桜が満開になってから無情の雨風で、今朝やっと晴れました。
強風吹き荒れていましたが、予定していた弁天の森に行きたくて、↓こんな道を18分歩いてからバスに乗りました。
9時だったのでまだ富士山が見えていました。ポピーと菜の花もステキでした。左奥にはお寺の屋根が見えます。
9時22分のバスを逃すとお昼まで有りませんから、バス停までの道は、ゆっくり写真を撮って歩くわけにもゆきません。
バスをふじみ野市の、大井坂下で降りて、砂川掘都市下水路に沿って弁天の森へ。
去年来たとき、モッコウバラが見事だったお家。モッコウバラのアーチのところにこれはミモザ?
このお宅の庭か、隣の敷地か、そこに平安時代の井戸の遺構が発掘された跡が有ります。
水に苦労した武蔵野台地の住民が、「お井戸」と呼んでいたのが「大井戸」になり、大井の地名になったそうです。
これは川ではなく、雨水を流すために掘られた水路です。
弁天橋はあっても、弁天堂は朽ち果てて、弁天様はよそのお寺に預けられているとは、なんとも可哀そうです。
レンギョウと桜のコラボ
橋を渡ると対岸には「なんぽの道」と言うのが800メートル?有って20メートルごとに石の標識が有り、歩数を数えたら私は31歩づつでした。
伝声管が二つ、ここから向こうに100メートル、手前にも100メートル、地中にもっぐったり、地上を平にくねったり(椅子になる)長々続いています。両端に居て、この突き出た口から喋ると、百メートル向こうの人の声が良く聞こえるのだそうです。
ふじみ野駅に向かうところに、ちいさな阿弥陀堂と観音堂が有りました。
お地蔵様の隣の小さいお堂は格子が閉まっていて中は暗くて見えません。
一枚のガラスを拭いて、レンズをくっつけたら、聖観音様が見えました。カメラは便利ですね。
優しい女性のお顔です。
昔、武家の娘のお八重さんが、尼僧になって諸国を行脚し、この阿弥陀堂の堂守になってからは、寺子屋を開き、読み書き裁縫を教えて、村人に慕われたそうです。72歳で亡くなった彼女の遺言で作られた観音様はきっと彼女に似ているのでしょう。
(続く)
去年5月、同じところを、数百メートル上流から歩いています
。その日の記事はここです。