人気ブログランキング |


<   2005年 11月 ( 28 )   > この月の画像一覧

Qちゃん 復活!
今日は東京国際女子マラソンのテレビに釘付けで、予定がずれ込み運動と買い物終えたら日が暮れていました。

Qちゃんファンというわけではないのだけれど、気になって席を立てず見つめていたのに、
何と彼女がスパートした瞬間だけ目をそらしていました。残念!
予想より余りにも早めにスパートかけたのであとの4~5キロが心配でしたが、危なげなくぶっちぎりで雪辱を果たしましたね。凄い気力とあの脚の筋肉は印象に残りました。

つれあいと同じテレビ番組を見ることは少ないのですが、マラソンと駅伝は良く一緒に見ます。
お正月2日と3日は箱根駅伝に夢中でどこへも行かれません。

a0050728_22375920.jpg

道を歩いていたら、頭の真上にこんなに柿がなっていました。この家の人も、柿は食べないらしい。
東京では庭の柿を放置している家が多いです。剪定もしないから背が伸びちゃって余計とれなくなる。
野鳥も食べきれないからもったいないなあと思います。
近所の子供にもがせたらいいのにと思うけど、そんなことさせて怪我でもされたら大変・・・ということなんでしょうね。
by hisako-baaba | 2005-11-20 22:40 | Comments(7)

日本人の幸福度・・・続き
三井昌志著『素顔のアジア』を読み始めてインド洋大津波最大の被災地で、笑顔が並ぶ写真を見ながら気付きました。ニューオーリンズの被災者と表情が全く違うことに。
アメリカの被災者は救いのない暗さを感じさせたけれど、アチェの人は何もかも失ったことは同じなのに、でも笑っている。アジアはいったい何が違うのでしょう?

ヨーロッパの年寄りは幸福感を持つ人が多いとラジオは言っていましたが、もちろん近代化の中で、家族の絆も壊れた例は多いでしょう。孤独で悲惨な老人だって居るでしょう。
でも娘の周辺のスペイン人は友人達もみんな家族を大事にしているし、娘も良い関係の中に居ます。

日本の田舎でも、大家族は減って、老人が取り残されているでしょう。テレビに顔を出してしゃべる人は一人暮らしでも活き活きしているけれど、そうでない方も多いでしょう。
都会で一人暮らしをしている老人にも元気はつらつと意気消沈の2種類の人があります。
それが財産の有無にも健康状態にもどうやら関係ないらしいのです。

何が不幸かは見方によるし、何が幸福かは本人が感じること。
自分で『今が幸福』と思っちゃうものが勝ち!だと私は思います。そう言っていられることがありがたい。昔が大変だったんだから、そのぐらい良いんじゃない?
a0050728_1057402.jpg

by hisako-baaba | 2005-11-19 11:14 | Comments(7)

日本人の年代別幸福度?
今日、夕方買い物しながら途切れ途切れに聞いたラジオで、「日本人の幸福度を調査したら、
20代30代が一番幸福を感じていて、年をとるほどに幸福だと答える人が減ってゆく」と言っていました。これはヨーロッパとは逆だと。
ヨーロッパの人はリタイアを喜ぶし老後は幸せだという人が多いそうです。

日本はどうしたわけでしょう。家族制度を壊しすぎたのかなあ?
娘の住むスペインでは、家族のつながりがとても強いとおもいました。
スペインの若者は男女ともに20代で大抵家を出て、たとえ近所でもアパートで一人暮らしを始める。自立はとても早いが親との関係は親密なままです。
クリスマスには親の家に全員集合。恋人とクリスマスを過ごす人は居ません。恋人も自分の親の家に行くのですから。
失業者は多いが、一族で支えるから、飢える心配はない。一族の結束を感じます。

日本はどうしてばらばらになってしまったのでしょう?
封建的家父長制の弊害を打破しようとして、屋台骨までぶち壊してしまったのでしょうか?
兄弟が失業しても居候させるゆとりはないし・・・どちらにもその気はない。
田舎の大家族は別ですが、都会人はなんだか妙に心貧しくなっていますね。

近所付き合いもほとんどないし、孤立している老人家庭は多いらしい。
孤独死の増加が問題になっていて、半年も発見されないことがありましたね。

子供が一人前になって家を出ると、子供べったりだった母親は空の巣(カラノス)症候群で鬱病になったりする。父親は定年退職後身の置き所がなくて鬱になる?
私にはさっぱり判りません。

