロに習った裏技です。
衣料用酸素系漂白剤を使います。意外でしょ。

実は、他にワイドマジックリンなる商品があって、こびりついた油汚れをつけ置き洗いしなさいと書いてあります。でもこれは値段が高いのです。
もっと安い、ワイドハイターとか、カラーブリーチなどと言って売っている(液体でなく顆粒状の方)衣類の酸素系漂白剤が、実は同じ成分なのです。
だから、安い方を、ワイドマジックリンの説明書通りに使えば良いわけです。
ぬるま湯 1リットル当たり、9グラムです。汚れによって、30分から4時間、漬けて置きます。

私は、シンクにお湯を少し張って、45リットルのゴミ袋を置き、カップ1杯半以上のワイドハイターかカラーブリーチを入れ、50度くらいのお湯を注ぎかきまぜます。その中に、油汚れのひどいものを入るだけいれます。ガスレンジの五徳なども。
そのまま2~3時間放置、あとはすすいで乾かすだけ。こすらなくても綺麗に落ちています。

簡単でしょ。

換気扇の分解は、まず電源を抜いてから、羽根やドラムを逆ネジで外せばいいのです。たいした手間ではありません。
それより私は部屋の掃除の方が苦手で、ついサボってしまいます。
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by hisako-baaba | 2012-06-30 10:32 | Comments(6)

6月29日官邸前に集結した国民の怒り
金曜日ごとに数を増す、怒れる国民のデモ。マスコミも流石に無視できなくて、少しだけ報道されましたが、まだまだ少ない。sideさんが参加されました。写真も載っています。

それから、先週に続いて、2度目の参加をなさった、yumiyaneさんもたくさんの写真や動画を載せておられます。是非お二人のページを見て下さい。

あとでいろいろ情報を集めてご紹介したいと思いますが、とりあえずsideさんと、yumiyaneさんの所に行ってみてください。
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怒れるフクシマのかんしょ踊り。
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by hisako-baaba | 2012-06-30 09:36 | Comments(6)

福島の放射線量が跳ね上がっている
福島の放射線量が跳ね上がっているという武田先生の記事をsideさんが掲載されています。怖い話です。福島の子供達は守られていない。情報隠蔽が続いている。一体どういうこと???
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by hisako-baaba | 2012-06-29 18:31 | Comments(0)

換気扇分解掃除---専門医への紹介状
今朝は頭痛がして、何もしたくなかったので、気付け薬休憩をして 、昼寝しようと思ったのです。でも、頭痛が消えると急にレンジフードのフィルターのドロドロ汚れが気になって、踏み台に乗ってフィルターを外しました。
ところがその奥の、換気扇ドラムもはずしたくなって、大掛かりな分解掃除を始めてしまいました。
得意な仕事なので、さっさと電源を抜き、蝶ネジ4本外して枠を取り、逆回しのネジを外してドラムを引き出しました。
ポリ袋に酸素系漂白剤とお湯をいれて、汚れ物を全部漬け込み、油汚れが落ちるまで、放置しました。
じっくり待ってから、フィルターをつけ、全部のパーツをもとにもどして終了。

いいえまだ、フードの汚れはとっていません。いつもならティッシュペーパーを貼って、洗剤で湿布をするのですが、きょうはスーパークリーナーを塗りたくって、明日拭き取るつもりで放置してあります。
それにしても何で急に元気が出たやら?私の気付け薬はすごいです。

それでも午後には内科に行って、専門医への紹介状を書いて貰いました。
ひと月経とうというのに、治った気がしないからです。この際徹底的に調べてもらいましょう。
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by hisako-baaba | 2012-06-29 17:55 | Comments(6)

福島の嘘 もう一つのうそ ----- 国の言いなりで死んでたまるか
sideさんが、線量計を持って福島市に行かれたそうです。28日の三つの記事をご覧ください。

こんなにも線量の多いところで元気に遊んでいる子供達。将来が心配でなりません。

山下教授が大丈夫大丈夫と力説したために、将来何が起きるか恐ろしいです。
だから、8月に郡山に行っても、放射線の話は口に出せないでしょう。

それだからこそ、昭和20年に政府の命令に従った人たちがどれほど死んだか、聞いていただきたいのです。
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あの頃のお父さんたちは、大抵兵隊に取られていましたが、同級生のお父さんは珍しく家に居ました。
だから立派な防空壕を作りました。一家5人が入れる広さの穴に、屋根をつけて、その上に土をどっさり被せて、入り口にはドアもついていました。

5月の空襲で、一家が防空壕に入っていた時、焼夷弾が、防空壕の屋根を突き破ってお父さんに当たりました。
それは不発弾で燃えなかったから、一家全滅はまぬがれました。でもお父さんは死にました。

防空壕に入らず、西に向かって逃げていたら、死なないで済んだはずです。
防空壕に入って居ろという命令に私は疑問を感じたから、入らなかった。誰が何と言おうと じぶんの感覚をこそ信じるべきではないでしょうか?

