大晦日の日没です。
大晦日。紅白聞き流しています。知らない歌手の知らない歌を。
今年は、三輪車で自由度が増しました。
1月4日に、東京の足立区まで、カートを押してよたよた出向き、小さな町工場、堀田製作所を訪ねました。
電動ミニリハという三輪車の試乗をさせていただいたら、スイスイ乗れちゃったので、堀田さんに作って頂くことにしました。
マドリードから娘と健志が3月末に来る直前にとどけて頂けました。
以来病院に行くのも楽になり、買い物難民も解消しました。会合の途中で、バスの時間だからと中座しなくなりました。
春から元気をなくしていた夫。夏までもたないかもとみんなが心配して、娘たちに夏休みじゃなく春休みに来てと言ったので婿殿は来られませんでしたし、短い里帰りでした。
ところが夫は日増しに元気になりました。
80代後半の夫婦は何かと不自由で、息子が頻繁に泊りがけで支援に来てくれています。
私は民話の語りに熱中しながら、戦争の悲惨さを聞き書きするというライフワークを続けております。
今お話を聞いている87歳の富田竹雄さんは、二冊の本を自費出版されています。戦争中の軍需工場の悲劇を目撃者として書かれた本と、土地の言い伝えや民話の本です。
生まれてからずっとお住まいのふじみ野市に伝わる民話によると、昭和初期にも河童がいたという純農村。そんなのどかな村に陸軍が広大な土地を手に入れて弾薬工場を作り、戦争が激化して人手がなくなると、女子挺身隊や、15歳の中学生や、徴用された年配者などずぶの素人に、火薬を扱わせたため、悲惨な爆発事故が多かったそうです。
富田さんは15歳の時、工場内で製図の仕事をしていたとき隣の部屋で爆発が起き、3人が即死した直後の現場を見てしまったそうです。重体だった農家の主人も幼い子供達を残して、数日後亡くなられたそうです。
そ んなお話を聞き書きしてネットに載せる作業に取り掛かったところです。来年に続く生きがいのある作業です。
地元の河童のお話もあちこちで語りながら。
良い年でした。
でも年末に肩を壊し、目のまわりのかぶれも激しくなり、痛い痛い年越しになりました。
朝からこき使われてイライラ。 大晦日に物置の掃除しなくても、やる事はいっぱいあるのに。
ネット通販のお布団、宅配便を検索したら今日届くと知って、それでは布団カバーを買いに行かなくちゃ、仕方なく痛い腕で、三輪車を動かして行ったら、でこぼこで跳ねて、肩にズキン!痛くて三輪車を止めてしまいました。
それでも、必要なものだけ買って帰ると、お布団が3枚届いて、ビルケンシュトックのサンダルも届きました。黒猫も佐川も速!!
さあ間も無く年が暮れます。
皆様良いお年をお迎えください。
来年もよろしくおねがいいたします、
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