うちの娘は、もう20年近くスペインで暮らしているのですが、大学時代の同級生達とはいまだにメール交換などしているようです。
これは里帰りした時に聞いた話なのですが、同級生に神谷健と言う秀才がいまして、大学時代はバンド活動に熱中していました。卒業したらミュージシャンになると豪語していましたが、世の中そんなに甘くは無くて、とりあえず超一流の商社に入社しました。彼は、ほんの腰掛けのつもりで受けた一流企業に、一発で受かってしまうほどの秀才なのです。
数年後やっと長い休暇が取れることになりまして・・・長いと言っても日本の会社のことですからほんの10日余りなんですけどね・・・娘にメールで訊いてきたそうです。
「アイルランドのダブリンに10日間行ってくるのだけれど、一人で海外に行くのは初めてなので、注意すべきことなんか教えてほしい」と。
彼がそのころ熱中していた音楽を、たっぷり聴けるのがダブリンだったそうで、まずインターネットでB&Bに予約を入れました。B&Bは宿泊と、朝ごはんだけの民宿ですよね。そこを選んだのは、建物が中世のままの美しい館で、家具調度も中世のままに見えたからです。
その宿に着いてみると、期待以上に素晴らしく、落ち着いた雰囲気でした。オーナーは上品な老紳士で、人を使って宿を運営していました。
居心地が良いので神谷君は帰国まで10日間そこに泊まり続けることにしました。昼も夜も街に出て、コンサートやライブをはしご、音楽に浸りきって、会社のことなど忘れ果てていました。
明日は帰らなければならないと言う日に、オーナーは言いました「ケン、君は明日帰ってしまうんだね、今日は私の部屋で少し話していかないか」
彼ははじめてオーナーの広いリビングに入りました。
大きな暖炉の脇には重厚な造りの本棚が有りました。分厚い本がたくさん並んだ真ん中に空間が有って、そこになんとも気味の悪いものを見つけて、彼はゾッとしました。干からびた人間の手らしきものが、握手を求めるような形でこちらを向いていたのです。
そこへ、クローバーの模様のお茶道具を持ってはいってきたオーナーは言いました。
「ああ、それが気になるかね。それは栄光の手と言うもので、昔々縛り首になった罪人の手を、死刑執行人から買い取って、魔術的な方法で加工したものなんだ。燭台に加工されたものもあって、泥棒がそれに明かりを灯して侵入すると、家の人は深い眠りに落ちてしまい、すべてを盗み出すことができたそうだ。だがこの栄光の手は違う。一生に一度だけ、この手を握りしめて、心からの頼みごとをすれば必ず叶えてくれるのだ。
私はそれを骨董屋で買ったのだが、たったひとつの願い事を決めかねて、長年放っておいた」
そこまで話してオーナーは「お湯が沸いたようだ」とキッチンに立ってゆきました。
次の瞬間、神谷君は栄光の手に飛びついて握りしめ「僕を一流のミュージシャンにしてください」と言って手を放すと、素知らぬ顔で椅子に戻りました。
クローバー模様のティーカップに紅茶を注ぎながら、オーナーは話を続けました。
「私たち夫婦は、会社を辞めたらこういう館を買って、B&Bを始めるのが夢だった。世界中の人たちと話がしたかったからね。
退職の予定が近づくと、夫婦で建物を探し歩いた。この館を見たとき、二人は此処しかないと感じた。建物も家具も何もかも中世のまま見事に保存されていたからだ。しかし値段が飛びぬけて高かった。私の退職金に蓄えをかき集めても、到底足りなかったので、私は「無理だからあきらめよう」と言った。すると妻は、「栄光の手に頼むのは今よ」と言ったかと思うと両手で握りしめて、「私たちに、いくらいくら下さい!」と叫んでいた。
次の朝、妻は家を出たところで、歩道に突っ込んできた暴走車にはねられ、即死してしまった。
相手が一方的に悪い事故だったので、莫大な賠償金が支払われたが、それは妻が栄光の手に下さいと言ったその金額だった。
妻の志を無にするわけにいかないので、私はこの館を買って、B&Bを始めた。
しばらくして、私は骨董屋に行ってそのことを話した。すると彼は
『そういえば、栄光の手は願い事を必ずきいてくれるけれども、願い事の大きさによって、その人の一番大事なものを奪うことが有ると聞いたような気がする。たしか、これを売りに来た男も片脚が無かった』と言うのだった」
神谷君は真っ青になりました。しかしもう翌日の航空券は買ってあったし、彼は不安な気持ちを抱きながら、東京への帰途に就いたのです。
そこまで話して娘はトイレに立ってしまいました。
私は、神谷君がどうなったか知りたくてたまらなかったので、戻ってきた娘にせっついて訊きました
「それで、その後神谷君はどうなったの?」すると娘は
「どうもならなかったわよ。彼はその会社に今もいて、かなり出世したと言う噂よ」
「え?で、音楽は?」
「企業戦士に音楽なんかやってる暇はないわよ」
私がポカンとしていると、娘はけろっとしていいました。
「栄光の手にはね、日本語が解らなかったのよ」