で、我が家にも南風に乗って真っ黒い煙が流れてきました。隣組の組織は全く機能していなかったので、母と二人で西に逃げました。3キロ先の原っぱに着いて辺りを見回したら、360度どっちを見てもあかあかと燃えて居ました。ただし山の手空襲は、3月10日と違って、絨毯爆撃でなく、飛びとびにばら撒いたので、逃げ道は有りました。
翌朝、戻って見ると、奇跡的に我が家の一帯は焼け残っていました。風向きが逆になったそうです。
あの時代の東京では、最高に恵まれていました。戦争で誰も死にませんでしたから。

そんなに恵まれていても、私は学校を続けられなかった。戦争はとにかくむごいですよ。
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by hisako-baaba | 2012-06-28 21:47 | Comments(2)

戦争体験の話をまとめながら
太平洋戦争で、どんな事が有ったか、いろいろ語られてはきましたが、女学校2年生が東京で体験した話は、案外珍しいのかも---

爆弾と焼夷弾は、全く別物だって、ご存知でしたか?
焼夷弾では爆風が起きないってことも。

山の手では、爆弾の音は聞いたことがありません。近所に工場がありませんでしたから。
焼夷弾はザーッという音を立てて降り注ぎます。ものすごい数です。何しろ、一つ落としても38発に別れて飛び散るんですからね。それを立て続けに落とすんですからね。
B29の爆音は、今も覚えています。それが何機も整然と編隊を組んでやってきます。
高射砲で迎え撃っても届かない高さを平然とやってくるのです。実に美しい銀の翼、憎たらしかった。

日本向けの焼夷弾は、畳で止まって燃えるように 研究し尽くされていたなんて、ご存知でしたか?
当時日本では、アメリカがそこまで準備して戦争をしていたとは、夢にも知らなかった。
百年前の江戸火消しの道具で、焼夷弾が消せると思っていた政府のアホらしさ、当時の私たちも、その程度に無知だったのです。
アメリカ本土を攻撃したくても、飛行機も航空母艦も足りないから、風船爆弾を飛ばしました。
ゴムが無いから、風船は和紙とコンニャクの糊で作り、焼夷弾をいくつか積んで、気流に任せて飛ばしたけれど,大半は海に落ちたようで、アメリカ本土まで届いたのは、まれだったようです。
資源が何にもないのにアメリカの底力を知らないまま、「窮鼠猫をはむ」で起こした戦争は、ものすごい損失、数えきれない悲劇をもたらしました。
何も知らない私たちは、大東亜戦争は正義の戦と信じていたのですけどね。

私だって、防空壕に入っていることが何より危険なんだと、はっきり知っていたわけではなく、
何となくカンでこわいと感じただけでした。
サバイバルには自分の第六感が大事です。嫌だと感じたものには近寄らず、みんなが行く方角が嫌な感じなら、一人でも別の方向にゆく。
非常時に頼れるものは、自分のカンだけなんですね。

ステープルファイバー(スフ)と言う化繊、ごぞんじですか?べろんべろんとだらしなくなる布。そのブラウスを着て椅子にもたれていると、背中にシワがくっきりついてしまいます。
そのヘチマ衿ブラウスが、女学校の制服でした。
その学校の制服は本来、三本線のセーラー服で、憧れでした。
昭和19年に入学したら、細いヘチマ襟のブラウスに変わっていました。がっかりで、以後私はヘチマ襟が嫌いになりました。

そこまで資源が無かったのは、アメリカ、イギリス、中国、オランダの四カ国が手を組んで、日本には資源を売らないことにしていたからです。
鉄も、非鉄金属も、石油も石炭も、ゴムも綿花も、ウールも、何も輸入できなかったから、女学生にセーラー服なんて生地のたくさん要るものは、着せられなかったのです。
軍服の生地だって足りなかったのですから。

スカートの記憶はありません。みんなモンペを履いていました。 当時のモンペは着物用の直線裁ち、股上がやたら長く、足が短いのでしたが、格好悪いので、私はズボンの型紙で、作っていました。
幸い古い足踏みミシンがありましたから。
ただし、ゴム紐はないから、前と後ろを分けて、それぞれに紐をつけ、袴のように結んでいました。

女学校は、一年生だけに授業があり、2年生以上は工場に勤労動員に行かされました。
一年の時鼓笛隊に入り、2年生になって、戦争が終わっていたら、お琴を習うつもりでしたが、戦争はなかなか終わらず、学校は焼け落ちてしまいました。
敗戦後、学校は近所の小学校に間借りして、午前と午後の二部授業で再開しました。
教科書には墨を塗る箇所がたくさんありました。歴史の教科書はほとんど墨で塗りつぶされ、まともな教科書がないので、歴史の先生は困って、物語の読み聞かせだけしていました。
やがてそんな女学校へも私は通えなくなりました。
父の遺産が消えてしまったからです。遺産の母の分は、一時払いの郵便年金にしてあり、毎月食べてゆける金額が入るようにしてありましたが、猛烈なインフレで、年金一月分では、パン一個しか買えない事態になっていました。全財産を郵便局に預けていたから、新円切り替えで、お札が変わった頃には、価値がまるでさがっていたのです。インフレを抑えるため、毎月500円しか下ろすことができず、食料配給は遅れて、米の代わりにフスマ(麦の皮)が配給されたり、闇値は釣り上がる一方なので、まったく暮らしが成り立たないのでした。