私だって不平を並べたら幾らでもある。まったく旅行ができない。昼間数時間出かけることにさえ、ぶつぶつ文句を言われる。
何かを思い切って買おうとおもうときは、片方でびしっとさいふの紐を締めてかからなければならない。
けれど私の気分は幸せ一杯。不自由なんて人生には当たり前。昔はもっともっと大変だった。
お金は不十分でも、自由が足りなくても、一方で好きなことを書いていられれば幸せ。

第一「空の巣症候群」なんて考えられない。自立してもらって楽になった。
たまに孫の顔を見せてくれたらそれでいい。
医者には色々用事があって、診察券はいっぱい持ち歩いている。
でも膝が酷く痛む時以外はさっさと歩ける。戦争をくぐったのだから「生きてるだけで儲けもの」
病気の愚痴と嫁の悪口語り合って暮らすなんて真っ平、だからここの老人会には入らない。
話の退屈なばあちゃんにはなりたくないなあ。

テレビで見る元気な田舎のばあちゃんは、自分の役割がちゃんとあるから活き活きしていますね。
病気ではそうは行かないでしょうが、でも以前ご近所だった同い年の人は、大病して失明したけれど教会でボランティアをしていました。目は見えなくても人の話は聞いて上げられるから。
誰かの役に立つことが生き甲斐になる。
自分が生きている意味を追求していたいものだと思います。退屈なんかしていられません。
a0050728_2203417.jpg

木枯らしの中の蝶。一人ぼっちで乏しい花を探していました。遅れて生まれてかわいそう。
by hisako-baaba | 2005-11-18 22:22 | Comments(3)

年賀状を工夫する楽しみ
今日初めて小さなプリンターの梱包を開きました。一人で出来るかなあ?????

さあーわかんない!? 説明書には足りない所があってとっても解りづらい。
用紙を入れなさいとあるから1枚入れようとしたら真っ直ぐ入らない、入れ場所が間違ってるのかなあ?何処に入れればいいのかしら?
・・・5枚押し込んだら入った。一枚では横の支えを押しのけられないのね。
何処にどうやって入れるかくらい説明書に書いておいてよ・・・・

メモリー入れてもランプがつかない。もっと押し込むのかなあ???
一枚目はテストで、それを印刷してからでないと、メモリーを入れてもランプがつかないのね。
そういうことは初心者が心配しないようにちゃんとことわっておいてちょうだいよ・・・・

一人でブツブツ文句を言いながらメモリーから1枚選んで印刷。
出てきたー!綺麗だー!安心したー。

まだパソコンと繋ぐやり方は勉強始めていないけど、そんなことやってたら年賀状間に合わない。
何しろ一昨年まで年賀状ソフトを入れて、出来合いのイラストを色々工夫して加工し変わったものを作ってきたけれど、宛名書きは自筆が良いし、人の描いたイラストには飽きてしまったので、去年の暮れには裏も表も総て手書きした。鶏の絵を赤と黒と金の3色で簡単に描いた。
昨年末に買ったこのパソコンには年賀状ソフトは入れていない。
だからといってパソコンの中で写真を加工するやり方をまだ知らない。PCでイラストも描けない。写真の脇に文字を書き込むこともまだ分からない。

今から年賀状に間に合わせる手段はただ一つ。
デザインは手作業で何かを作って、文字も書いて、消しゴムで落款?作って捺して、
それをカメラで撮って、裏面だけ印刷し、宛名は筆ペンで書く。
それでいい、それでいい。面白いものが作れれば良いんだもの。・・・・一人で納得しています。

来年はゆっくり勉強して、写真と文字を一緒に印刷できるようになりたいけれど、
今年は無理をしないで、別の工夫を楽しみます。何とか間に合うでしょう。
まあ、ばあちゃんひとりでやることだから、そう何もかも出来ないもんね。

a0050728_16173093.jpg

アラッ? もりぞうときっころ・・・森に帰ったんじゃなかったの???
by hisako-baaba | 2005-11-17 16:38 | Comments(4)

『たびそら』からでた2冊目の本
私はインターネットをHP『たびそら』http://www.tabisora.com/を読むことからはじめました。
写真に惹かれたのはもちろんですが、文章がしっかりしていてとても良いので
三井昌志さんのファンになりました。
一冊目の『アジアの瞳』は、写真展会場でサインしてもらって買いました。

