山下景子著『美人の日本語』幻冬舎刊 から又1ページご紹介します。
『羨み顔(うらやみがお)』
心の病気
昔は見えているものを『面』(おも)、隠れているものを『うら』と呼びました。
顔は見えているから『面』、心は隠れているから『うら』です。
『うら悲しい』の「うら」もそうですし『占う』も動詞を作る「なう」がついた言葉です。
他にも『恨む』『麗らか』など沢山の言葉が生まれました。
そして『羨む』は『心病む』。心が病んだ状態のことだったのです。
「羨」と言う漢字は、羊がご馳走を見て、よだれを流している様子を写したものだそうです。
羨ましいと思ったときのあなたの顔はいかがですか。鏡の前で病気の顔を吹き飛ばすように,にっこり微笑んで見ましょうよ。
・・・以上『美人の日本語』から引用させていただきました。
私は戦後の混乱で学校にも行けず、働き口も思うに任せず、酷かった時代に「羨む」ことが何より禁物でした。「羨ましいと思うまい」と言うのが自己防衛策の第一でした。そうして心にプライドと言う鎧を着て完全武装しました。
もてないわけですよね。ガチガチの理屈屋の奇妙な女の子だったのですから。でもそれが身を助けたと思っています。背筋を伸ばして顔を上げて、「私は私。誰がどう見ようとかまうもんか」昂然としていたから曲がらなかったし、陥れられることも無かった。損もしたけど・・・まあ良かったかなと思っています。
羊がよだれをたらしている顔にはなりたくありませんね。
アセビ。満開になると可愛いですねえ。ウチの近所にも植えて欲しかった。