私は芸能人のファンになったことはないのですが、3年前から西條先生のファンで、一昨日の講演を聴いて、彼の恩師の池田先生のファンにもなりました。ユニークで面白い先生方です。
大学って!?私には意外でした。全く知らない世界だったので。
お二人と、おしゃべりして見たかったのですが、独身じゃないので、すぐ帰ってしまいました。
コメントを頂いたので、先生のブログを、見方がまだ良くわかっていませんが、少し読めました。
こんな言葉に反応した私。
〜したいが、〜しなきゃと思った時点で別のものになる。
願望が義務になると途端に足取りは重くなる。
したいからするであり続けることができたなら、どれだけ軽やかに生きられるだろうか。
そこで考えました。
私は、したいから➡しなきゃ にはならない気がするのです。
「しなきゃ」ってことはうんざりするほどあるから、そしてそれは、大抵、したくないことだから・・・・
せっかく「したい」って思ったことは、しなきゃなんて思わないで、「する」のです。
私の場合、 したい➡する だけです。
例えば、早稲田大学で、西條先生の講演があるから行きませんかといわれたら、行きたい➡行く それだけです。
カートに縋らなきゃ歩けない癖に、その格好で、電車に乗るのか、なんて雑音は気にしない。
ヨタヨタしたばあちゃんは格好悪い、聞いて分かるのか、etc ・・・関係ない。
行きたい➡行く それだけ。
若い時は、それが不可能でした。
常に、したい➡する には進めなかった。経済事情、家庭事情、がんじがらめで、小学校しか出ていない私は身動き取れなかった。
そんな中でも、ボランティアなら、やりたいように出来たので、青春の重要な支えになっていたと思います。
70歳過ぎたら、だんだん動けるようになった。もう良いじゃない好きにしても。
いいえまだまだ、主婦業があって、かなり不自由ですが、70歳で入れる中学を見つけたら、その日に願書を出したし、76歳で「語り手になりたい」とおもったら、その日から始めました。
魅力的な96歳のおばあちゃんを見つけたら、取材して書く。戦争だけはやっちゃダメって。
今出来ることで、やりたいことは、やるんです。 残り時間短いんだもの。
やりたい➡やる できることは即座にやって見るんです。
はたの見る目なんかどうでもいいじゃない。もうじき83歳なんだもの。
去年高齢大の遠足で、富岡製糸場に行きました。
一番驚いたのは、煉瓦造りだと思ったのに、骨組みは全て、木であったこと。しかもあの長い建物には、柱がない。木だけで組まれた骨組みの、何としっかりしていることか。
フランス式レンガの積み方も美しいですね。
これから耐震診断とか始まるでしょうけれど、あの姿のまま、補強するのでしょうね。
富岡製糸場には女工哀史は無かった、あれは諏訪辺りの話だ言う説と、いやそんなことはないと言う説、どうなんでしょうね。
工女さんたちが、教養を身につけるため、いろいろ勉強した部屋はありますね。職業婦人の魁であったことは確かでしょう。夜食に美味しいカレーライスをたべたりしたとテレビが言ってました。
世界遺産へ前進、おめでとう。
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