今度の『素顔のアジア』はなるべくネットで買って欲しいと著者が言われるので、ネットで現金で買う方法が分からず(カードの買い物は嫌い)まごついた挙句、近所の書店に注文。ようやく昨日入手しました。
今度の本は文章が多くて読み応えがありそう。
いきなり、インド洋大津波直後のスリランカに入るところから始まっているようです。
これから読み始めます。
a0050728_16455411.jpg

by hisako-baaba | 2005-11-16 16:49 | Comments(8)

可愛らしい花嫁さん。どうぞおしあわせに。
今日はお祝いムード一色ですね。笑顔のかわいらしいお姫さんがお嫁さんになった。
ほんわかとした良いお嬢さんが、ついに好きなお方と結ばれた。いいご夫婦が誕生しましたね。
お二人とも口元の相が良いなあ。口角が上がっていて常に微笑をたたえた口元。
仲の良いご夫婦になられるでしょう。
皇室に生まれた方々が恋愛結婚できるようになったのは今の天皇様からのことですよね。

昭和天皇が想像を絶するご苦労の後で人間宣言をされ、普通に家庭の幸せを味わえるようになって、お孫さんたちの成長も見届けられたのは良かったなあと思います。
お宮のような御真影奉安殿の奥に写真を飾られていた現人神(あらひとがみ)天皇が
人間に戻れて本当に良かったですね。
もしあの戦争に勝っていたら天皇家の今の幸せはなかったでしょう。
内親王が自分のお口からプロポーズをお受けしますと即答できる自由を持たれて、
ほんとうに良かったなあと思いました。
天皇制には複雑な思いもありますが、今日は私も素直に喜んでおります。
a0050728_1581681.jpg

黒田家にも早く子宝が授かると良いですねえ。
by hisako-baaba | 2005-11-15 15:24 | Comments(3)

ティグリス川の機銃掃射
二日あいだをおいたので、又戦争を語らせてもらいます。

ティグリス川の映像・・・
イラク戦争が始まってすぐの頃、米軍の圧倒的軍事力に蹴散らされたイラクの兵隊達が、
追い詰められてティグリス川に飛び込むのを、ニュース映像がとらえていました。
次の瞬間ダダダダダダッ!恐ろしい音とともに、川面に斜めの水しぶきが川下に向けて等間隔に無数に上がりました。執拗に機銃掃射は続けられ『やめてー!』悲鳴を上げたくなった私。

あの日の恐怖が又よみがえったのです。
昭和20年春か夏か忘れました。昼間も空襲警報が出て、私は駅から家に急いでいました。
工場の焼け跡整理が休みの日だったのでしょう。駅から3分ほどの高級住宅街を歩いているとき、
背後から戦闘機が1機急降下してきてダダダダッと機銃掃射の音。
私は自分の背中に弾丸が飛び込んだ気がして棒立ちのまま動けなくなった。
次の瞬間敵機は急上昇して西の空に消えました。狙われたのは平行する一つ南の通りでした。
やつは戻ってきて今度は私の居る道を狙うかもしれない。
辺りには私しか居らず、お屋敷の塀ばかりで隠れるものが何もない。
恐怖に駆られた私は高い塀ではなく生垣の庶民の町へと走りました。飛び込む場所のある所まで。

幸い敵機は戻ってきませんでした。
あれは冗談だったのでしょうか???
軍需施設の何もない住宅街でふざけてちょっと脅かしてみた?被害はどうだったのか?・・・
当時空襲の被害はうわさにも伝わってきませんでした。
近所が焼夷弾に焼かれた夜、幾つもの町内が火の海でしたから、
死んだのが同級生のお父さん一人だけだったとは考えにくいけれど、情報は伝わってきません。
みんな口を封じられていて、違反すれば非国民のレッテルを貼られますから。

あの日家に帰るのに、もう一つ南の道を歩いていたら、私が機銃掃射に遭っていたことでしょう。
背筋が凍った記憶が染み付いてしまいました。機関銃の音はこわくてたまりません。
焼夷弾より恐いのは個々の人間を狙って撃ってくるからです。
私に銃口が向いたら!?おそろしいですよ。

戦後『禁じられた遊び』の映画を見て、橋の上で機銃掃射に遭い、幼い男の子が母親を失って孤児になる場面を、私は直視できなかった。
そしてティグリス川の水しぶきです。これは本当の戦争なのですから恐さは並ではありません。

日本が六十年間戦争をしないで来たのは素晴らしいことです。
ただ本当の戦の恐ろしさを体験したことの無い人々(今の政治家を初めとして)にはいまいち実感が持てていない様に思います。テレビの中の戦争を平気で見ていられる世代ばかりになったら恐い気もします。バーチャルの世界を見るようにしか感じない戦争の映像。かっこいいなんて思っちゃう者さえ居て、大丈夫なんでしょうか?

