Koroさんのところから、Toosamさんのページに初めて行ってみたら、
小野篁郷が開いた千本閻魔堂に天井絵を描かれたというお話が載っていました。
小野篁サン大好きですが、千本閻魔堂は存じませんでしたので興味深く読ませていただきました。
一昨年、遠足で足利学校に行ったとき、聖堂の孔子様の像のすぐ隣に、
百人一首で有名な小野篁さんが、一番弟子みたいな顔をして座っていたので、何でだろう?と
興味を持ちました。足利学校と小野篁さんの関係は歴史的にははっきりしていないようですが、
偉そうに孔子様と並んでいるのが面白くて、京都の六道珍皇寺についてネットで調べました。
篁サンは昼間朝廷に仕えていながら、夜毎珍皇寺の井戸から閻魔大王の役所に出勤して、
閻魔様の助手を勤めていたと言うのです。
こんな篁さんですから孔子様の隣に居ても不思議はありませんね。
古今集と百人一首に載っている彼の歌が大好きです。
わだの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り船
真冬の瀬戸内海を渡って隠岐に流人として送られて行く篁が詠んだ歌で、
心細い心境と言う解釈もありますが、
私は「きっと帰ってみせる」と心に期している強い歌だと思うのです。
だって彼は普通の人じゃないのですもの。
篁は承和三(836)年遣唐使副使として出航したものの、嵐に遭って戻ります。
翌年再び出航する際、正使が、「お前の船の方が安全そうだから俺の船と取り替えろ」
と言い出したため喧嘩になって彼は職場放棄。
その罪で隠岐に流罪になったのが838年12月。
しかし篁さんのことです、隠岐でくさってなんか居ません。
どんな手を使ったものか? たった1年2ヵ月後にちゃんと都へ呼び戻されています。
参議として朝廷に仕えながら、閻魔大王の副臣でもあったといわれるなど
さまざまな伝説の主人公になった訳は、
彼が凡人には理解しがたい一風変わった人物だったからでしょう。
先見の明もあっただろうし人脈もあったでしょう。
千里眼と恐れられたのは、朝廷内に多くのスパイを放っていたからかもしれません。
世間常識や周囲の見る目など全く無視して、
自由に思うままに生きた人だったのではないかと思うのです。
大好きです。こんな人。

タケシちゃんは幸せそうですねえ。 自由に生きる人になってね。