今日のリハトレもいつも通り全てのメニューをこなして来ました。
コーヒータイムにはネットから頂いて来た「貧乏神の土産」を語りました。
『貧乏神の土産』
― 山梨県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
提供 フジパン株式会社
むかし、あるところに貧乏な爺(じい)と婆(ばあ)がおったと。
師走(しわす)になったのに米が一粒もなくて、大晦日(おおみそか)の晩を侘(わび)しく過ごしていたと。爺と婆は、
「仕様(しよう)がないわ。火でもうんと焚(た)いて、よくあqたって寝るか」
「はえ、さいわい炭だけはたくさんあるで」
と言って、囲炉裏(いろり)に炭を山積みにくべて、ドカドカ大火(おおび)を焚いてあたっていたと。
そしたら直衣(のうし)を着て烏帽子(えぼし)を被(かぶ)った男が、どこからともなく、横座(よこざ)へズシンと落ちて来た。
「おおっ、びっくりしたぁ。何でありますか、お前さまは」
と爺がきくと、その男は、
「ヤァヤァ、驚(おど)かしてすまぬ。俺ァ、この家の貧乏神(びんぼうがみ)だ。ながい間、お前たちの貧乏暮らしを見てきたが、貧乏なりに二人がいたわりあって、ちいっとも仲たがいせん。俺ァとしては面白(おもしろ)うない。だから前(まい)っから出て行こう出て行こうと思うとったが、せめて、この家が大火を焚いたらいっぺんあたって行こう、そう思って、それを待っていたところだ。
今夜ァ珍しく大火のようだから、よくあたってから出て行く」
というた。爺は、
「なんと、お前さまは貧乏神でありますか。そんじゃぁなんぼでもじっくりあたってっておくんなさい。そうして、二度と俺家(おらえ)には来ぬようにしてくりょお」
といって、その貧乏神を爺と婆との間にいれて、火によくあててやったと。貧乏神が、
「ぬくまった。そろそろ行く」
といえば、婆が
「まっとよくあたってけ、よくあたってけ」というて、袖(そで)をつかんで、なかなか離してやらんかったと。
やがて、東の空がほのぼのと白んで、正月元旦の夜明けのころになったら、貧乏神は、
「夜が明けて人目にかかるといかんから」
といって、どうでも出かける風(ふう)だ。爺は、
「そんじゃ俺が途中まで送りましょう」というて、貧乏神の後ろから送って出たと。
少し行ったら、貧乏神が、
「もうええから、帰れ帰れ」
と、しきりに言うたが、爺は、
「いま少し、いま少し」
というて、とうとう河原(かわら)まで送って行ったと。そしたら貧乏神が、
「さぁ、ここから帰れ。ながいこと世話にもなったし、ここまで送ってくれたから何か礼をしたいのじゃが、俺ァ貧乏神だからナーンモ持っとらん。おお、そうじゃ、この石を土産(みやげ)にやろう。沢庵石(たくあんいし)にしてもええから、これを背負(せお)ってけ」
といいながら、河原に転がっていた石をひとつ拾って、爺にくれたと。
爺はそんな石欲しくもない。
「背負う物(もん)がないから、俺ァ要(い)らん」
「背負う物無いなら手背負い(てじょい)すればええ。
どれ、俺が背負わしてやるから、背中ぁこっち向けろ。さァ、こんでよし。決して途中で捨てるんじゃないぞ。捨てたら俺ァまた、お前ん家(ち)へ戻るぞ」
戻られたら嫌(いや)だから、爺、重い、重いといいながら家へ持ち帰り、その石を上がり端(はな)へズシンと下ろしたと。婆がそれを見て、
「爺さん、そんな石、正月早々何しる」
といいながら近づいたら、その石がチャッカンと光った。
はてな、と思ってよくよく見たら、何と、それァ大きい黄金(きん)の塊(かたまり)だった。
爺と婆は大喜び。それからのちは、その黄金のおかげで長者になって、ふたりは一生安楽に暮らしたと。
それもそれっきりい。
この話を頂いて、自分の言葉で語りました。
この前から腹を立てていた、介護費の二重取りの施設から、男性がわざわざうちまで返しに来ました。
そんな面倒なことをしなくても、ちゃんと連絡を密にしておいて、口座に返せば良いものを、長々連絡もせずにほったらかした挙句に、持ってこられて驚きました。受け取りのハンコもとらず、もしこちらが悪くて、返してもらってないよと言ったらどうなるのでしょうね。
現金を届けに来るのが誠意なら、途中の挨拶の方がよっぽど気分が良かったな。
ひどくすれ違った印象でした。
午後はヘルパーさんが掃除してくれます。早めにゆっくりお風呂に入りましょう。
[追記]
ヘルパーさんから耳より情報2件。
私も時々行くスーパーの先に熱帯魚屋さんができたこと。メダカがあるかは不明。
そこで用が足りなかったら、鶴瀬駅の向こう側に魚のペットショップが有るとのこと。
そのお店には様々な熱帯魚の他に金魚もメダカもザリガニも売っているとのことです。
最高にありがたい情報でした。
いや〜怖い思いして急坂を登らないで済みます。行ってみま〜す。