昭和20年当時十三歳であった私にとって、戦争はどういうものだったかと訊かれれば、
先ず『ひもじいものだった』と答えるでしょう。
代々江戸っ子で郷里が無いから、食料は配給に頼るだけ。米は遅配欠配。道端の草も食べ尽くし、屋根に這わせたかぼちゃは、実はもちろん葉も茎も全部食べました。
明日の命が知れないことより、今夜の、明日のご飯が無いことが子供には辛かった。だから私の身長は147cmしかありません。

今、戦禍に巻き込まれている各地の難民のひもじさが痛切に感じられます。
人間ほど愚かなものは無いのかも。戦いで人を殺し農地を荒らしていないで、平和に食料を作っていたら人々の飢えはかなり救われるでしょうに・・・戦争ほどの罪悪は有りません。
戦争を知らない世代の皆さん。生涯戦争を知らないで済む様に、平和を守り通してくださいね。
a0050728_1735416.jpg
a0050728_1741199.jpg

わが町の阿波踊り風景です。この平和がずーっと続きますように。
by hisako-baaba | 2005-11-14 17:21 | 愚かな戦争 | Comments(4)

ヒロポンを飲んで防空壕を掘った話の解説
一昨日書いた『ヒロポンを飲んで防空壕を掘った話』に反響を頂き、説明を追加しなければと思いました。

防空壕はコンクリート製のものも有ったようですが、山の手の住宅街には大掛かりな防空壕は作られていませんでした。家庭で掘るのはただの穴かその上に戸板を載せて気休めに30センチほど土を被せたくらいのもの。頭の上から落ちて来る焼夷弾には全く無力です。庭が無くて床下に掘られたものは一番危険でした。家が燃えたら逃げられませんから。
当時の記憶を書かれたものに、空襲警報が鳴ると床下の防空壕に入って身を縮めていた・・・というような記事があるのが不思議でなりません。
私は恐くて防空壕には入れなかった。降ってくる火を見つめていたから、穴は何の助けにもならず、逃げ遅れる危険が大きいだけだと本能的に感じていました。
世の中総て右へならえで「警報が鳴ったら防空壕」と決められていても、本能的に これだけは従えなかった。なるべくなら生き延びたかったから。
ウチの近くには工場もコンクリートのビルもないから、爆弾の地響きを聞いたことがありません。
爆弾は地面にもぐって爆発し、大きなクレーターを作ります。周囲の建物は爆風で吹っ飛びます。
そういう時は穴にもぐっていた方が少しは安全ですが、焼夷弾は部屋の畳の上で火災を起こすものです。穴の中は危険なだけです。30センチの土の覆いなど簡単に突き抜けて、不発弾でさえ同級生のお父さんの脚を砕きました。
でも“お上”の命令は、『防空壕に入れ』だったのです。当時の命令がどれほどばかばかしいものであったかは、順次語りたいと思います。

但し、13歳の私が「防空壕は危険だ」ということ以外に、何かを知っていたということでは有りません。みんなと同じ『銃後を守る軍国少女』で御真影奉安殿(天皇皇后両陛下の写真がおさめて有ると聞く、神社のような建物で、各学校等に必ず有った)には最敬礼をするし、防空訓練ではバケツリレーの練習もしました。・・・5~6リットルのバケツの水でガソリン火災が消えるはずはなかったけれど。
女学校で一番背が小さかったものだから、教練(陸軍将校が分列行進などを教える授業)のときに先頭を歩かされるのがとても辛かったけれど、鼓笛隊では笛を勇ましい調子で吹くのが好きでした。そんなことをしていられたのは入学した昭和19年だけのこと。20年になれば、軍需工場に動員です。ところが何一つ作らないうちに工場は焼け落ちて、私たち2年生は何ヶ月もの間瓦礫と灰の中から真鍮や鉄の部品を拾いながら終戦を迎えたのでした。学校も完全に焼け落ちていました。2年になったら習うと決めていたお琴が校舎もろとも燃えてしまったことが一番悲しかった。

