<   2007年 04月 ( 24 )   > この月の画像一覧

2歳になりました

健志は先月2歳になりました。動物園で・・・
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桃太郎のタペストリーもうじき届くから待っててね。
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一応絹糸で細かく縫い取りしたのだけれど、もとが既製品だからイマイチ気に入らない私です。
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by hisako-baaba | 2007-04-15 15:16 | 孫たち | Comments(14)

子供を自立させられない親
ニート(働かず求職活動もせず、親に養われているオトナ)の親達が年金生活に入る、悩みは深刻・・・という話を聞きました。

ニートの中にはウツ病や精神障害を持つ人もいるでしょう。病気なら治してやらなければいけませんが、病気も無いのにぐうたらスネをかじり続ける成人した子を、なんで養うのですか???

親が暖かい家に寝かせて温かいご飯を食べさせているから、甘えが抜けないんじゃないのですか?

昭和26年、私が19歳でバスの車掌になったとき、同期生は皆中卒の15歳でした。
彼女らはそれぞれの家の重要な稼ぎ手だったのです。親を助け弟妹を養う為に、一生懸命稼いでいました。

そんな現実が今は無いから・・・働けないのですか?
親が『働かざるもの食うべからず』と言い放って、養ってやらないことこそ、愛情だと思います。

『成人するまでに、あるいは大学を出るまでに、自力で食ってゆける力を身につけろ』と言い聞かせて育てなければ・・・子供がかわいそうです。

ニート達は、三十年か四十年後に無年金の高齢者になって、生活保護を受ける・・・とんでもない話です。社会の大迷惑。

子供に自立を教えなかった親に、私は腹が立ちます。


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赤い葉牡丹も白い葉牡丹も、花は黄色でした
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バラのように咲くチュ-リップ。
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by hisako-baaba | 2007-04-14 10:49 | 日本国に言いたい事 | Comments(12)

お風呂の中でも喋っています

記憶力に自信が無いので、短いお話を探して、小手調べに2ページのものを覚えることにしました。
18日に会があるので、何とか間に合わそうと・・・お風呂の中でもキッチンでも、・・・びんぼうなじさとばさが・・・と喋っています。原稿はワードに打って、冷蔵庫に貼って、あまり見ないで喋れるようになりました。このぶんなら間に合いそうです。


花見散歩の残りの写真です。
志木の石屋さんの店頭。
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宝幢寺鐘楼
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昇り竜 降り竜 とだけ書いてあって説明無し。察するところ江戸時代の水道設備の一部で、高低差のある所へ上水を揚げる施設の模型かと・・・?
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河童が川を遡る・・・
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by hisako-baaba | 2007-04-12 09:39 | 語り | Comments(8)

語り部始動します

17歳当時の長い日記を根気良くお読みいただいた皆様 ありがとうございました。

さて心新たに、今度は語り部の勉強です。3ページ以内の短い昔話を、来週の勉強会までに覚え込むつもりです。『天福 地福』にしようかなと・・・・


今日はお花見散歩の写真の残りをお目にかけます。
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by hisako-baaba | 2007-04-11 10:02 | 語り | Comments(7)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No10
(ここから兄の結婚事情は話が長いので抜粋します)

昭和23年の事、兄が中国に残してきた婚約者から、特別なルートで手紙が来て、再会が絶望的になったので、「あなたを諦めてこちらで結婚しなければならなくなりました」と別れを告げられていた。そこで兄も彼女を諦めて、尊敬する恩師の娘との結婚を決めた。

昭和24年1月、下の兄の結婚式の日取りが決まり、住宅難の中、家の3畳と元の風呂場に住むことになる。3世帯で一つの家に住むので、家の模様替えを自分たちでやらなければならなかった。仕事を休んでいたら,I君から「30日連盟に行きます」とはがきが来たので、私も出かけた。しかしよい場所は他の人が出ていたし、飴も十分には仕入れられず、新小岩で3人一緒に売って、それでも一人190円になった。(飴はノートより売れた)

