今日は、私が70代で3年間学んだ一橋中学からのお招きで、「先輩のお話を聴く会」に行ってきました。
一橋中学は建て替え中で、仮校舎は、合併で使われなくなった小学校の校舎で、知らない町にありました。
私たちが通った蔦の絡まる校舎は、もう取り壊されたそうです。残念でした。
お集まりの通信生は9人ほど、今年の一年生はたったお一人。2年、3年も私と同年の方もおられ、戦後の混乱で中学を卒業出来なかった世代は、もう高齢者ばかり。いずれ消えゆく通信課程なのでしょう。
先輩として招かれたのは、女性ばかり3人。私の前に語られたお二人は一橋高校通信制に進学した方々です。
来年卒業の方は、お父さんが南の島で戦死、それも戦わずして餓死されたそうで、進学を決めていた女学校に行かれなくなったそうです。家庭を持っても洋裁の仕事を続け、ここ10年はヘルパーをされているそうです。
彼女は後輩に、高校に進学して欲しいと、力説されました。高校では若い同級生と助け合って、とても楽しいと。子育て中のお母さん方も、何かの資格を取る前に、高校の卒業資格が必要なので、真剣に学んでいるそうです。
もうひと方は、今年高校卒業されたようで、十代の同級生は、普通の高校で躓いて、傷を負って通信制に来ているので、話を聴いてあげるととても感謝され、卒業後も、何かと送ってくれたりしているそうです。
若い子たちには、60年近く年上の同級生の存在が、とても力になるし、高齢者は、わからないことを教えあえてたすかる。クラスはとても良い人間関係なのだそうです。だから、今中学に通っている皆さんにも高校に進学して欲しいと話されました。
最後に私の番で、次のように話させて頂きました。
私がこの学校に入れて頂いたのは、12年前、70歳8か月の時でした。お蔭様でそのころから私の人生は、がぜん面白くなり、面白さは今に続いています。お蔭様でやりたい事は何でもやってみる癖がついたのですね。
中学では、連立方程式を解いてみたいという夢が叶いました。
高校に進学したかったけれど、夫が一時病気したことなどで諦めました。
卒業の半年後、74歳で「七十代万歳」と言うインターネットのブログを始めて、今では、「八十代万歳」となって、8年間、毎日書いています。
75歳で東京から埼玉の知らない町に引っ越しました。
西も東も分からないので、面白いことを探して歩き、図書館で昔語りのボランティアグループを見つけました。その場で入れて頂き以来病みつきになっています。
民話を覚えて、自分の言葉で語るのが、楽しくて楽しくてもう夢中です。
町にある茅葺き民家では、毎年「夜語り」のイベントが有って、8~9人で語ります。小学校や保育園を定期的に訪問し、地域の老人会には、個人で度々よばれています。隣の市の高齢者のスクールや、遠くの住宅団地の会合などに、数人ずつで出向く機会も増えました。
今年はまた思いがけないことがありました。1月の雪で怪我をして、一月ほど入院したのですが、その時おけいさんという、96歳の大先輩と仲良しになりました。目が全く見えず耳も遠いのに、記憶が確かで、江戸弁ではっきり「戦争だけはやっちゃダメ」とお話になる素敵な方でした。27歳で戦争未亡人になり、東京の空襲では、負ぶっていた子供の背中に火が付いたという凄い体験をされた方です。その時のお子さんの着物の焼け焦げた跡も見せてもらいました。彼女の自分史のゴーストライターを引き受けて、退院後何度も会いに行って、8月までに「96歳の遺言 戦争だけはやっちゃダメ」と言う題で纏めました。おけいさんの希望で、私のブログで発表したら、Facebookや、Twitterなど、私の知らないところでワーッと広まり、凄い数の方が読んでくださいました。
読者の中に絵描きさんがいて、「ボランティアで、無料配信の電子絵本にしたい」と言われ、おけいさんも喜んで承諾。「96歳の遺言 電子絵本化プロジェクトチーム」が発足。来年3月配信開始を目標に、ボランティアさんたちの協力で、着々と進んでいます。
私自身の昔語りのほうも、あちこちでよんで下さるので忙しくなりました。
では、私が夢中になっている昔語りの一つ、短い民話を聴いてくださいますか。
「葛粉薬」
昔あるところに、たいそう仲の悪い嫁と姑が居った。
毎日毎日喧嘩ばーっかりしてるもんで、はあ、おっか様の嘆くことと言ったら。
「は~、あんな言うこと聞かない、きつい嫁なんか貰っちまって、あたしゃこれからどうなることやら。病気でもしたら何されるかわからん。あんな鬼嫁は早く追い出してしまわねば」と思うもんだで、ますます嫁いびりに精を出した。
嫁は嫁で、
「はー、あんな理屈の通らねえ、底意地悪いおっか様のいるとこになんぞ嫁に来ちまって、あたしゃこれからどうなることやら。この分じゃあ、おっか様にいびり殺されちまうよ。おっか様年なんだから、早くぽっくり逝っちゃってくれないかな。・・・・・・そうだ、おっか様さえ、ぽっくり逝っちゃってくれればいいわけだ」と思い詰めてしまった。
