西郷山と“南北に”対峙する東山・・・幼い日・・・⑧

東山は何処に対して東なのでしょうか?西に行っても山は無いのですが?。
南は平坦な連兵場で、周りを一周すると一里(4Km)と言われていました。
北側は目黒川の谷を挟んで向かいが西郷山。西郷従道さん(上野の西郷さんの弟)のお屋敷があったそうです。どんぐりや松ぼっくりの拾える山でした。目黒川の南、今の山手通りを東に行けば中目黒駅。西に行けば路面電車の玉電が走っていた大橋。どちらの駅も家から1キロほどでした。
玉電は渋谷から二子多摩川までのちんちん電車です。渋谷、道玄坂上、大橋、池尻、三宿、三軒茶屋と細かく停まりました。今でも三軒茶屋から下高井戸までの支線は残っていますが、玉電の本線はとうに無くなって、地下を田園都市線が走っています。小田急江ノ島線の中央林間まで延びて、都心へは地下鉄半蔵門線と直通運転で便利にはなったでしょうが、渋谷から三軒茶屋までの間には一つしか駅がありません。なくなった三つの駅の辺りは不便になったことでしょう。
我家の前から練兵場の縁を西へ道なりに行くと左側に警視庁住宅と言って、小さな木造家屋が並んでいる所がありました。右側へ少し下った辺りには、傾斜地の中腹にきれいな池が有って、清水がこんこんと湧き出ていました。危ないので近寄らせてもらえませんでしたが、とても静かで美しい場所でした。もちろん戦後に池は容赦なく埋め立てられて住宅地になってしまいましたが。
東山は高台なのに地下水が豊富で、練兵場の東北の隅は、少し傾斜していてあちこちから清水が少しづつ湧き出ていました、粘土質の赤土からちょろちょろ流れ出る清水をいじって遊んだものです。赤土の荒地にところどころ草むらが茂っている、練兵場はそんな広っぱで遊ぶには素晴らしかったけれど、乾燥すると土ほこりがもうもうと舞い上がって、家中じゃりじゃりになるのでした。



孫達にプレゼントを用意しました。お姉ちゃんには絵本と万華鏡。
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妹にはぬいぐるみ。
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そして二人がやってきました。
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あーあ・・・ピンボケばっかり!でも撮り直しはきかない・・・残念。
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# by hisako-baaba | 2006-01-14 13:48 | 我が家の歴史 | Comments(2)

キャラメルが一箱5銭と10銭でした・・・幼い日・・・⑦

母も私も買い物に行くことを楽しんでいたように思います。歩くのは好きでした。駅よりも遠い伊勢脇通り(現 中目黒銀座商店街)にも時々行きました。ここは賑やかで何でも揃っていました。切通しの道を横切って烏森小学校の方から近道をして行ったように思います。途中に鴻の巣松稲荷という小さい神社がありました。江戸時代にはここの松にコウノトリが巣を作っていたのだそうです。

中目黒駅近くの川岸にも市場が有りました。八百屋のおじさんが「美味しいよ」と言っていきなりきゅうりをかじって見せたのを鮮明に覚えています。洗いもせず、何もつけずにかじったので、私はびっくりしたのです。
何処にお菓子屋さんがあったかほとんど記憶にありませんが、森永ミルクキャラメルや佐久間式ドロップスを時々買ってもらいました。
でも駄菓子屋さんには入ったことがありません。母は汚いと言って私を近づけませんでしたし、私には友達が一人もありませんでしたから、駄菓子屋が何処にあるかも知りませんでした。

キャラメルは大きい箱が10銭。小さい箱が5銭でした。5銭のでも8粒か10粒くらいは入っていたように思いますが、私は一度に食べたりはしない子なので、いつも大きい箱を買ってもらってたまに一粒口に入れるのでした。キャラメルだけは歩きながら食べてもよかったようです。

もっと改まったお買い物には渋谷の東横デパートや、日本橋の三越、高島屋、白木屋などに行きました。
白木屋百貨店の中には有名な井戸が有ってこんこんと美味しい水が沸いていました。。戦後白木屋は無くなり、東急百貨店になったでしょうか、それでも地下に“白木名水”は湧き出ていました。百貨店が無くなった後、あの名水はどうなっているでしょうか?
どのデパートも上の階には見晴らしの良い大食堂があって、私は大抵お子様ランチを食べて、チキンライスの上に立っている旗を持って帰るのでした。それからウエイトレスが、子供の椅子に座らせてくれる時、胸に掛けてくれる紙のエプロンも持って帰るのでした。

