電車のドアが閉まらず命がけだった通勤・・・幼い日・・・⑱ 

学校を辞めて仕事を探しました。女中求むの新聞広告を持って横浜の日吉まで行った事があります。丘の上に立つ新しい邸宅で、ヤミ成金のお宅のようでした。女中頭らしき人が『あなたが?お仕事なさるの?』と不思議そうに訊き、主人の面接もなしに断られました。私はどう見てもまるっきり子供でしたから女中奉公が勤まる筈もありませんでした。
甘味処の住みこみ店員に世話してくれる話が有って、柳行李(荷物を入れる籠)に乏しい衣類を詰めたけれど、面接にも行かず話しは立ち消えになりました。
自分で見つけたのは九段下の写真屋の店員。初任給250円で300円になるまで毎月10円アップ。床屋の片隅に机を置いて、現像焼付けの受付をするだけ。店主の青年は技術が未熟で、お客からはクレームが絶えません。複製を頼まれたときなど、全くいいかげんな出来でお客も私もがっかりでした。
毎日1回やってくる店主はアパートの押入れで作業をしていました。来られない日は夕方私が世田谷まで売り上げと注文を届けに行きます。小さなアパートの戸口で同居の女性に渡して帰るのでした。
当時一番恐ろしかった思い出は、帰りの東横線のドアが閉まらず、はみ出したまま走られたことです。電車は車両も焼けてしまって少なく、運転士も少なく、とにかく本数が少なくていつも超満員でした。一台待てば乗れますが、何分待つか分からないので、無理やり体をねじ込んだところで、そのドアは閉まらないまま発車したのです。進行方向左側のドアで、私は何処にもつかまって居らず、右腕が壁と人の間にきつく挟まれているだけ。右脚は床にあるけれど左手左足は半分車外に出ている状態。渋谷を出て線路は右にカーブします。恐ろしかったです。戸口に居た何人かは。外に向けて押されるのですから。私の右腕が余計きつく壁に押し付けられたから、外に放り出されずに、並木橋駅(代官山との間に当時有った駅)で止まりました。みんな必死で中に押し込んだら今度はドアが閉まって、命拾いしました。今では考えられない通勤事情だったのです。


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17日に関東大震災の話で、当時の鎌倉大仏の写真を載せましたが、あれは従姉が複製を送ってくれたものなので、ウチのを探したらありました。そしてあれは大仏の前に居た写真屋さんの撮ったものだったと判明しました。
父が撮ったにしては人物の写し方が下手なのでヘンだと思っていました。父ならもっと綺麗に撮るはずなのです。


今日は一日中江戸東京博物館に行っていました。いつもならお友達10人ぐらいに声を掛けるのですが、今日は兄から昔の家のことを聞きたかったので、兄だけに来てもらいました。

本物の鳶口、火叩き、防火用水がありました。
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やっぱりカメラヘンです。自分の腕が悪いのかなと思っていたけどやっぱり何をやってもピンボケなんで・・・これは修理に出さなきゃならないかも。

前のカメラが壊れたのはUSBケーブルの差込口だけなんです。
修理に持って行って、『修理代は高いから』と、そのカメラと同じメモリーを使うカメラを買わされたら新しい方がヘンなのです。

前のカメラで写して、メモリーを入れ替えて新しいカメラからパソコンに取り込むことは出来ます。
でも新しいカメラを修理に出している間、それも出来ません。
メモリーをじかにパソコンに入れることは出来ませんか???
ブログに写真無しでは寂しい気がして・・・困ってます。
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# by hisako-baaba | 2006-01-24 17:26 | 我が家の歴史 | Comments(3)

