今日は、高齢大生37名で、町内の歴史散歩を楽しみました。
先ずは上富の島田家住宅。茅葺の古民家は、寺子屋を開いていた農家です。
庭にあるのはサツマイモの苗床で、芽が出ていました。
三富地割遺跡の碑も建っています。
囲炉裏端で、学芸員さんのお話を聴きました。
上富と、所沢市になっている中富下富一帯は、水のない荒地で、秣場(まぐさば)としての入会地でしたが、周辺からも萱やまぐさを取りに入るようになって、入会権争いで死者が出る騒ぎとなり、幕府に訴え出ました。
幕府は入会権を没収して川越藩に任せました。何しろ時は元禄、将軍は綱吉で、川越藩主は柳沢吉保でしたから。
柳沢吉保は、今から317年前、重臣に開拓を命じます。そのプロジェクトが実に素晴らしいのです。
先ず道を作り、両側に住居、その奥に細くて長い長い畑。向こうの端は雑木林。(秣場が無くても自給自足できるための林)
細長いけれど1戸当たり5ヘクタールもの広大な土地を、公平に開拓者に割り振ったのです。
今も短冊形(よりもっと長い)の農地が美しい景観となっています。境界線はお茶の木です。
入植してから四~五十年は、水不足などで苦労が続いたそうですが、サツマイモが関東にもたらされると、いち早く導入。農民のリーダー達ははるばる房総のほうまで買いに行ったサツマイモの栽培を、独り占めすることなく周辺に広めました。乾燥地に合うサツマイモは、新河岸川の船便で江戸に運ばれ、川越芋は特別旨いと評判になりました。三富は川越芋発祥の地なのです。
茅葺の寺子屋を見学してから、又バスで少し移動。大きな地蔵堂に着きました。
三富開拓よりもっと前から、木の宮地蔵堂はありました。一度焼失して開拓後に再建されたそうです。
ご本尊様の御厨子。
お厨子の台を支える天邪鬼?
格天井には山野草の絵が描かれています。タンポポの絵にだけ落款がありますが、高名な絵師ではなく農民のようです。
次にはお隣の「多福寺に行きました。柳沢吉保が、開拓民の菩提寺として建立、自分の師を開山に迎えたそうです。
内側から見た山門です。
境内ではたくさんの写真を撮りましたが、それは又明日にでも・・・
多福寺から又バスで移動、関越自動車道の三芳スマートインター上り線側に歩いて入りました。
回転寿司で海鮮丼の昼食。千円にしてはたっぷりでした。
後は思い思いに買い物。でも道の駅と違って農村ともいえないから、あまり買いたいものはありませんでした。1時過ぎには帰り着く町内の散歩でしたが、学芸員さんが付いていてくださったし、公民館の方々の心配りもありがたくて、とっても楽しい散歩になりました。
帰ったら宅急便が届きました。またまた別の方から帯3本と浴衣2枚頂いてしまいました。
私の能力で、縫い直したり、活用できるかどうかが問題です。
そして皆様、もう仕舞う場所が無いから、和服関連はここまでにしてくださいね。
今日はやっぱり脚が痛くて心配をかけました。
遠足で人様について歩けないのは嫌なものです。だから「手術やむなし」と思うわけです。
八十代を、どんどん東京にも出てゆける元気な時代にしたいのです。