このあと2月8日のお寺での婚礼の準備に追われる。食糧難だから何でもヤミ(配給外)で調達しなければならない。兄が最中を注文して有ったので、前日遠くまで私が取りに行った。(目黒駅から白金方面にバスで行った記憶がある。お菓子はなかなか手に入らないものだった)
家で20人前のお赤飯を炊いたり、旨煮を大鍋に作ったり、前夜は寝る暇ない大騒ぎ。旨煮を一人で仕上げた私は鼻高々。翌日、上の兄が自転車で、私は電車で、料理を運び、いったん戻る。鯛は人数分に足りず、マグロの刺身は何とか間に合う。お赤飯と煮物や切りイカ等の折り詰めを自分で作り、本堂で内輪だけの婚礼が始まったが、意外にも妹の私に席はなく、裏方に回されてかなりむくれる。お台所で尼さん数人と賑やかに鯛を焼いたり料理の盛り付けをしたりした。それはそれで面白かったが、そのまま本堂で披露宴が始まると、大変忙しく働かされた。酒の燗が特に忙しかった。大酒呑みのお客が居て、追加しなければならなかったし。料理を作った私は人数に入っていなくて、自分の折り詰めは無かったけれど、楽しい尼さんたちが気を使ってくれて、何かしら裏でお腹いっぱい食べていた。最中の残りも、尼さんとじゃんけんして余計に食べた。

この日の日記には・・・
式が始まる前に誰も私を花嫁さんに紹介してくれない。仕方なく最中を配ったとき自己紹介したら、後からM先生(花嫁の父で、兄の恩師)がやっと紹介してくれた。全く忘れられた存在の私はお給仕役だけで、誰も席を取っておいてくれない。家族は母と上の兄だけしか式に参列しなかった。おめでたい席でなかったら、やかんと徳利と茶碗を並べて、勝手にお燗して飲みなさいと帰ってしまいたいところだが今日は我慢した。
むしゃくしゃしているとき、お上人様が台所に来られて「今度は妹さんの番ですね」と言われたので「お酒呑みは大嫌いですから」と言ったら、尼さんたちが「やられたー」とはやし立てたので、お上人さまは「そのくらいはっきりしているほうが良いでしょう」と言って戻って行った。お酒を持って行って私も勧められたが飲まずに置いたら、「飲めないの?」と言われた。お燗したお酒なんかまずくて飲めるか。私はお酒を熱いお湯で3倍くらいに薄めて、お砂糖を入れたのでなければ飲まない。(現在はビールの次に熱燗が好きです)



この後の日記も見つかりません。記憶では・・・鏡だけを一人で売って、4200円作って編み機を買い、講習に通いました。『高速編み物機』といっても初期のもので、セーター編むのに2日もかかります。
『矢』という棹を左右からシャーッ、シャーッと差し込んで1段づつ編み進む。ゴム網などはいちいち手で目をひっくり返すような厄介な機械でした。一通り編めるようになったけれど、仕事は斡旋してもらえず、完全に挫折しました。

編み物に絶望して、今度はお針子になりました。中目黒の小さな洋裁店で独身の先生と見習いは二人。ここで撮っていただいたのが、戦後初めての写真です。お針子はこの二人でした。私は向かって左。
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昭和25年夏、朝鮮戦争が勃発します。米軍兵士が戦車や装甲車に乗って、洋裁店の前の大通りを轟々と走って行きます。アメリカ兵に手を振ったことなど無かったけれど、この時は彼らが可哀想で、みんなして手を振りました。「生きて帰りなさいよー」と叫びたい思いでした。

お針子では生活できないので辞めて、東急バスの入社試験を受けました。なかなか通知が来ないので、三軒茶屋の市場の食料品店に勤めました。朝、商品を上手く並べたら、店主が「あんたが並べると見やすいし綺麗でいいね」と、褒められました。
そこへ東急から採用通知が届いて、給料がよかったので、食品店には病気といって辞めました。