「戦争とは、ひもじいものだ」が、私の印象。焼夷弾より、ひもじさの方が恐ろしかった。それで私の背丈は147センチから伸びられなかった。今はもっと縮んでしまいました。

まあそんな話をこれからじっくりまとめてみます。
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by hisako-baaba | 2012-06-28 00:05 | Comments(4)

戦争体験の話
家に引きこもっているので、8月に郡山で語るお話を考えています。

戦時中の政府の命令は、ことごとく不合理だった。言われるままに防空壕に入っていた人々は、蒸し焼きになってしまった。
焼夷弾火災に備えよと、江戸時代の道具を買わされた。ちっぽけな防火用水に、火叩きと鳶口、江戸火消しの道具が焼夷弾の油火災に使える訳がないのに。

政府の言うことを、丸呑みにするのは恐ろしいことだと、暗に言いたいのですが---

その話の前振りに、爆弾と焼夷弾の違いから説明しようかと---
戦後何十年も経って知ったことですが、アメリカは、アリゾナの砂漠に日本家屋を建てて、焼夷弾が瓦屋根を突き破って、畳の上で止まって燃え出すには、先が尖っていない方が良いとか(畳を突き抜けて、地面に刺さっては効果がなくなるから)研究を重ねて作った、直径8センチ高さ50センチの六角柱。中にナフサとパームやし油のゼリーを詰めて、19本をハガネのバンドでまとめて、それを2段重ねにし、合計38発が、一個の焼夷弾としてB29爆撃機からばら撒かれる。
つまり、空に撒かれた焼夷弾はそれぞれ38発ずつに別れて飛び散る。長いリボンの尾を引いてそれが燃えながら落ちてくるから、ナイヤガラの花火のよう。

紙と木の家の畳の上でガソリンのゼリーみたいなものが燃え出したら、小さなバケツで水をかけても助からない。
火の雨が降ってくる前に、飛行機の向きを見て、横っ飛びに逃げるしかないのに、市民は「防空壕に入っとれ」と命令されていた。「江戸火消しの道具で、精一杯街を守れ」と命じられていた。
「さっさと逃げろ」とは誰も教えなかった。だからどこの空襲でも焼死者が多かった。
軍部は、敵の兵器の性能をまるで知らなかったのか、トンチンカンな命令ばかり出して、非戦闘員に多大な犠牲者を出してしまった。

焼夷弾は住宅密集地を焼け野原にし、女子供を多数殺戮して、戦意を失わせようという目的で撒かれた。
頑丈なコンクリートの工場などへは、爆弾を落とすが、住宅街に爆弾を落としても効果は薄い。
住宅地に爆弾は落とされないのだから、防空壕は必要ない筈だった。焼夷弾は、爆発しない。ただ燃えるだけ。穴の中にいたら逃げ遅れるだけなのだ。
でも一家に一つ、防空壕を掘れと命じられ 庭のない家は、畳を上げて床下に穴を掘った。
そんなところに潜っていたら、外の様子もわからないまま、蒸し焼きになってしまう。

私も12才か13才の頃、防空壕を一人で掘った。軍需工場に行っているおじさんから、覚せい剤のヒロポンを2錠もらって飲んだ勢いで、ひとりで掘り上げてしまった。
命令だから掘ったけれど、恐ろしくてはいる気になれなかった。燃え出したらさっさと逃げる気で、空を睨んでいた。

当時ヒロポンは覚せい剤だとは誰も知らず、工場の夜勤などで居眠りしないよう「元気が出る薬」として配られたらしい。
それが戦後のヒロポン中毒大流行に至ったのかも。

14才の誕生日から一週間目に戦争が終わった。
ますます食糧難になって、飢え死にしないよう、サバイバルゲームが始まった。
私は闘い続けた。インフレで父の遺産が紙くずになってしまったから。
駅前でノートや飴をメガホンで叫んで売ったり、色んなことをしてから、バスの車掌になって暮らしは安定したけれど、夜学に行くことはできない仕事だった。

まあそんな少女時代のサバイバルの話をしようかと------mi-mamaさん、こんな話にエピソードを挟んで、膨らまして行ったらどうかしら?
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by hisako-baaba | 2012-06-27 12:14 | Comments(8)

コスプレ写真
最近では、便利な写真スタジオがあちこちに出来ていますね。

娘たちが里帰りした時はまだそういうお店が少なく、遠くまで行って家族写真を撮りました。
スペインの婿さんにも大きなサイズの紋付羽織袴を着せたらあんまりよく似合うので、びっくりしました。

東京の孫たちは、度々こんな写真をとっています。コスプレってたのしいですね。
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今日も体調すぐれずぶらぶら。痛いわけではないけれど、だるくてやる気が出ません。
明日の「なごみサロン」はお休みします。

ただし、語りの練習はやっていますよ。
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by hisako-baaba | 2012-06-26 22:17 | Comments(4)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
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