昨日夕方回復したインターネット、夜10時にぷっつり切れました。
今朝起きてモデムとルーターの電源抜き差しをして、今は使っていますが、いずれ切れるでしょう。
ルーター買い替えなら早くしたいので、またJ-comに電話で相談するつもりでいました。
起き出した夫のぐっしょりのリハビリパンツと、ズボン下を取り替えたら、
「いつ頃うちに帰るんだ?今ここ旅行中だろう。韓国」
「ならいいけどね、外見て。都庁もスカイツリーも見えてるわ」
夢の世界が楽しいものならいいのですが、往々にして不安の塊だったりするのが困ります。環境の変化が一番の苦手。
今朝なぜか「得手に帆をあげる」という言葉が浮かんで来ました。
得手、つまり得意なことをしていれば楽しいし、情熱を注ぐことが出来る。
作家、高木彬光氏は「人生の幸福は情熱のうちにこそある」と言いました。情熱を注げるものがあれば幸せ。
本田宗一郎さんに「得手に帆をあげる」と言う著書があるそうですね。読んでないけど。
彼は若い時から得手に帆を挙げた、幸せな方だったと思います。
私はどうだったでしょうか?
青春時代は学歴がなくお金もないため、進みたい道を切り拓くことが出来ず悶々としていました。(恋もかなわないしね)職業として好きな道には進めないけれど、ボランティアなら自由に出来ました。職業を「アルバイトと呼び、ボランティアこそが本業と心得て色々やりました。BBS運動ではやり過ぎるほど熱中、成功した途端横から酷く裏切られて挫折。さっと切り替えて朗読録音を始めました。
ハンセン病療養所盲人会に個人で「茶の間の声」という朗読にコメントを添えた7インチリールのテープを送り続けたのはボランティアと言うよりは、聴いていただける楽しみを味わう機会になっていました。これは世の中に録音図書が行き渡り、自分の暮らしが厳しくなるまで、子育てしながらも続けました。
それからの20年間はボランティアなどできない、私にとっては一番暗い時代。厄介ごとが多く、子育て以外に生き甲斐は持てなかった。
さて、一息ついたのが60代後半、いろんなことに手を出した。
69歳で、息子からパソコンを貰った。70歳8ヶ月で通信制中学に入学した。楽しみを追求できる時代がきた。
幸いにも私のやりたい事は、全くお金がかからないものばかりだ。貧しくてもやれる道楽ばかり追いかけた。
74歳の秋からブログを書きなぐる日々が14年続いている。これが楽しみの一つ。
75歳で知らない街に移住。76歳で「語り」ボランティアに参加、これが一番「得手に帆を揚げる」ことになったと思うのです。
先生のないグループで、好き勝手に自分色を出して語れたのも良かったと思います。
語りの大先生、桜井美紀先生の最晩年にお知り合いになれて幸せでした。先生から「型にはめられず自由におやりなさい」と教えられた。
私の夢は「ライター」と「声優」でした。
ブログでライターの夢を少しは実現している。
声優にはなれなかったが、語りはそれ以上の楽しみを与えてくれている。
情熱を注ぐものを持てた。情熱こそが人生の幸福。
やりたいことをやりたいだけやらせてもらえている幸せ。
去年からは地域ラジオに番組を持たせてもらって、自分が楽しんでいる。
一番最近妙なご縁で始まった珈琲店でのお話会。これがなんとも楽しい集まりになってきて交流が広がって地域の情報も入るし最高に楽しいのです。
最高に幸せな高齢期を過ごせるのだから、老々介護の苦労に耐える力も湧くと言うものです。
つまり何があろうと語りがあれば私は幸せなんです。身体はあちこち痛いけどね、そのぐらいはまあ良いじゃない。
・・・と書いていたら、いつものおじさんが「アマゾンの配達です」「何かしら?忘れちゃった」と笑いながら受け取ったら「ルーター」だった。
息子が早手回しに送りつけて、木曜日に設置してくれます。これでネットも安心です。
息子は毎週手伝ってくれる。
お正月は娘も手伝ってくれる。
勿論これも私の幸せ。良い老後だなあ!感謝感謝!