ここが運命の大きな分かれ道だった気がします。もし東急が不採用であれば、三軒茶屋で商売にのめりこんだと思うのです。バスの車掌より販売の方がよほど面白い。たぶん市場に馴染んで、何処かの商店のおかみさんになっただろうと思います。
バスの暮らしが心身ともにきつかったので、苦し紛れにボランティアに熱中し、ますます「ヘンな女の子」のレッテルを貼られるようになった私は、厄介な方向にばかり進む運命だったのでしょう。

東急バスの車掌だった9年余りの日記は膨大な量が残っていて、まだとても整理し切れません。朝4時半起きで電車を乗り継いで車庫までかなり歩いて出勤。午後早く帰れる日はバスで帰るから良いけれど、長い中休のあと夕方から又勤務だったりで電車を遠回りしての帰りは夜中の事も・・・夜学に通う事も出来ませんでした。
私はバスの仕事を意地でも完璧にこなそうとしながら、でも好きになれなくて、『これは生活の為のアルバイトだ』と割り切り、「本業」のケースワーカーに徹しようとボランティアに駆けずり回ったのです。辛かったけれど、あれこそが私の熱い青春だったと思います。失恋ばかりしていたけれど・・・生意気すぎて、もてるわけが無いヘンな女の子になりきった青春は、でも熱かった素晴らしい思い出になっています。あの情熱に後悔はありません。

その話は日記をもっと整理して抜粋してから、又掲載します。たぶん半年位後に。
今回の連載はここで一応終了と致します。


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8日の写真の続きです。
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志木の市場通りには、昔の建物が多い。
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町のシンボルは河童
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オオバコの花?
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3日間散歩ばかりしていたので、四日目は大掃除・・・といっても換気扇だけ。
脚立に上って浴室の換気扇のフィルターをはずして洗い、キッチンの換気扇は分解掃除。
マンションの換気扇は構造がわからず、説明書を読んでも、普通と全く違う電源の位置を見つけるだけで手間取りました。「説明書ってどうしてこんなに頭の悪い書き方なんだろ」・・・ぶつぶつ言いながらドラムをはずして洗剤に漬け込みました。歯ブラシではギトギト汚れが取りきれず、タオルで拭きなおして、周辺の油を取り除き、元どおりに組み立てて、脚立から下りたらどっと疲れが出ました・・・
半年でこの程度か・・・揚げ物はしたくないなあと思いました。4月と10月に分解掃除をすることに決めておきましょう。
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by hisako-baaba | 2007-04-10 10:25 | 我が家の歴史 | Comments(8)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・No9
4冊目の日記がどうしても見つかりません。記憶では数年前パソコンに入れようとして、べつにしてしまったようです。この一冊が一番面白かったからだと思います。近年読み返したことがあるので、記憶には少し残っています。(仕方ないので思い出して書きます.日記NO4)

昭和24年1月3日 午後一時Y君I君K子さんを待つ。I君だけが玄関に現れた。Y君は恥ずかしがってバス通りの角に立っているという。迎えに出て引っ張ってくる。K子さんは来なかった。ネコアンカに当たりながら、みかんやトウモロコシパンなどありったけのおやつを出す。トランプなどしてから外に出て羽根つきもした。(トウモロコシは米の代わりに配給されるアメリカの援助物資で、それをパンに焼く為の真ん中に煙突のついた鋳物の鍋があって、今のアップルリングと言うパンより少し大きめのリング状のパンを上手に焼く事が出来た。アメリカの砂糖を入れてとても美味い主食だった)

1月4日 Y君I君が渋谷で映画を見せてくれた。(明るい恋愛映画だったと思う。大混雑でその回が終わるまで身動きできずに立っていて、その後座ってちゃんと見られた。映画は庶民の主な娯楽だったから、常に大入り満員だった。)