学べなかった女学校・・・幼い日・・・⑰ 

希望の女学校に合格しても期待はずればかりでした。
3本線のセーラー服があこがれだったのに、私たちの年から布地が足りないからと、へちま襟の上着にもんぺでした。それもべろべろの『スフ』と言う布地。「ステーブルファイバー」とか横文字を使っていたのがおかしいけれど、あれはなんの繊維だったのでしょうか?皺になりやすく縮みやすく、厄介な生地でした。
どうにか勉強できたのは1年のときだけでした。それだって、元陸軍士官の“教練”の授業があって、全校生徒が分列行進をさせられます。学校で一番背が低かった私はいつも先頭。先生の指示がはっきりしなくてまごつけば恥をかく、一番辛い授業でした。
音楽だけは楽しくて、みんなが「怖い」と嫌う気難しい男の先生に、私は怒られたことがありません。鼓笛隊で勇ましく笛を吹くのも楽しみでした。横笛で歯切れの良い音を出すことが出来ましたから。2年になったらお琴を習える。それが一番の楽しみだったのに、その前にお琴も学校も焼けてしまいました。
昭和20年になると学校の近くの軍需工場に動員が決まっていました。ところが私たちが働きに行く前に爆撃で焼け落ちてしまったのです。しかし焼け跡には真鍮と鉄の部品が沢山灰に埋まっていたので、それをより分ける作業に動員されました。夏まで炎天下で黙々と灰の中から金属をより分けているうちに、私は気管支炎になり休みました。ほぼ治って明日あたり出勤と思っていた日に、玉音放送(天皇陛下が、戦争を終わらせたことを告げる放送)があったのです。
とても暑い快晴の日で、どこに行っていたのか私は12時に4~5分遅れて帰宅。家の角を曲がらないうちに、角の家から放送が聞こえ始めたこと。家に駆け込んで耳をそばだてたこと。負けたらしいと分かってぼんやりしたことを記憶しています。
それからだんだんにアメリカ軍が進駐すると聞かされました。母はアメリカ暮らしの経験があるし、それほど恐れては居ませんでした。女の子は危ないとか言われたけれど、私は爆弾や焼夷弾がもう降ってこないなら、どうにかなるだろうと思いました。
女学校は近所の小学校を借りて午前と午後の2部授業が始まりましたが、歴史教科書など墨で塗りつぶさねばならず、教材もないので先生は困って小泉八雲の怪談を語っていたりしました。結局女学校では普通の教育を受けた記憶がありません。
びっくりしたのは、動員されて工場の焼け跡で金属を拾ったときの給料が支払われたことです。無料奉仕と思っていたし、焼けてしまった会社の何処から給料なんて出せるのかと驚いたのです。幾ら貰ったか記録を失ったのが残念です。これが私の初月給でした。
その後どんどんインフレが進み、一ヶ月暮らせるはずの母の個人年金でパン1個しか買えない状態になって、私は学校を辞めました。

それから56年が過ぎて70歳になった私は、通信制中学校を発見して入学し、去年卒業したのです。七十代の中学生生活はこの上なく楽しいものでした。今も進学を夢見ています。

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雪が降ると、この街なかに”白セキレイ”が現れて必死に餌を探しています。
普段見かけないのに何故でしょう?
2メートルくらいまで近寄れるのですが、私の腕では写真が撮れません。

雪の翌日近所の富士嶽神社の屋根だけに夕日が当たっていました。左側は富士塚です。
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今度のカメラで悩んでいます。カメラは「ピントが合ったよ」とサインをくれるからシャッターを押すのに、遠くは総てピンボケになります。何故なんでしょう?????
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# by hisako-baaba | 2006-01-23 09:39 | 我が家の歴史 | Comments(4)

子供にも分かるほど馬鹿げた事だらけだった戦争・・・幼い日・・・⑯
江戸時代の火消し道具で、焼夷弾を消せと・・・
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(左から火叩き、防火用水、鳶口・・・ミニチュアを作ってみました)


戦争ほど愚かなことは無いのにそれが分からないで、ずいぶん無駄なことを人類は繰り返していますね。
太平洋戦争を終わらせるのも一部の指導者が愚か過ぎたためにずいぶん遅れてしまいました。原爆前に、ソ連参戦前に、降伏出来たらどれほどの命が救われたでしょう。でも指導者は先が見えなかった。相手の力を理解しなかった。初めから世界を知らずにやって来たことだから終わらせるのも難しかった。所詮無理と判っていた人も多かったのに。

第一当時の指導者が私たちに命じたことの多くが馬鹿馬鹿しいとしか言いようのないものでした。
海岸で女子供に竹槍訓練をさせたなんて、余りにもばかげていました。歴史に学ぶことを全くしなかったのですね。当時、昭和19年から数えれば370年も昔に、長篠の合戦がありました。武田の騎馬軍団が、織田の三千丁の火縄銃によって壊滅したでしょう。優秀な騎馬軍団でさえ火縄銃にかなわないのに、竹槍で上陸用舟艇に乗って来る完全武装のアメリカ兵の前に突撃しろと本気で指導していた馬鹿が居たのです。信じ難いことですが本当です。竹槍(竹の先を斜めに切っただけのもの)の先が相手に届くはずが無いでしょう。

空襲の備えだって実にばかげたものでした。住宅地に降ってくるのはほとんどがM69油脂焼夷弾です。B29爆撃機の編隊はそれを1000発2000発一度に落とすことが出来るのです。その一発が38個の弾に別れて火がついて飛び散るのです。珠すだれのように美しい花火になってザザーッと降って来ます。その火の玉一個が直径8センチ長さ50センチの筒で、中身はゼリー状にしたガソリンのようなものです。日本家屋用にアメリカが研究開発したものだから、瓦屋根を破って畳の上で止まるように計算して作られています。
当時そんなことは分からなかったけれど油が燃えることぐらいは判っていたはずです。燃え盛る火が畳の上に居座るのです。それに対して各家庭に備えよと命令され、私たちか買わされたものは・・・なんと江戸火消しの道具でした。