昭和10年前後、中国大陸ではどんどん戦争が広がって行きましたが、東京はまだまだのどかな時代でした。


万華鏡の中の刹那
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今日早朝隣町で火事があり、密集した住宅四棟が全焼して、5歳の女の子が死にました。
雪害による死者も酷いですが、この寒さで火災も増えて死者もかなり出ていますね。
その同じ町で3日前にも三棟が全半焼して、電車が1時間停まったばかりなのです。このときは朝の9時過ぎだったので死傷者はありませんでしたが、駅のホームの隣だった為電車は通れませんでした。前が消防車の入れない狭い道なので、公園を隔てた商店街からホースを引っ張ったそうです。踏み切りの反対側からも放水したのでしょう。駅のホームは水浸しだったと聞きました。

隣町とは区が違うのですが、わが町は20年から30年くらい前の時期、大変火災の多い街で、大きな火災の記憶が沢山あり死者が何人も出ていました。当時私たちの区では北側に火災が多く、南西側は豊かな住宅街なのに殺人事件が多く発生していました。古戦場だった辺りに殺人が起きやすいのは、何かの因縁だろうかなんて思ったものです。火事が続くのも何故だろうと・・・
でも近年この町に大きい火災はほとんど起きていません。このまま平穏な街であり続けて欲しいものです。
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# by hisako-baaba | 2006-01-13 17:29 | 我が家の歴史 | Comments(2)

いちいちキャベツを断ってコロッケを買った話・・・幼い日・・・⑥

私が学校に上がるより前、女中のみよちゃんが嫁に行きました。それからは誰も雇わず、母が家事を始めたのです。
買い物には私もついて行きました。お店は坂を下りて今の山手通りの近くに行かないと有りません。何処のお店に行くかによってどの坂を下るかが決まります。私には坂ごとに違う雰囲気が楽しめました。西寄りの坂の途中には大きいお屋敷が有って傾斜した敷地の上の方、東南の角に大きな大仏さまが塀の上まで姿を見せていました。あの大仏様今も有るでしょうか?
急すぎて歩きにくい坂も有って、雨が降ると赤土が滑りやすく私は通れませんでした。当時大抵の道は土のままだったのです。
大通りに出る手前に肉屋さんが有ってコロッケを揚げていました。出来合いのお惣菜は買わない母でしたが、コロッケだけは私がねだったのでしょうか、たまに買ってくれました。そのとき決まって『キャベツいりません』と断るのです。当時コロッケにはせん切りキャベツがサービスでついていました。言えばソースだってかけてくれました。でも母は『洗わないキャベツなんて汚い』と言うのでした。お店では大きなキャベツを丸ごと上手に刻んでいました。(母は葉っぱを一枚一枚洗うのです)
普通は経木(木を薄くスライスしたもの)にキャベツをこんもり載せてその上にアツアツのコロッケを並べ、やはり木で出来ているような?薄く平たい紐で器用に結んで新聞紙にくるんでくれるのですが、母はコロッケだけを包んでもらい、家に帰ってキャベツの葉を洗って切るのですが、これがえらく大雑把で太めなのです。母は肉屋さんのように細く綺麗に刻もうと言う気がまったくなかったようでした。



金柑のあるマンションの植栽  この木何の木?
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# by hisako-baaba | 2006-01-12 17:32 | 我が家の歴史 | Comments(4)