お正月休みが終わると、立川で鏡を仕入れては、主に自由が丘で一人で売った。りんご箱を4個も借りられないので、家から三尺の棚板をはずして抱えて行き、りんご箱2個の上に渡して、もぞう紙を掛けて、絵の具で書いた看板を下げて鏡を飾った。小さくて薄い鏡がほとんどだが、20cm以上のも少しあって、これが一番人気で儲けも多かった。鏡面には少し凸凹があって、ガラスが緑がかっている粗悪品だから、顔色が青白く写る。いわゆるうぬぼれ鏡だった。それでも大空襲で何もかもが失われた後だから、品物さえあれば何でも売れた。
はっきり覚えているのは、或る日自由が丘で、一番売れ筋の大きい鏡が4枚残っていたとき、東北弁のおばさん4人に値切り倒され全部持っていかれてしまったこと。大きいのがなくなるとパタッと客足が止まるから大打撃だったが、おばさんパワーに抵抗する事は出来なかった。
一人で売るのは心もとないし、自由が丘にばかり出ても居られず、ほかを開拓する元気もなく、やはり連盟の方向に出て行きたくなる。Y君が「K子さんは友達にしないほうが良いよ」と忠告してくれていたのに、彼女を誘って二人で売った。しかし彼女はすっぽかしの名人で、約束をカンタンに裏切る。どちらの家にも電話がないから私はきりきり舞いして何日も無駄にした。(1月18日から5冊目の日記が残っている)


アルバイト日記 No5 1月18日 1時半立川へ,K子さんと東宝園で清算を済ませたが、鏡の分かる人が居なくて待たされた。女中さん(当時はお手伝いさんをそう呼んだ)が心配してくれて、他のお店に取りに行ってくれたところに、いつもの方が帰ってきた。二人で持ちきれないほど持って、吉祥寺北口前に上手く店を出した。ところが共産党が大声で叫ぶので全然売れない。やっと居なくなったので大声で売ったら5時から7時半の間に一人250円になった。品物の中に、ほとんど無傷の7インチが混じっていたので、それだけは160円で売り、一枚で70円儲けてしまった。とても寒かったが9時に帰宅できた。明日1時船橋に出る約束をする。
1月19日 1時の約束にK子さん来ない。1時半連盟に電話しても来ておらずじっと待つ。さんざん遅れて現れたが、今日Y氏が船橋に来るから、鏡を売るのはまずいと言う。元八幡に移って売れそうだったのにK子さんは嫌になったと言う。これから千葉に出ているH君に文句を言いに行くといって、私にすべての荷物を押し付けて行ってしまった。
風が強くなったので仕方なく2倍の荷物を担いで、棚板も抱えて一人で帰る。大変な損害だ。

1月21日 今日は祐天寺で正午に待ち合わせだったが、K子さん来ない。(後で聞けば連盟に居たそうだ)当てにならない人を当てにしてうろうろ。結局仕事に出る気をなくす。もう信じられるのは自分だけ。明日は何がなんでも一人で自由が丘に出る。そうしないと立川に清算に行けない。今儲けは650円。明日500円になれば足代引いても千円は超える。貯金が1200円ある。暫くがんばれば高速編み物機が買えるだろう。(就職は無理なので、編み物で自立するつもりだった)

1月22日 お金が欲しいから仕方なく一人で自由が丘へ。二人分の荷物が大変重い。でも全部担いでゆく。嬉しいことに、この前会った共済連盟の人がノートを売っていた。荷物を見ていてもらって、箱を借りに歩く。いつもの店にはなくて遠くで借りた。快晴なので鏡は酷く反射する。駅の人が飛んできて、「事務所に反射してまぶしくて仕事が出来ないから、向きを変えなさい」と言われて慌てて飾り方を変えた。大きいものばかり売れるのでじきに儲けが300円を超えた。安心してノート売りの大学生とおしゃべり。両親がないそうだが快活で話の面白い人だ。帰りは彼と、宝くじ売りのおじいさんと3人一緒に東横線に乗り、祐天寺で降りるまでおしゃべりした。今日の儲けは470円。

1月24日 立川に清算に行き、帰りに代々木の高速編み物研究会に寄る。
夫婦で編み物機を買いに来ている人が居た。 編み物機2500円、台800円、入会金300円、月謝300円。
初めに4200円払わなければならない。2月に入学するのはとうてい無理だ。何とかお金を作らなければ。(続く)