ヒロポンは危険な覚せい剤であるということを世間ではまだ誰も知らない時代でした。
おそらく、軍需工場で徹夜の作業をさせるために工員達に配布したものと思われます。確かに気分が高揚して、何でも出来ると思ってしまう薬でした。一時的に疲れを忘れますが、後からどっと疲れが出るのです。
戦後暫くして、ヒロポン中毒が蔓延しました。廃人になった若者も多く居ました。昭和30年ごろボランティアをしていて、ヒロポン中毒者を隔離していた精神病院を見学する機会がありました。無人の個室を見せてもらったところ、コンクリートの狭い部屋で、床にはトイレの穴が開いており、粗末なベッドのほかには何もない酷いものでした。灰色の小部屋に閉じ込められて回復した人が居るとは思えません。
『天皇陛下の御為』というたがが外れて、目的を失った若者から始まった覚せい剤の流行でしょうが、敗戦前に軍需工場でヒロポン中毒になった人も一部に居たのではないでしょうか?当時の中毒の蔓延は長引いてすさまじかったし、現在又覚せい剤や麻薬が蔓延し始めていることが私には恐ろしく思えてなりません。

B29は当時の最新鋭爆撃機です。日本にはあんなでかい爆撃機は無かったし、B29を迎撃する戦闘機の姿さえ私は見たことが有りませんでした。辺りにさえぎるものが無いまま悠々と爆撃を続けていたように見えました。
原爆を落としたエノラ・ゲイもB29です。しかもその姿が実に美しいのです。
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/ok_b29.museum.html
ジェット機と違って翼が真っ直ぐ横に伸びていて、プロペラが4つあります。夜空にサーチライトを浴びながら、高射砲の届かない高空を悠然と編隊を組んで飛んでゆく銀の翼。火の雨を何万発もばら撒いてゆくのでなかったら、その美しさに感動して眺めたことでしょう。
焼夷弾のばら撒かれる様も、綺麗としか言いようが無いものでした。夜空に広範囲にばら撒かれる明々とした珠すだれ。あれが花火なら大いに感動できたでしょう。
それらの美しいものが、罪のない民間人を殺戮し続けたのです。美しすぎただけに尚恐ろしかった。

尚当時の日本の零式戦闘機、「零戦」も実に美しい形でした。小さく凛々しい姿で、みんなの憧れでした。戦争の道具でなかったら、どんなにステキだったことでしょう。
a0050728_12323363.jpg

by hisako-baaba | 2005-11-11 12:37 | 愚かな戦争 | Comments(8)

もらったよーっ! 活きの良い大間マグロ1匹
Komakoさん有難う!!
活きのいいまま東京まで届いて、夕映えの中で跳ねてます。
a0050728_1875060.jpg
a0050728_188535.jpg

Komakoさん絵も上手いこと!センスあるなあ。本当に有難う。

陶芸をやっていたブログのお友達からのプレゼントでした。
自治体のやっていた陶芸教室が閉じられて、もう出来ないそうで残念です。
by hisako-baaba | 2005-11-10 18:09 | Comments(3)

ヒロポン(覚せい剤)を飲んで、子供が防空壕を掘った話。
ブログ仲間のぶいぶいさんが、大学の実習でデイサービスのお手伝いをして、お年寄りから戦争の話を聞いたと書かれていたので、私も語っておかねばと思い立ちました。

先ずはヒロポン飲んで防空壕を掘った話から。

7歳で父に死別し大きな洋館から小さい家が建て込んだ街に移った私が、12~3歳になった頃でした。
一家に一つ防空壕を掘れという命令が下ったのです。

一角に14軒ほどの家がある地区で、7~8軒づつの隣組が組織されていました。
上からの命令は総て隣組長に伝えられ、回覧板で周知徹底されます。

この地域では、土を掘るだけの防空壕ほどばかばかしい物はありませんでした。
防空壕は爆風避けには必要ですが、木と紙と土(瓦と壁)だけで出来た平屋が並ぶ街に爆弾は落としません。
爆風の起きない焼夷弾に対して、防空壕は役に立たないどころか返って危険です。
穴の中で蒸し焼きになるだけだからです。
でも命令です。ばかばかしくても掘るしかありません。

母は45歳で私を産みましたから、当時50代後半。お嬢様育ちで力仕事なんか出来ません。私が掘るしかなかったのです。
軍需工場に徴用(強制的に勤めさせる制度)で働いていた或るおじさんが、白い錠剤を二つ私の手に乗せて『これはね、ヒロポンといって、とっても元気が出る薬だよ』とくれました。
後で知ったことは、元気が出る薬ではなく、興奮状態になって、疲れを感じないままどんどん働き、後でどっと疲れが出る、覚せい剤だったのです。