美味しかったホワイトジェノア種の無花果・・・幼い日・・・⑤
昔、電鉄会社が開発した新興住宅地は一区画300坪くらいが普通だったように思います。今の十倍ですね。
我が家の庭も広かったので、果樹も色々有りました。裏庭の胡桃は大木になっていて毎年沢山実り、トンカチで叩き割ってもらって、ほじくるのが好きでした。鬼胡桃だと思います。
イチジクも3~4本ありました。一番甘くて美味しいのが「ホワイト ジェノア種」(白)で甘くないのが「ドーフィン種」(赤)、他の赤イチジクはかなり甘いほうでした。
ホワイトジェノアの美味しさが忘れられず、『いつか広い庭をもてたら、ホワイトジェノアと、胡桃を植えよう』というのが私の7歳からの夢でしたが・・・果たせませんでした・・・
いちじくで思い出すのはカミキリ虫との闘いです。この虫は幹の中に卵を産みつけ、幼虫は幹を食べながらトンネルを掘り進んで行きます。当時の駆除法は、穴の中に猫いらず(殺鼠剤)を押し込んで、蓋をするのです。中の幼虫は猫いらずに触れなくても中毒死するらしいです。それでも綺麗な成虫が何処からとも無く飛んできて産卵を続けるのでした。いちじくの幹は柔らかいので幼虫の食料に最適なのでしょう。
いちじくの実や葉を取ると白い液体が出てきます。これがイボの薬だといわれていて、手に次々出来るイボにつけていましたが、ウイルス性のイボに効いたとは思えません。
柿も何本かありました。一本は渋柿で『蜂屋柿』といいました。干すと中身が蜂蜜のように甘くなる大型の柿で、木で完熟するともっと甘くとろけるのでした。
花木も色々有って、当時のバラを引越しの度に挿し木を持ち歩いて今に至り、四季咲きとつるバラ、いずれもピンクが一本づつ残って居ます。今も寒空につぼみを突き上げているバラがその一本です。(1月6日写真掲載)
小学一年の頃なぜか庭の沈丁花を数えて13本だったことを覚えています。母が挿し木で増やしたのでしょう。桜や皐月やツツジや椿などもありました。庭で一番大きい木は「ヒマラヤシーダー」と呼んでいたヒマラヤ杉で、見事な円錐形でした。
犬を自由に遊ばせていたので、草花は少なかったけれど、ガーベラ、スミレ、パンジー、シャスターデージー、マリーゴールドなどがありました。

大正14年に建てた家には、昭和14年以後、大連から帰った貿易商の方が何十年も住み続けられましたが、今では跡形なく、紫色の安っぽいマンションが敷地いっぱいに建っています。


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去年近所に建ったマンションに植えられた金柑。色づくのを楽しみにしていました。
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販売合戦の激しい中で、植栽にたいそう気配りをしている綺麗なマンションです。
春の花と秋に色づく様々な木を上手に植え込んでいます。道端の金柑には驚きました。
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# by hisako-baaba | 2006-01-11 17:34 | 我が家の歴史 | Comments(2)

我が家の犬達・・・幼い日・・・④

番犬の必要もあって、父は血統書つきの名犬を買うのが好きでした。
一時期、ブルドッグを何頭も飼ったようです。一頭だけチャンピオン犬で、気立てもよくて賢い、ヘンリーという雄犬が居たそうですが、頭の悪いブルドッグも居て、遊びに来た従姉の顔に噛み付いて大変だったそうです。
これもやはり私の記憶にはありませんが、血統書付きのエアデールテリアを買って訓練をしていたそうです。そこへ陸軍から、「軍用犬の研究を始めたいので賢い血統の犬が欲しい。売ってもらえませんか」と頼まれて、気前良く只で献納したそうです。しかし軍用犬はシェパードに決まったので、エアデールは戦場には行きませんでした。
私が四歳ぐらいの頃父はやはり血統書付きの柴犬を買いました。よほど悪い店から買ったようで、悲惨な育ち方をしたらしい犬でした。人間を一切信用せず、飼い主をボスとは認めません。家族の誰にも牙をむいて威嚇するし、餌を与える人にまで牙を剥いてうなりながら食べる始末。とうとう父はかんしゃくを起こして犬小屋をひっくり返して閉じ込めたこともありました。この憐れな犬は病気も持っていたらしく、幸せになれないまま死んでしまいました。
父はその後血統書つきの犬を買いませんでした。