自立するには手に職をつけるのが一番と思って、機械編みでプロを目指しました。初回払込金4200円を貯めるのにどれほどの労力を費やしたことか・・・翌月からは月謝300円ですが、他にも買わなければならない出費が有って、卒業してもその上のクラスに進まなければならず・・・ずいぶん無駄な努力をしたものです。



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昨日又2日前に行ったばかりの川の合流点まで、今度は片道2時間歩いてゆきました。
犬も歩けば・・・いえ、私も歩けば犬に当たる。ミニ馬さんと同じくらいでっかい犬にびっくりでした。
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黒のラブラドールレトリバーだって大型犬ですが、このレオンベルがーは何倍もでかい。
2匹を散歩させていた紳士は、写真を撮らせてとお願いすると、2匹の綱を放して「座れ」といってくださいましたが、レオンはどたっと寝てしまって大きさが良く解らなくなりました。
志木で見たお馬さんと、背中の高さはほぼ同じでした。
飼い主さんによると、レオンはラブラドールよりはるかに飼い易く、「誰でも飼える犬ですよ」とのこと・・・まさか・・・広いお庭と遊ばせられる河原があって、お金持ちで無ければ飼える訳が無いでしょう、こんなでっかい犬・・・でかいけれど優しい目をして、とってもゆったりした犬でした。

こちらの犬は真っ白で綺麗で、やさしそう。
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あたりは広い田んぼと、広い河原・・・よい環境です。
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左の新河岸川に右から柳瀬川が合流して東京へと流れて行きます。
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新河岸川には江戸から川越まで、高瀬舟(底の平らな川船)が、川のぼりは川岸から人夫が綱で引いて3~4日がかりで川越に着き、川下りは1日で江戸に着いたそうです。
志木は一つ目の中継点だったようです。
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by hisako-baaba | 2007-04-09 10:42 | 我が家の歴史 | Comments(6)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No8
昭和23年12月27日(月) 昨日は大雨。今朝兄さんから風船ガムの卸の外交をやってみろといわれ、一軒行って断られた。(当たり前だ。名刺も持たない女の子が見本持ってセールスに来たって誰も相手にしない)天気が気がかりだが連盟に向かうと、御茶ノ水の乗換えで、目の前にY君が立っていた。新小岩で台を借りて千葉に鏡を売りに行くのだそうだ。台三つ持ってってやるから飴売りに来いよ」という。本部に急いだがE君が千葉へ飴売りに出るところだったので仕方なくノートにした。雨が降りそうだが、並んでノートを売る。雨が降り出しては駅に戻り止むと又出す。そんなことをしているうち、原価7円のノートを15冊泥水に落としてしまった。これは自分で買うしかない。又止んだので、5人で店を並べたらお巡りさんに止められて、もとの場所に戻る。結局売れない。「鏡を早く売らせて」と頼んで29日9時立川に行く約束が出来た。今日は電車賃140円、落としたノート代105円、200円の赤字。新小岩で土砂降りになりバスが来たので走ったら物凄いぬかるみで靴下まで泥水まみれ。冷たい。でももうこんな所に二度と来たく無いから、何が何でも清算してこなければ・・・バスは超満員で乗せ切れず行ってしまった。暫く待ってようやく乗れた。連盟に着いて急いで清算。お金足りず60円借りる。バス停で待ったが、バス一台止まらずに行ってしまう。イライラして次のバスを待つ。降りてから走り通しで預かり所の傍まできたら,I君に呼び止められた。Y君たちは真っ直ぐ帰るので駅の中に居るという。私を待っていてくれたのだ。Y君「立川に行くのは明日の夜にしてくれ」という。立川の地図を描いて貰って代々木で別れた。

