68年前、小学校一年生の時のの綴り方帳(作文)が出てきましたので書き写してみます。
当時の一年生はカタカナから習いました。旧仮名遣いで読みにくいでしょう。言葉遣いも当時の作文はこんなでした。
(ワ行のイとエは今と違う文字でしたが、IMEパッドの手書きで昔の字を書こうとしたら、駄目でした。昔は、ア行とワ行をきちんと使い分けなければなりませんでしたが、今はその文字そのものが消滅しているようです)
菅刈尋常小学校第1学年 綴り方帳 昭和13年度
「オママゴト」 (一年生最初の綴り方 一人で遊んだ話)
ワタクシハ、オウチノイリグチノ、ダンダンノトコロヘゴザヲヒイテ、(シイテと書いて赤ペンでヒイテと直されている)オママゴトヲシマシタ。ワタクシハオニンギャウヲダシマシタ。ソレカラハナヲトッテキマシタ。ソレデゴチサウヲシマシタ。ワタクシハワザトホントウニタベルマネヲシマシタ。トテモオモシロウゴザイマシタ。
ヲハリ。
びっくりするような仮名遣いですね。ござは『敷いて』は間違いで『ヒイテ』と先生に直されています。人形は「ニンギャウ」なんです。ご馳走も「ゴチサウ」 終わりも「オハリ」
「キノフノサンジュツ(昨日の算術)」昭和13年11月22日
ワタクシハキノフノサンジュツニ、イテフノハ(銀杏の葉)ヲ百マイヒロヒマシタ。コヅカイサンガ、木ニノボッテ大キナエダヲオトシテクレマシタ。ワタクシハ木ノエダニツイテイルハヲモギトッタリ、ヒラヒラオチテクルハヲカタッパシカラヒロヒマシタ。
カンジョウシテミマシタラ、百ヨリオオカッタデス。サウシタラ、ヨシオカサンガスクナイノデ、アゲタカラチョウドヨカッタデス。
「オバサンノウチ」 昭和14年1月10日
ワタクシハオカアサントオバサンノウチニイキマシタ。オバサンノウチノヨウ子チャンハアソビニイッテイテイマセンデシタ。モトシサンガカヘッテキテ、ヨンデキテクレタノデヨウコチャントアソベマシタ。ヨウコチャント、ハネヲツイタリフウセンヲツイタリシテアソビマシタ。トテモオモシロカッタデス。カヘルトキモオホツカエキマデオバサンガツイテキテ、エキデワカレマシタ。ヨウコチャンノフウセンヲモラヒマシタ。ウチヘカヘッテツイタラ、セッカクモラッタフウセンヲヤブイテシマヒマシタ。(雍子ちゃんは6歳上の従姉です)
「オキャクサマ」 14年1月20日
私ノウチニ、オバサンガキマシタ。オバサンハゴゴノ三時コロニナルトカヘリマス。ソレデ私ノオニイサンノコトヲキイタリ、私ノセイセキヲミタリシテカヘリマス。オバサンノウチハオホツカノホウデス。オバサンハ、ヨウ子チャンヲツレテキテクレルトキモアリマスガ、ソノトキハツレテキテクレマセンデシタ。
「雨ト雪」 2月10日
私ガバンゴハンヲタベオワッタトキハ、モウ雨ガザアザアフッテイマシタ。スコシタツトコンドハ雪ガフッテキマシタ。雨ト雪ハヨルジュウフッテアサニナルトヤンデイマシタ。私ガガッカウ(学校)ニイクミチヲアルイテイルト、ナガグツガ雪ニモグッテシマヒマシタ。スコシ下ヲミテアルイテイルト、雪ノトコロニ小サナアナガアイテイマシタ。ソレハ雪ノ上ニ雨ガフッテ、小サナアナガアイタノデス。
「オニイサン」2月21日
オニイサンハ、2月7日ニウチヲデテ,9日ニフネデシャンハイニユキマシタ。オニイサンハ孝サントイヒマス。
三人ノオニイサンノウチ イチバンシタノオニイサンデス。(18歳)
ワタクシノイチバンアソビアイテノオニイサンガ、シナニイッテシマッテツマラナイデス。
ケサ孝サンカラテガミガキマシタ。私ハウレシクテ、テガミニトビツキマシタ。ソシテスグヨモウトスルト、カンジデヨメマセン。シカタガナイカラオカアサンニヨンデモラヒマシタ。
「孝サン」 3月10日
孝サンガシナヘイッテカラ二ドメニテガミガキマシタ。私ガイチバンマッテイタテガミデス。
私ハウレシクテウレシクテタマリマセンデシタ。オカアサンニスグヨンデモラヒマシタラ、シャンハイノオミセカラ、モウ、ブコノオミセニツイタサウデス。
孝サンノオミセハヒマダサウデス。ソシテゴハンハシナショクダサウデス。シャンハイノオミセハ三ガイダテデ、孝サンハ八ジャウジキノヘヤニネタサウデス。ブコノオミセハ、イクジャウジキノヘヤダカシリマセン。私モイマニ大キクナッタラシナヘイクカモシレマセン。
13年10月末に父が突然死して、家が傾いた前後の作文です。父には触れる事が出来ないし、葬儀前後の記憶が全くない私です。
その頃の私。叔母の別荘にて。