私の故郷は目黒ですけれど、もう父が建てた家はなく、辺りの風景も変わり果てて山並みも見えません。
75歳にしてようやく得たわが家からは、富士山をはじめ関東平野を囲む山並みが総て見えます。浅間山や、日光男体山まで見える日があると聞いて、秋が楽しみです。
終の棲家と定めたこの町を、もっと知りたいと思い、ぼちぼち資料館の解説など読み始めました。
旧石器時代の遺跡。縄文や弥生時代の遺跡が方々に有って、出土品の石器や土器がたくさん展示されています。
でもやっぱり一番興味を引かれるのが江戸時代です。
入会権を争った秣場(まぐさば)・・・秣や屋根を葺く萱(かや)などを、どの村の住民が採る権利を持つか裁判になって、川越藩の住民が勝訴した後、川越藩主柳沢吉保が開墾を勧め、近隣の農村から移住させたようです。しかし水利が悪く、火山灰土(関東ローム層)のやせ地でした。
深井戸を掘り粟や黍や蕎麦の畑を作るまでには大変な苦労があったようですが、百数十年後”サツマイモ”がもたらされ、豊かな川越芋の産地となりました。
この町内には、当時7箇所の寺子屋があり、11名の師匠の名が知られているそうです。総ての村に寺子屋があり、寺子屋普及率の高い地域であったそうです。
寺子屋を開いていた家が今も一軒保存されています。島田伴完先生の玉泉堂です。

そうして、島田伴完先生が明治7年まで45年間使った机と巨大な硯は、資料館にあります。

机からはみ出しそうな程大きい黒いものが硯です。手前は手作りの教科書。
江戸時代の日本が、世界でも例のない高い識字率を誇っていたと言う事がよく頷けます。