12月28日(火) 曇りのち晴れ。朝大急ぎで大きい紙に鏡の看板を書いた。それから母と日本橋へ買い物に行く。三越、白木屋を回り母は先に帰る。手相を見てもらいたくなって銀座通りを通って有楽町まで歩く。高島易断しか出ていなかったので手相はやめた。少し早いけれど立川に向かう。電車賃30円。祐天寺から行くのと同じだ。立川に4時過ぎに着く。東宝園を下見してから、婦人公論を買い、読みながら待つ。Y君来てI君と駅の反対側で売っているのだという。入場券で駅を通り抜け北口に出ると、I君が薄暗いところで鏡を売っていた。パンパン(街娼)に冷やかされたりでさっぱり売れない。諦めて片付ける。東宝園に行く途中Y君、私に鏡を3枚預けて「これ見せないで置いて。全部清算したら電車賃も出ないんだ」とっさに逆じゃないかと思ったが預かる。東宝園で清算すると、思ったとおり計算が合わない。数学に疎いY君が勘違いして3枚隠したから余計儲けが出ないわけだ。結局60円しか儲けが無く、お店の人が気の毒がって電車賃をくれた。私の分もリュックに一杯鏡を預かる。身元も確かめないで商品を貸してくれた。手提げを入れたリュックをY君に持ってもらっていたので、「その中にお財布が」というと「良いよ、さっき貰った百円で買うから」と渋谷まで切符を買ってくれた。明日はY君出られないのでI君と自由が丘に出る約束をした。Y君が婦人公論見せてくれというので渡すと、何とかの恋愛と結婚のモラルとか言うページを開いて、何回ぱらぱらやってもここが開くよ。ここばかり読んでたんだな」とからかう。一冊だけ残っていたのを買ったからで、そこはまだ読んでないのに。しゃくにさわったから本をひったくってしまった。暫くしてY君「向こうに居る人、ああいう服装で、お下げを長くしている人が好きだ」と言う。長いお下げが好きと聞いて、最近パーマを掛けた私がヘンな顔をしたらしく、「君みたいなの好きじゃないって言うんじゃないんだよ」と付け足したから、私は吹き出してしまった。でも髪を切ってしまったのが残念。
新宿で4番線の手洗い所(トイレ)に寄る。出てきたY君意外にもタバコをくわえている。あまりの事にギクリとして声も出なかった。叩き落してあげようかと思ったら「俺一本吸えないんだよ」と消した。『止めなさいよ』と言いたかったが年上だし「私、タバコの煙大嫌い」とだけ言った。まだ明けて20歳(当時数え年だからお正月に年をとる。その年の誕生日までは満なら18歳)今からタバコなどと言う魔物に取り憑かれてしまったらどうだろう。せっかく血色の良い肌もやがては艶の無いきめの粗い肌になってしまうのではないかと気がもめる。6番線の下で荷物を受け取ろうとすると、「上まで持ってってあげるよ。ただし“ロング”とかなんとかってんじゃないんだよ。K子さんだとすぐ『ロングねー』って言うから嫌だ」と言う。「日本人は男女が居るとみんなじろじろ見るから嫌だな」とも言う。私も同感。(ロングは当時の流行り言葉で、鼻の下が長いという意味)電車が遅れるとスピーカーが言った。「一人じゃつまらないだろ、電車来るまで一緒に居てあげるよ。俺たちは二人だもの」と荷物を持っていてくれた。そこで彼の知り合いで共済連盟の新宿支部に行っている学生に会って、紹介してもらった。こんどはその人が荷物を渋谷まで持ってくれた。私たちの連盟の事を訊かれ、中身16枚のノートの原価が7円だと言うと、そんな高いのは、何処の学生連盟にも無いという。「良かったら共済連盟にいらっしゃい。6円で卸してますよ」と言ってくれた。渋谷で別れて東横線の切符売り場の長い列に並ぶ。リュックの鏡がずしりと重く感じられた。さっきY君がくれた5円で切符を買う。夜なのに東横線は満員で、鏡が壊れないかと荷物を守るのに必死だった。どうやら掻き分けて降りられたが、重くて困った。9時帰宅。

