昨11日朝はとっても寒くて、かなりの雨風でした。7時50分にやっとの思いで朝食の片づけを済ませ小言を振り切って家を出ました。水溜りの多い道に閉口しつつ、20分歩いて駅へ。バスや地下鉄を乗り継いで、9時45分なつかしの母校到着。
2年前に卒業した千代田区立一橋中学校通信教育課程。(2年前合併し現在は 神田一橋中学)
たった9名の卒業式は、2年前を思い出す素晴らしい式典でした。いつもの事ながら来賓の皆様からは、子供たちの卒業式よりはるかに感動的だと口々に言われました。生徒はほとんど七十代八十代で、向学心は誰にも負けないメンバーですから。
答辞を述べた七十代の男性は、小学生のとき宿題を教えてと頼んだところお母さんは『8歳から奉公に出ていたから学校に行った事が無くて何も教えられない』といって泣いたそうです。間もなくお母さんが亡くなり、お祖母さんに引き取られましたが、東京大空襲で焼けだされて田舎へ。小学校を終えても進学するお金は無し、上京して働きながら学ぼうと思っても、ついにチャンスは与えられないまま60年近くが過ぎて、ラジオで知った一橋中学に入学したということでした。皆さん似たような経過で学業のチャンスを失っています。それだけに学問への執念は大したものです。
式典のあと、卒業を祝う会にも参加しました。お赤飯のお弁当と、紅白のお饅頭。美味しい昼食会でした。
私たちのクラスは18名中6名が出席しました。久々に会って賑やかにおしゃべり。通信の高校に行っている女性が2名。定時制に行っている男性が一人。定時制は若い生徒の柄が悪くて大変なのだそうです。『この学校が一番素晴らしかった』と彼は強調します。
先輩の中には、昭和50年代にこの学校を出て、働きながら苦労して進学し、ようやく今、慶応大学で卒論を執筆中だという凄い男性も出席しておられました。
学ぶと言う事の原点を見る思いの同窓生ばかり。本当によい学校を母校にもてて幸せです。

卒業の文字の真下に居られる美しい女性が、校長先生です。(2年前3校が合併した区立中学と、通信課程全体の校長先生)私たちがお世話になった校長先生が今も居てくださって嬉しかったです。
お顔もプロポーションも美しいスポーツに堪能な校長先生で、甥御さんは体操の金メダリストです。
帰りは晴れていたので、足に問題のあるお友達を、銀座までドイツのサンダルを買うため案内しました。思い通りの良いものがあって、楽に履けそうだと喜んで買われました。
帰り道、私は膝が痛くなって、日比谷の地下鉄駅に入るエレベーターを探しましたが見つからず、長い階段に難儀しました。それでも何とか4時過ぎ、ウチの駅に着きました。バスは5時まで無いから、買い物して歩いて帰ったら、5時を過ぎていました。バスを待てば歩かないで済んだのに・・・やれやれ。
2年ぶりの卒業式参列は、感動だらけの良い一日でした。来年も行きたいけれど、朝家を飛び出すのが大変で・・・・そのうちに同級生とどこかで集まるつもりです。私は東京都写真美術館の写真展を見たいと思っています。戦後の日本の写真です。
さて、戦後の自分史をアップしようと書いていますが、肝心の部分の日記一冊が見つからす難航しています。それでも写真はたくさん有るし、そのうちまとまりがつくでしょう。