土曜日に持病が出て、今回はお医者さんが来て検査もしてくれて、前回のようにほったらかしされなくてよかったです。
日曜日はまだ家から出られず、大事なお友達と会えませんでした。
今朝はzoomなので中学3年生にお話しできました。
おもに男尊女卑の時代が長く尾を引いている中でどう働いてきたか、のテーマでした。
岡崎の中学3年生からの感想を楽しみに待っています。
今日のレジュメ。
埼玉で、民話の語り手をしている中谷久子です。
8月で91歳になります。 難病患者でほとんど歩けませんが元気です。
私たち1931年生まれは1番戦争被害を受けた世代で、小学校の修学旅行無し、女学校(中学)2年からは学校は閉鎖され工場に動員されました。
その後戦争は終わり、物価が猛烈に上がって、父の遺産は価値がなくなり、学校に行かれませんでした。もう一年遅く生まれていたら、新制中学ができて義務化されたのに。
学歴無しで、男尊女卑の世の中に放り出されました。街頭に立って物売りもしました。
19歳でやっと安定した職につけて路線バスの中で切符を切る車掌の仕事を長く続けました。
パワハラ、セクハラ、当たり前の会社の中で、強気で頑張っていました。
一泊の社員旅行も強制され、夜は宴会。酒乱の男を目のまえにし、15歳の車掌も酒を飲まされる事がありました。
女子車掌はいつまで経っても車掌で、中卒に与えられる、上の仕事は有りませんでした。
結婚しても、働きたいのに保育園が少なくて、入れてもらうまでが大変でした。
主婦にはパートの仕事しかなく、キャリアを積むなんて独身か、理解ある夫の協力がなければできない時代でした。
ここでも学歴のなさには悩まされました。
1967年生まれの長女でさえ、短大を出て4年勤めた大きな会社の男尊女卑にうんざりしてスペインに渡り、子供がいてもキャリアウーマンを55歳の今も続けています。社長秘書です。
スペインの方が女性には生きやすいそうです。
昔頭の団塊の世代が定年を過ぎ、男社会も少しずつ変わってくるだろうと、期待しています。そのためには女性が頑張ってキャリアを積み、どんどん進出していかなければなりませんね。
皆さんの世代が社会の中心になる頃には男女協働参画だなんてスローガンは必要なくなっていると期待します。
しっかり勉強して、国会議員の半数を女性にしましょう。そうなれば戦争好きの国になる心配はありません。
戦争は庶民に物凄い悲劇をもたらしました。子供もお腹を空かせて大変でした。
戦争だけはやってはいけません。ウクライナのような目に遭うのですから。
普通に男女が肩を並べて、同じ職種なら同じ給料で働ける時代を作ってくださいね。
女性もどんどん国会に進出し、子供がいてもキャリアを積める時代にしてください。
悲惨な戦争を体験した婆の遺言です。
この花の名前、教えて下さい。お二人からコメントで「モナルダ」和名「たいまつ花」と教えていただきました。今日はお掃除が1時半なんだけど、その前に食事摂るには忙しい.あたりが散らかり過ぎたので。それにだるくて動きが鈍い。
ケアマネさんにこ電話しないうちにかかってきて要介護1になったことを伝え今までのお礼を言いました。本当によくして頂きましたから。
次のケアマネさんは連休でしたが伝言しました。
ヘルパーさんとも中学生に話したようなことを話しました。