今日は「バス車掌の時代」の著者、正木鞆彦先生からのメールにびっくりしました。
長い長い「むかしむかしのバスガール」8月6日と7日の記事を全部お読みくださって、「第一級の資料です」と言ってくださったのです。
それほど、バスの車掌について書かれたものが少ないのだそうです。
村上信彦著「紺の制服」バスの女子車掌たち 1959年 三一新書 これは絶版になっていて、古書店に出ると一万円を超える高値で、すぐ売り切れる希少本になっているそうです。
その次に出たのが、正木先生の「バス車掌の時代」 1992年 現代書館 で、単行本としてはこの二冊しかないそうです。
あとは、東急川崎営業所の車掌だった山中恭子さんが自費出版したエッセイ「バスの中の青春」があります。
小説では、元車掌の、片岡稔恵著「チャージ」が中央公論女流文学賞をとっているそうです。
昔々昭和7年(1932)に雑誌「働く婦人」に連載された「赤い襟章」は、東京市バス新宿営業所勤務だった松山達枝さんの作品で、近年「文化評論」に“発掘小説”として再び掲載されたそうです。
それ以外には、労働省婦人少年局の、バス車掌の実態調査報告。
私鉄総連の実態調査書があるだけで、車掌のことに詳しい資料はごくわずかしかないそうです。
だから車掌本人が書いた記事は貴重なのだそうです。
ラジエーターの水補給は誰の仕事だったかお訊ねしていましたが、正木先生が調査された範囲では、東武、国際興業、小湊鉄道、大阪市営バスなどはみな車掌が水を入れることになっており、東武バスでは、はっきり車掌の仕事と規定されていましたが、他は、運転手の業務なのに、車掌の仕事として習慣づけられていたそうです。
大半のバスで、車掌がやらされていたとしても、東急では運転手の業務だったのなら、素晴らしいことです。
私は自分がやったつもりでいましたが、もう少し友人たちにに訊いてから修正します。
いろいろ他の本を読むと、ますます私の居た不動前車庫は良い職場だったことがわかります。
ハルエさんによれば、東急の他の営業所から転勤してきた会計係さんが「不動前が一番居心地が良い」と言っていたそうです。
よそのことは全く知らないまま、不平不満でいっぱいだった私、野心があるのに出世の道が無いから不満だったわけですが。そう、永久に車掌ばかりやらされるのでは、不満を抱いても当然だったとは思うのです。
しかし、その9年間が、無駄だったように感じていたのは間違いで、成長のための大事な期間だったと再認識できました。私自身のためにも「むかしむかしのバスガール」を書いてよかったと思います。
ラジエーターの件でaxbxcxさんが、北海道バス協会の記事に、ラジエーターの水補給は車掌の業務だったと書いてあると教えて下さいました。
第13章モータリゼーションの明暗の中の(かつて女性が支えたバスだった)という記事です。
ほとんどのバスで、女性の仕事だったようですね。そこにはボディによじ登って、フロントガラスを拭く車掌の写真も載っています。二人でやっているので、もしかしたら一人は見習いさんかもしれませんね。北海道のバス車掌は、私たちよりはるかに厳しい仕事だったと思います。
台風を乗り越えたシュウメイギクは今が盛りです。