鳶口。(破壊消防の道具。引っ掛けて家を壊す?もの)火叩き。(棒の先に縄の束が付いていて、濡らして火を叩き消すもの)防火用水。50リットルも入ったでしょうか?
これらは江戸時代の火事で使った道具。油火災の役には立ちません。燃え盛るガソリンに小さなブリキのバケツで水を掛けて消える筈はないのです。土嚢が有ればまだましでした。土を撒けば焼夷弾の1本くらいは消えるかも?でも焼夷弾は38本束ねたものが散らばって落ちるのだから、一本だけで落ちては来ません。消火はほとんど無理でした。火炎地獄から逃げられた人は単に幸運だったとしか言いようがないのです。

これは前にも書きましたが、もう一つ子供の私にも馬鹿馬鹿しいと当時からはっきり分かっていた命令が有りました。「各家に防空壕を掘れ」と言う命令です。住宅密集地で庭が無いなら畳を上げて床下を掘れと言うのです。命令だから12~3才だった私が一人で、一応掘るだけは掘りました。
当時軍需工場で徹夜勤務をさせる為に配られていたらしい覚せい剤「ヒロポン」を2錠貰って、その勢いで穴を掘ったのです。半分庭で半分は縁の下に。但し私たちは一度もそこに入りませんでした。爆弾が落ちるのなら爆風で飛ばされない為に穴にもぐる必要があります。でも住宅街に撒かれるのは焼夷弾だけです。家が燃えたら穴の中で蒸し焼きになってしまいます。焼夷弾からはもう逃げるしかないのだから、見張っていないと危険です。町会のうるさいおじさんが甲高い声で『空襲警報発令!退避!タイヒーッ』とメガホンでいくら叫んでも私は防空壕に退避なんかしません。町会役員に見つかったら酷く怒られるけど、そんな非合理的な危ない命令はきいていられません。それにウチの庭は奥まっていて外から見えない。私は毎晩の空襲の間、台に乗って南から来る敵機の進む方向を睨んでいました。B29爆撃機の編隊は整然と飛んできます。1万メートル上空に日本の高射砲は届きませんから。実に美しい形の銀の翼が、美しい火の玉すだれをばら撒いて行くのです。無差別殺人です。それはなんとも美しすぎる恐ろしい光景でした。
町内に火が迫って3キロ先に逃げたこともあります。火災で風向きが変わって我が家は焼けませんでした。この夜、同級生のお父さんが防空壕の中で不発弾の直撃を食らって死にました。不発弾でさえ人を殺す、防空壕は危険な場所でした。
ウチの庭には青光りした美しいハガネのバンドが落ちていました。38本の焼夷弾を束ねていて、空ではじけたバネ状のバンドでした。こんなものまでピカピカの新品なんだ!?とびっくりしたものです。日本は物資が無くて、瀬戸物で手榴弾を作っていた頃ですから。

日本で開発された兵器といえば風船爆弾。推進力は無し。風まかせ。上空の気流に乗せてアメリカ本土に小さな焼夷弾を落とそうと、和紙とこんにゃく糊で風船を作りました。浅草国際劇場が風船爆弾の工場で女学生が沢山働いていました。ほんの何個かはアメリカ本土に届いたようですが、大した被害は与えられませんでした。

日本軍は真珠湾でアメリカ艦隊を壊滅させれば、日本本土は安全だと思ったでしょうが、アメリカの国力は直ちに航空母艦や航空機の大増産を、自動車工場を動員したりしてたちまち成し遂げています。
そんなとき日本が一番力を入れて作っていたのは巨大戦艦『大和』であり『武蔵』だったのです。長篠の戦にたとえれば、『大和』は武田の騎馬軍団であり、アメリカの戦闘機は織田の火縄銃でした。知恵の無い話です。山本五十六大将などは航空機を優先しろと必死で叫んでいたそうですが・・・
まるで資源のない日本と、ふんだんに物資の得られたアメリカの違いを理解した人の声など、通る時代ではなくなっていました。
庶民はそんなこととはつゆ知らず、「欲しがりません 勝つまでは」と私も我慢していました。聖戦を信じて疑わず、実情を一切知らされていなくても、本土空襲が始まれば自分の目にB29の大編隊の数は見えるし、焼夷弾の火の玉すだれの数も見える。迎え撃つ日本の戦闘機を見た事が無い。敵はよっぽど物が豊富らしいとは感じ始めました。
大本営発表がいかに嘘八百を並べ立てても、庶民だって首を傾げ始めていたのです。