12月29日(水) 朝の8時に床屋に行って待ち、10時までかかって顔を剃ってもらう。(当時なんで女性が皆床屋で顔そりをしたのか不思議)大急ぎで自由が丘へ。I君先に来ていた。台が無いから勇気を出して果物屋さんに「りんご箱を貸してください」と頼む。二つではどうにも足りないから、I君が他の店で一つ借り、私がガードの方まで行ってもう一つ借りた。模造紙の看板を下げ、紙の上に鏡を飾る。メガホンの大声で叫んで売る。I君は売り手としてあまり感じよくない。「これから一人で売る度胸をつけたいから、暫く遊んできて」と体よく一人になって色々な事を叫んで売る。交代で休憩して最後に又一緒に売る。どんどん売れるので面白くてしょうがない。街灯が無いので暗くなり四時半ごろ片付けにかかる。種類が多いから間違わないようにノートに記入するのが大変。箱を返しに歩き、原価をI君に預けて儲けを分け合う。電車に乗ってから「タバコってそんなに止められないものなの?」と訊いてみた。「駄目ですねー」と言う。「Y君は本当にタバコ吸うの?」と訊いてみたら、吸えもしないのに親にナイショで吸っているのだそうだ。少しでも大人に見せたいのだろうとのこと。馬鹿な話。「止められなくなる前に止めておかないと後悔するわね」と言ったら,I君「僕が後悔しているんだから止めろと言うのに耳を貸さないんですからね」と言う。祐天寺で別れた。荷物と清算はI君にお願いしたので、立川まで行く電車賃も助かった。

12月31日 朝、ニシさん(美容院)へ行く。19番目の札を貰って午後二時に行く事になる。Y君たちが来る日の為にみかんを買っていたら、同級生に会った。Mさん、まだ産まれないそうだ。(同級生が17歳で出産?記憶にありません)お昼食べる間も惜しく障子貼りをする。1時ニシさんに行き都合よく縦ロールにしてもらえた。障子貼りを終えたが、便所の壁紙までは貼れず、夜は疲れて除夜の鐘を聴くどころではなく寝てしまった。
大変だった昭和23年は終わった。(ここで3冊目は終わっています・・・続く)


敗戦から3年半、まだ世の中は落ち着いていませんでした。上の兄は三人の幼い子を抱え、苦労しながら母に支援していました。下の兄は駆けずり回って将来を模索しながら母にも支援していました。母は62歳になっており、外で働いた経験も無いので、1枚何銭の紙を貼る内職ぐらいしか出来なかったけれど、お嬢様育ちの呑気さで、いつも「何とかなる」と思ってくよくよしない人でした。
兄嫁とはもめるので一つ屋根の下で世帯は別でした。家が小さいので母と私は六畳一間の暮らしが長く続くことになるのでした。

父が亡くなったとき家屋敷を売って、小さい家を上の兄が買って、残りを母の郵便年金に払い込んでおきました。戦後のインフレさえなければ、母と私は毎月の生活費が郵便局から下りたはずです。でもその一か月分で、パンが一個か2個しか買えない状況になって、その年金は消滅したのです。国債も総て紙切れとなりました。
そんな中で、自立したい私のあがきはバスガールになるまで5年間続きました。



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昨日は又花を求めて、4時間も散歩しました。
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by hisako-baaba | 2007-04-08 08:36 | 我が家の歴史 | Comments(8)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No7
(アルバイト日記・・・No,3 表紙は『地理』と書いてあります。女学校でノートは用意したものの授業は無くて、工場の焼け跡整理にかり出された時の残りです。戦時中からこんなにも酷い紙を使っていたのでした)
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昭和23年12月20日(月) 今日は午後Y君I君たち、祐天寺駅前に売りに来ると言っていた。お正月も近いので午前中パーマをかける。
生まれて初めてのパーマネント。器具が非常に重い。薬で濡らした髪を巻いたカーラーに一つずつ小さい電熱器を被せてゆく。(電髪という初期のパーマ)長い縦ロールにして貰うつもりだったが、かけたてで縦ロールにすると,細くなって地味すぎると言われ、内巻きで我慢する。(ドライヤーが無い時代。濡れたままセットする)内巻きは気に食わないと思ったが案外似合う。
駅に行ってみたが、Y君たち居ない。待ってみたがとうとう来なかった。

