まだまだ、「貧乏神と福の神」の続きです。
昨日図書館で借りてきた本の「貧乏神と福の神」は、初めから子供の居る夫婦のお話でした。
やはり福の神は小槌を落としてゆきました。
各地の語り手さんたちによって、さまざまに変化してゆくのが昔語りですね。
では私も、あれこれ取り混ぜて好きなように語ろうと思います。【あらすじ】
あるところに貧乏な若いもんが一人で暮らしていた。気立ての良い働き者なんだが、いくら働いても楽にならないので、近頃はあきらめて、働くのが嫌になりかけていた。
それを見た近所の人たちが心配して、嫁を世話してくれた。
この嫁は、それはそれはよく働く。くるくる働きまわる嫁を追いかけて、男も働きもんに戻った。
嫁は、おかゆでも団子汁でも、何でも作れば真っ先に神棚に供えて「おらえの守り神さん食べてけろ」といってからでないと箸をつけない。
若夫婦が心を合わせて、夜明け前から日暮れまで、せっせと働いたので、暮らし向きはだんだん良くなってきた。
三度目の年越しには、ちーとばかり餅も搗いたし、塩鮭も一匹丸ごと買うことが出来た。
良い年越しが出来ると、夫婦が喜んでいると、屋根裏でぐすんぐすんと泣く声がする。
びっくりして覗いて見ると、やせぇこけた、汚げぇなじい様が、顔じゅうぐしょぐしょにして泣いておった。
「おめえはだれだぁ?」と訊くと「おらは、百年も前からこの家に住んどる貧乏神だ。お前たち夫婦があんまりよく稼ぐもんで、とうとうおらこの家にいられなくなっちまった。今晩除夜の鐘が鳴ったら福の神が来て、おらは追い出される。こんな住み良い家は他にねえから,出て行くのが辛くて辛くて泣いてたんだ」といった。
すると嫁が「百年も?ずーっと一緒に暮らしてたんだべ、なら、出て行くことはねえ。ここに居りゃあ良い」と言った。婿も「そうだそうだ、出て行くこたーない。居りゃあ良い。福の神が来たら追っ払っちまえ」と言った。
貧乏神は、こんな優しい言葉を掛けられたのは初めてだから、たまげちまって「本当に、それで良いんだか?」と何度も念を押し「だば、おらに飯いっぱい食わせてくれ。力つけて福の神を追っ払うから」と言った。
夫婦は鍋いっぱい飯を炊いて、シャケも焼いて、漬物も刻んでやった。
貧乏神は「うめえうめえ」とぜーんぶ平らげた。そうして三人は除夜の鐘を待った。
除夜の鐘が一つ鳴るとおもてから「ごめんなんしょ」と福の神が入ってきて、貧乏神を見ると「やい貧乏神、まだこんなとこに居たのか、ここはもう、おめえの居られる家で無くなった。とっととどこへでも出て行け」と怒鳴った。
貧乏神は「なにを!」と福の神にぶつかっていった。不意を食らって、福の神はよろめいたが、なんせ太っているし重たいから、簡単には押し出されはしない。不利な貧乏神に、夫婦は精一杯声援を送る。
福の神はわけがわからなくなった。福の神はどこに行っても大歓迎されるのに、ここの家の衆は、福の神を追い出して貧乏神と暮らしたがっている・・・何故だ?と首をかしげたとたん、夫婦が「そらっそこだっ、投げ飛ばせ!」と叫んだので、貧乏神は馬鹿力が出て、福の神を外へ投げ飛ばした。
福の神は「こんな変な家には二度と来るもんか」と逃げていってしまった。
この夫婦は一生金持ちにはなれなかった。けど、子宝に恵まれ、食うに困るようなことは一度も無く、たいそう幸せに暮らしたと言うことだ。
貧乏神は今もその家にずーっといて、きれいに掃除された屋根裏で、いつも機嫌よくしているんだと。
この家の者は代々大した働きもんぞろいなんだって。 めでたしめでたし。
昨日は12時半から4時半ごろまで、公民館で写真入年賀状作りを教えて頂きました。
習ったらお伝えしますと言いましたけど、お伝えできるほど解っていないままで、年賀状の裏面が完成したのでした。
実はなにがなんだか良く解っていないので、もう一枚作ってみなければ・・・
20人ほどに、同じことを教えるため,先生はみんなにまず無料のソフトpicasaを入れてくださいました。
それから、画像をはがきサイズに切り抜く方法を教わり、picasaを閉じて,ワードを開き,はがきサイズにして写真を取り込みました。
それから、テキストボックスを使って文字を入れ、写真の上に文字を置けるようにもしました。
私は、日の出の写真の上に 頌春 と赤字で書き、画像の無いところに文章と、自分の住所氏名を入れました。年賀状ソフトが無くても、このやり方で間に合います。私は宛名は全部万年筆でと決めていますので。