お蔭で戦後私は“偉い人”の言うことを、鵜呑みにしない癖が付きました。
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# by hisako-baaba | 2006-01-22 09:56 | 我が家の歴史 | Comments(3)

甥をおんぶして空襲警報にあう・・・幼い日・・・⑮

未だに不思議な気がする思い出があります。

2番目の兄は1歳にならない息子と、お腹の中の娘を残して、昭和18年頃召集されました。(酷寒の満州に暫く居て、幸せなことに幹部候補生になってからは斉州島に居ました)
兄嫁は年子の二人を抱えて十条に住んでいました。昭和19年頃、私は学校の休みに訪ねて行って子守を手伝い、どういうわけか2歳の甥を預かって帰ることにしました。甥は私になついていたので、平気でおんぶされてついてきました。
でも昭和19年は空襲がありました。兄嫁がなんで13歳の私に子供を預けたのか不思議です。育児に疲れていたのでしょう。それにしても日が暮れてから3本の混雑する電車を乗り継いで帰るなんて?なんとも無茶な話です。第一、空襲にあったら、誰がどうなるかわからない時代だったのに?
電車に乗ってから警戒警報が出たらしく、池袋で山手線に乗り換えようとしたとき、空襲警報が鳴って総ての電車は止まってしまいました。行くことも戻ることも出来ません。
幸い池袋から歩いて10分余りの所に叔母の家がありました。
甥をおんぶして私が暗い玄関に現れた時叔母はびっくり仰天、呆れられてしまいました。空襲は大したことも無く、その晩は泊めてもらって翌日十条の兄嫁のところに甥を返しに行って家に帰りました。叔母はずーっとあとまであの夜の驚きを語りました。戦時下では人は妙なことを平気でするのでした。
兄嫁と子供たちは間もなく縁故を頼って疎開(危険な都会から安全な田舎に移転すること)しました。

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# by hisako-baaba | 2006-01-21 14:42 | 我が家の歴史 | Comments(0)

東京では9センチでも大雪と言うんです。
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雪です・・・雪国の方には笑われそうですが、東京では5センチで大雪。電車が止まったりするんです。転んで骨折する人も出るんです。まったく慣れてないから。

「お昼から雪」の予報だったので、午前中フィットネスと買い物に行こうと思っていたら、
朝7時、すでに積雪3センチです。


夕方フィットネスにだけ行きました。グリンベルト伝いに車の来ない道を選んで。
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桜の木も寒そうです。
水っぽい雪なので一日中降ってもかさはあまり増えていません。
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# by hisako-baaba | 2006-01-21 09:03 | Comments(2)

満州に行ってしまった朋子さん・・・幼い日・・・⑭

お隣に松本朋子さんという一つ年上の女学生が居ました。その一家は戦争末期になってから満州に渡って行ってしまいました。誰に誘われたのか酷い話です。
重い肺結核のお姉さんを薬屋の二階に預けてまでして、一家で満州に行かなければならなかった程大変な事情があったのでしょう。
お姉さんはひとり寂しく亡くなり、松本さん一家がどうなったかついに分かりませんでした。朋子さんは敗戦のとき15歳。想像を絶する苦労に遭われたことでしょう。

川津敏子ちゃんは同級生でした。ウチは奥に引っ込んでいて川津さんとも垣根を接していました。田舎が茨城の真壁で、夏休みごとに私を一緒に連れて行ってくれました。いなかの無い私にはとてもありがたいお隣さんでした。真壁では、はだしで山道を走り回っていて、蛇を素足でふんずけた事もあります。私は街の子のくせに爬虫類も虫も一向に平気でした。

空襲が激しくなっていた昭和19年夏でさえ、敏子ちゃんと二人だけで真壁に行きました。帰りの汽車の切符が買えなくなってさあ大変。東京方面行きは遠距離切符を発行しないことになったのです。近距離だけ買ってそこで降り、今度は東京まで売ってくれると思ったら、取手までしか買えません。又一列車遅らせたら日が暮れてしまいます。女学校1年生の二人は、止むを得ずキセルをすることにしました。上野で山手線に乗り換え、後は通学定期で降りてしまったのです。取手、上野間の運賃を払わずに。以後キセルをしたことはありません。

戦時下なのに13歳の女の子二人だけの旅をさせてくれた母には感謝でした。よくあんなときにお隣の田舎へ行かせてくれたものです。
一つ年下の小学生までは学童疎開が義務付けられていましたから、田舎に行かれるなら行かせたほうが安全だったのでしょう。


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# by hisako-baaba | 2006-01-20 08:44 | 我が家の歴史 | Comments(0)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
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