そこで、お寺に飛んで行って、和尚様にさんざん愚痴をこぼした挙句、
「だから和尚様、家のおっか様がぽっくり逝くような毒を下さい」と言ってしまった。
和尚様は「そこまで切ないのか」と言って暫く黙っていたが「よろしい毒を上げよう。但し、一度に飲ませてぽっくり逝かれたら、お前の仕業と知れてしまうぞ。この薬はな、毎日毎日朝昼晩のおっか様のご飯に、ちーっとずつ、ちーっとずつ、振りかけるんじゃ。そうすりゃあ、7日ほどでぽっくり逝くじゃろう。但しだ、此の薬をやるからには、わしの言うとおりにせにゃあならん。おっか様は7日ほどで、あの世さ行く。それまでは、どんな無理を言われても、どんな意地悪をされても、機嫌ようはいはいと聞いてやるんじゃ。おっか様の喜ぶように、喜ぶように先回りしてやってやるんじゃぞ。それが出来るんであれば、この薬をやるが、どうするな」
嫁は考えた、今まで辛抱したんだ、あと7日で楽になれるんなら、どんなことだってやってやれる・・・
「和尚様、おっしゃるとおりにしますけぇ、その薬を下せえ」
こうして嫁は、毎日毎日三度三度のおっか様のご飯に、白い粉をちーっとずつ振りかけて、7日が経った。
おっか様は弱る様子もない。ただ妙なことが起きていた。おっか様が無理を言わなくなった。意地悪をしなくなった。急に優しゅうなった。
これを見て嫁は考えた。
「はぁ~、人は死ぬる前になると、仏様のようになると聞いちゃあいたが、きっとこれがそうだな。っていうことは、おっか様はもうじき死ぬんだ。でも、薬無くなったからもう一回貰って来よう」と、またお寺に行った。
和尚様は、
「それじゃあもう7日分だけ上げようのう。今度こそ、おっか様はあの世に行くんじゃけえ、おっか様の喜ぶよう喜ぶよう、先回りしてやってやるんじゃぞ」と言った。
こうして嫁は、毎日毎日三度三度のおっか様のご飯に、白い粉を振りかけておった。
おっか様は日増しに元気になった。5日目には、街まで一人で買い物に行ってしまった。そうして自分の物は何にも買わねえで、嫁に、上等の着物買ってきた。
「お前にこれを上げようのう。近頃お前はわしに優しゅうしてくれる。それが嬉しゅうて嬉しゅうて、有難うてならんのじゃ」
嫁はたまげちまった。何もかもおっぽり出して、お寺に駆け込んで、
「和尚様大変だ、家のおっか様が死なねえように、死なねえ薬を下せぇ」
和尚様は笑って「早う気が付いて良かったなあ。人にしてもらいたいことが有ったら、自分から先にしてやるんじゃぞ。よう解ったな」
「わかりました、わかりましたけえ、早う死なねえ薬を!」
「泣かんでもええ、泣かんでもええ、おっか様は死にゃあせん。あれは 葛粉だ。滋養にこそなれ、毒になんぞなりゃあせん。これからも仲ようくらしんさいよ」と教えたそうな。
と、まあ、こんなお話を楽しく語っております。
聴いて頂いてありがとうございました。
皆さんと校門で別れ、飯田橋の方へ歩き出したら直ぐ暗くなり始めました。行きは、九段下から行きましたが、乗り換えが面倒だったのと、学校から頂いた案内の地図に、せっかく1番出口から6分と書いてあったのに、7番出口の方が近いからと、そちらに行ったら、ホームから改札口まで階段だらけで、辛かったし、ホテルグランドパレス脇の「冬青木坂」の上りがきつかったです。帰りは、飯田橋に出て有楽町線で帰ろうと、「二合半坂」を長々下りました。JRの駅を過ぎ、地下鉄通路と書いてあるビルに入ったのが間違いで、下りのエスカレーターも、エレベーターも見つからず、人に聞いてさんざん歩かされてしまいました。
こちらの駅に着いたら、もう真っ暗。過分に交通費を頂いたので、お寿司を買って、タクシーで帰りました。
12時少し過ぎに出かけて、6時半に帰宅、往復で疲れましたが、久々の学校は楽しかったです。
学校では夢中で、写真を撮りませんでした。途中の坂道などの写真は、まだ取り込んでないので,明日掲載します。
坂道はどう撮れば良いのでしょうか?私が撮っても急坂には見えないのです。
冬青木坂の由来。ここに、名もしれぬ常盤木があって、モチノキに似ていた。火災で焼けても、また芽を出したということです。
フィリピン大使館、門が開いたのでパチリ。
帰りの、二合半坂は、日光山が半分だけ見えたので、富士山の高さの半分に見える日光山が、そのまた半分見えるから、二合半なんですって!江戸っ子らしい名付け方ですね。
東京大神宮。
飯田橋駅前のイルミネーションを撮ったら真っ暗な空もビルも、私のカメラではこうなってしまいました。
青森県のアンテナショップ。前々から地図で確認していて、場所は知っていました。この店があって、駅が近いとわかりましたが、高価な物ばかり。
本場の南部せんべい。スーパーのよりかなり高いけど、本場のは違うのでしょう。私は胡麻のしか食べないのです。
鯖の味噌煮も買ってみました。
ーーー