退院してからは、テレビがうるさくて困りましたが、少し慣れてきて、進化する高齢者住宅の番組を見ました。
病院の上に、サポート付き高齢者住宅を建て、具合が悪くなれば、すぐ下の病院にボタン一つでつながる。理想だなあと思ったら、地方なのに、一ヶ月の生活費25万かかるって!!私はその半分も払えません。
色々と、入居者が満足顔の施設が紹介されたけど、どこも私の年金では不可能な値段です。
幸い我が家は持ち家のマンションで、バリアフリーだから、最後までここに住むしかないな〜。
でも、96歳の彼女は、退院して帰るのは、二階建ての民間アパートだそうです。不便で家賃も高いでしょう。
耳は聞こえない目はほとんど見えない、こういう方が放置されている感じ。
孫娘さんが一緒に暮らそうねとは言っても部屋はない。夫が失業中ではどうにもならないでしょう。
賢そうな曽孫の坊やが、度々来てくれても、介護の人が食事を作ってくれても、日常の不自由さは想像がつきます。裕福な人は、最後まで楽しく暮らせるけれど、底辺の人は置き去りです。
「地獄の沙汰も金次第」そんなのが民主主義国家の姿なんですか?
競争社会で、負け組はどこまでも浮かばれない。負けても負けても果敢に戦い続けている人たちが、なかなか日の目を見ない世の中。
一方、ホームレスの人を騙して、劣悪な住居と食事を与えて、浮かせた生活保護費を横取りする不埒な奴ら。火事になれば何人も焼け死ぬ。
老後の生活は自己責任なんですよね。幸いウチは若い時からコツコツ貯めて、住まいは確保したわ。でも年金は少ないのよね。
自己責任と言っても、不運が続けば家なんて買えない。家賃が年金の何割も占めたら、食べるのも無理でしょ。高齢化社会で弱者を切り捨てたら、ますます自殺者が増えるでしょう。大丈夫かこの国?
福島県三春町のにゃんだーガードで、里親さんを待つ子猫たち。
さてお口直しに、96歳のKさんの大正時代の話を少し。
実家は建築屋、大工では無く鉄筋の方。浅草の、吉原に近い所に住んでいた。
叔母さんが吉原(遊郭)の中で大きく商売していた。小さい頃遊びにいくと、花魁の姿もよく見かけた。午の日の縁日毎に叔母さんを訪ねると、引き出しから、十銭玉10個の穴に、紐を通して結んだものをくれた。お友達も一緒なのというと、その子にもくれた。???十銭玉十個は一円です。大正時代の一円は、子供に与える額にしては多過ぎ。普通5銭玉でしょう?と疑問を持ちながら聞いていました。吉原だからかなあ。
大正12年の関東大震災で、浅草も焼け野原。一家の逃げ足は早かった。橋の落ちた川を軍隊の船で渡してもらって、焼けていない街の人々から、塩むすびを一個づつ貰って、とにかく駅に行って、何でもいいから停まって居た汽車に乗り込んだ。早かったので、親子5人向き合った席に座れたが、あとから人が押し寄せて、超満員になった。
その時窓を叩く人がいて、「親方どこに行くの」と友達に聞かれた。「田舎はないし当てはないけど東京にはいられないから何処かに行く」「そんならうちの田舎に連れていくから、この窓から俺たちを入れてくれ」もう、ドアからは入れないのでした。その一家を窓から引きずりこんで、重なったまま桐生に行って世話になった。
昨日は、そんな話も聞けました。関東大震災でも、空襲でも焼かれたのですね。
私の家は関東大震災でも被害は少なく、空襲でも焼けなかった。人の運命ってなんなのかな〜