今日も蒸し暑くて、働く気がしません。
高齢大学の秋の日帰り遠足は足利学校とばんな寺などです。今月21日には,足利から先生が見えて足利学校のことなど教えてくださるそうです。
そのとき質問して確かめたいことは二つ有ります。
実は私、2002年から七十代の中学生になって、2003年の秋の遠足で、足利に行ったのです。
足利学校の聖堂に、孔子様の像と並んで、小野篁さんが一番弟子みたいな顔して座っていたのです。
私の大好きな篁さんが、足利とどんなご縁で???なぞのままでしたので是非訊いて見たい。
もう一つ、足利学校の聖堂と、ばんな寺の屋根のシャチホコが同じだったのです。宗教が違うのに、同じ鯱でした。同じ方が建立したのでしょうか・・・
湯島聖堂に鯱を調べに行ったら、これは又風変わりな鯱が、逆を向いていました。
あいにく木曜日は事務所がお休みで質問できませんでした。
21日の授業が楽しみでなりません。この二つの謎が解けることでしょう。
小野篁は文武両道に秀でた、学者で詩人で行政官。
私は、小野篁という人は、密偵を使っていたと思うのです。
宮廷内の同僚の隠し事を、チラッと言い当てて見せたり、何でも居ながらにして知ってしまうので、気味悪がられて、「昼は宮廷に仕え、夜は井戸から冥府に降りて閻魔大王の裁判の助手をしている」ともっぱらの噂になり、只者でないと恐れられたようです。
遣唐使副使として2度出航しては難破して戻ります。三度目に出航する際、正使が「お前の船の方が丈夫そうだから、俺の船と取り替えろ」と言ったので、病気だと言って家にこもってしまいます。
遣唐使船は、篁を残して出航。彼は天皇の怒りに触れて、隠岐に島流しになります。
わだのはら 八十島かけて漕ぎ出でんと 人には告げよ 海人の釣り船・・・と歌って出かけますがわずか1年2ヶ月で都に呼び戻され、元の官位に復します。何ででしょう?
彼は緻密な企みをして出かけたのでは?彼を戻さないと悪い事が起きるというような噂を広めるぐらい、造作もないことだったでしょう。篁は金銭欲がなく人を助けていつも貧しかったそうですから、誰かが裏で動いたと思います。
反骨精神旺盛な大男だったそうです。51歳でなくなるまで宮廷に仕えました。
私は彼の突拍子もないところと、先を見通す力に強く惹かれます。
今の世に居てくれたら、どんなに良いでしょうか。
島田家の庭のホウセンカ。