私は2錠を1度に飲んで、日曜日の一日だけで防空壕を掘ってしまいました。
庭は狭いので、家の縁の下まで掘り進み、深さ1mあまりで3平米ほどの穴が出来ました。

でも絶対に入りませんでした。
町会の役員が空襲警報が鳴る毎に、『防空壕へ退避、タイヒーッ!!』とヒステリックに叫んで歩き、防空壕に入らないで居れば酷く怒られますが、我が家は奥まっていて道から見えないので、私は台に乗って空を睨んでいました。「B29はこっちに向いていないから大丈夫」などと言いながら。

焼夷弾は小さい消火器ぐらいの管にジェル状のガソリンのようなものが入っていて、19本ずつハガネのバンドで束ねて二段重ねが一つになっています。そんな物が何百も投下されるとすぐ火がついて、バンドが外れて、はじけ飛びます。燃えながら落ちてくる焼夷弾の雨は、まるでナイアガラ花火のようです。
焼夷弾は瓦屋根を突き破って畳の上で止まるように作られていました。畳を突き破って地面に刺さっては火災を起こせなくなるからです。

昭和20年3月10日の東京大空襲は、非戦闘員(女子供と老人)の暮らす街を焼き尽くして、人心を攪乱する目的だったようで、じゅうたん爆撃(あたり一面火の海にして逃げ場を与えない)で人も街も燃え尽きました。
その後の山の手の空襲は、あちこちで火の手が上がって総て火の海で囲まれたように見えはしたものの、火災の間には逃げ道がありました。

5月25日の晩焼夷弾の雨は隣町に降りました。同級生のお父さんが立派な屋根付き防空壕の中に居て、脚に不発弾の直撃を受けて亡くなりました。防空壕の屋根に30センチの土盛りがしてあっても、焼夷弾はあっさり突き抜けました。不発弾でなかったなら、防空壕の中で一家は全滅するところだったのです。

黒煙が垂れ込めて家に居られなくなった私たちは、3キロ先の練兵場の塹壕に避難しました。翌朝帰って見ると、意外にも家は無事でした。大火災で風向きが変わったのです。でもちっとも嬉しくはありませんでした。今夜にでも又B29が来て焼かれるのでしょうから。

3月10日の下町ほどの恐ろしさは体験しなかった私ですが、あの憎いけど美しすぎたB29の、一糸乱れぬ編隊と、降り注ぐ火の雨は忘れられません。








by hisako-baaba | 2005-11-09 18:32 | 愚かな戦争 | Comments(6)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
フォロー中のブログ
最新のコメント
祥さま まあそんないい..
by hisako-baaba at 15:50
何もかも騰がりますが、 ..
by 祥 at 14:52
dekoさま 疲れは溜..
by hisako-baaba at 21:48
こんばんわ 夜語りの会..
by Deko at 19:24
祥さま まったくですね..
by hisako-baaba at 23:13
Ebloさま 今までイ..
by hisako-baaba at 23:02
アマゾンやインドネシアの..
by 祥 at 22:17
今はイスラエルの選挙結果..
by eblo at 19:33
kiyokoさま 来年..
by hisako-baaba at 12:13
tabigarasuさま..
by hisako-baaba at 12:10
「来年も」と言う言葉、心..
by sidediscussion at 11:47
素晴らしいことですね。
by tabigarasu-iso at 11:00
Junkoさん はい、..
by hisako-baaba at 18:06
Ciao hisakoさ..
by cocomerita at 17:57
marshaさま 書き..
by hisako-baaba at 11:58
良かったですねー、本当に..
by marsha at 10:09
marshaさま お腹..
by hisako-baaba at 07:41
大盛会で良かったですねー..
by marsha at 06:39
チェイルさま はい、夜..
by hisako-baaba at 22:34
台風のお見舞い、ありがと..
by bh2005k at 18:39
最新のトラックバック
venussome.com
from venussome.com
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
緊急事態だぞ! 映画「日..
from 梟通信~ホンの戯言
いちはやく -189:児..
from 虹色せんべい
世界遺産に登録される日本..
from dezire_photo &..
月 長元坊 巨人機 溶岩..
from 掬ってみれば無数の刹那
セルバンテス『ドン・キホ..
from dezire_photo &..
セルバンテス『ドン・キホ..
from dezire_photo &..
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