私が五歳頃、一番上の兄と朝の散歩に出たら、草むらに白と黒のぶちの子犬が5匹捨てられていました。私はつれて帰ろうとし、兄がお父さんに聞いてからと言うので、息を切らして走って帰りました。父は一匹だけなら飼っていいと言ってくれたので、母を引っ張って拾いに行きました。母は「鼻が黒くて口の中の上あごに黒い部分が多いほど利口な犬なのよ」と言い、一番賢そうなのを飼うことにしました。あとの四匹が心配で兄と度々見に行きましたが、午後までにみんな拾われて箱は空になっていました。当時は番犬の需要がありましたから。
その晩が大変でした。門の扉を引っかいて乗り越えようと飛びつく音が続き、父が起きて出てみると母犬が来ていました。子犬たちが捨てられた所から一番近い我が家を探し当てたのです。引っかき傷だらけになった門扉を開けてやると一目散に台所の吾が子に駆け寄って乳を飲ませました。
子犬が乳離れしてからも母犬を飼って欲しいと父に頼みましたが、この時だけは父に拒否されました。初めて私の言うことを聞いてくれない父親を見て私は泣き叫んだけれど、メスは子を産むから駄目といわれました。幸い近所に田鎖さんという速記を発明した人の息子さんの家があって、母犬を番犬にと飼って下さいました。
私がペルと名付けた子犬は本当に賢くて気立ての良い犬でした。ペルというのは私が作った物語の主人公で大変賢い犬の名前なのです。小学生全集のフランダースの犬を読んでもらってから、私は自分でペルの物語を作っては母や、女中のみよちゃんに語り聞かせていたのです。
父が亡くなって小さい家に移ってからも、ペルはご近所にも可愛がられて繋がれず自由に暮らしていました。戦争が広がった頃、ペルは急に黄疸になって、死期を悟ると黙って家を出て、裏の家の前で死にました。犬は飼い主に死に様を見せないのだと近所の方は言いました。我が家では雑種のペルのほうが血統書つきの犬たちよりも賢かったようです。
街に犬猫病院は無く、犬を獣医さんに見てもらうなど考えられない時代でした。


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話は変わりますが・・・・・・
ブログ仲間のkomakoさんが百キロ以上はなれた病院に通院するときいてびっくり仰天!
でもちょっとだけ解ってきました。田舎の距離感覚。車走らす人と、歩く人の感じ方の大きな違い。
私は夏に20キロ離れた公園に行きたいと地図を広げてみました。でも電車とバスを乗り継いで、片道2時間以上かかるのでやめました。
息子達は車でウチに来ることもありますが、バスで来ることもあります。
都心に出るときは電車の方が速いそうです。道路は渋滞するし、駐車場は見つけにくいし、路上駐車すればレッカーで持っていかれちゃう。東京でカーライフは逆に不便なんですね。
保育園通いと病院通いの為だけの車になっているようです。
私は酔うから車は欲しくありません。毎日買い物に3キロ以上歩くし、たまに都心も歩き回る。
膝に問題を抱えているから、筋肉を鍛えなくちゃならないのです。ただ20キロ先まで2時間もかかる場所もあって、そんなときは車なら速いのになあと思います。

田舎の百キロは私の十キロより近いのでした。
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# by hisako-baaba | 2006-01-10 11:30 | 我が家の歴史 | Comments(7)

むかしの泥棒・・・幼い日・・・③

大正末期に開発された新興住宅地の一番南の端に有った我が家。隣の地所は空き地のままだし、前は練兵場の広い原っぱ。泥棒に狙われやすかったようです。
建てた時は綺麗な生垣をめぐらせていたようですが、敷地内に入り込まれることも度々有ったとか。
そこで父は私が生まれた頃に、綺麗な生垣を無粋なトタン塀に変えました。
美しい洋館にトタン塀ではイメージぶち壊しですが、もうほとんど収入が無かったから仕方がなかったのかもしれません。門だけは石の柱に大きな木の扉でした。

私が物心ついてからも、一度だけ夜中にどろぼうが入りました。父は一向にあわてる風も無かったし他に何を盗まれたのかおぼえていませんが、金縁メガネのレンズだけ応接間の棕櫚竹の根元に残してゆきました。金のメガネ枠には価値があるけれど、レンズは持ち主以外には無価値だから、わざわざはずして置いて行ったのです。別の枠にはめればすぐ使えるという思いやりでしょうか?昔はどろぼうでさえこんなゆとりを見せる時代でした。


12月26日に写真を載せた、あのふきのとうが凍ってしまいました。
少しも大きくならないので収穫しようと思ったら凍っていて手では採れませんでした
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# by hisako-baaba | 2006-01-09 12:14 | 我が家の歴史 | Comments(2)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
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