12月21日(火)雨 赤ん坊のよっちゃん(一番下の甥)中耳炎の手術。姉さんはそのあと歯医者。一年生のM君の文化祭に行ってくれと頼まれる。S子(5歳)を連れて小学校に行く。会場の空気が悪すぎて頭が痛くなる。1年生の出し物は早く終わった。外に出たら雨は止んでいた、仕事に行けばよかったと思っていたら夜又雨。

12月22日 (水)今日こそ売らなければと意気込んでゆく。Y君に「なんで一昨日来なかったの」といったら「ああ、あの日はやめたあ」と平気な顔、I君の後を追って急いで出て行ってしまった。私はK子さんとノートと飴を持って船橋に行こうと新小岩まで出たら、預かり所に台が無い。みんながノートと飴に台を二つずつ持っていったからだ。電話して自転車で予備の台を届けてもらう。一つしかない。船橋で一つの台にノートと飴を載せて売ったので、ろくに売れなかった。新小岩についたとき、これから連盟に帰ったらバスがなくなる時間だった。台が四つ戻っていたから、Y君たち戻ったのかと電話してみる。他の人が戻ったのだった.K子さんがうっかり電話を切ってしまったので,H君に自転車で清算しに来て欲しいというのを忘れ、どうしても帰らなければならなくなってしまう。(公衆電話は長い行列だから、すぐ掛け直すわけにもいかなかった)
7時過ぎ帰りの終バスは行ってしまった。(当時は終バスが早かった)Y君たちから電話が入れば,H君が新小岩に清算に行くから、自転車に乗せていってくれると言う。K子さんが頼んでくれたのだが、お断りしてK子さんE君と三人で小松川橋を渡る。(K子さんには迷惑だったかも?)渋谷から(下の)兄と一緒になり、10時半帰宅。兄は明日朝早いという。寝不足になると困る。

12月23日(木)兄から「フーセンガムも売ってみたら」と何処かから預かってきたのを渡された。連盟に電話したら誰も居ないので、仕方なく小麦粉の配給をとりに行ったあと、12時半近くなってから出かけた。(配給品は指定の場所に指定の時間に行って買うことが多かった)さらし飴とガムを持って船橋へ。又籤売り農大生の隣に並ぶ。飴3本10円は高いと思う。10円売って2円の儲け。わりに早く電車賃が出てほっとしたら、4時から6時の間に千円売れた。又遅くなったのでHさんに来てもらおうと電話したが居ない。預かり所に台が二つ増えていた。バスの行列まで走っていくと、やはりY君たちだったので一緒に戻る。Y君の知り合いの貿易商が、輸出出来ない傷物の鏡を売らないかという話が有って、品物を見せてくれた。鏡の面に少し黒い傷があるがとても安い。是非紹介して欲しいと頼む。
連盟でお手洗い(トイレ)に行って戻ったら事務所の雰囲気がヘンだ。Y氏が突っ立っていて,Y君たちは下を向いている。何かあったなと帰り支度をしながら聞き耳を立てる。Y氏はみんなに「毎日来い」だとか、「熱意が足りない」だとか、ガミガミ言っている。何ぼか自分が学生達の為を思って、何十万の資本を掛けたかというようなことを恩に着せている。ノート一本でやるべきで、今売れないのは年末のセイだ、4月になれば又売れるという、当たり前だ。では売れない期間どうしろと言うのか。飴のお蔭で一息ついたのに、飴はY氏の儲けが少ないのだろうか?Y君が「でも今売れないものは売れないのですからね」と発言。Y氏の小言は彼に集中した。「君達が映画や飲食にお金を使っていることはちゃんと耳に入っている。みんなは苦学するのでなく、享楽の為に働いているようだ」と極め付けた。Y君が「しかし僕達にとって、映画は享楽じゃあありませんからね」と反論すると「いつ、わしが映画は享楽だと言った?」と怒鳴りだす。「言った」「言わない」の押し問答になった。I君がY君を突っついたので彼も他の人に遠慮して黙った。私は何とか気分を変えようと、笑いながら「遅くなるわー」というとY氏「帰りますか」と声の調子が変わった。「一人で小松川橋渡るの嫌ですよー」と笑顔で言うとI君が、「少し待っててください、すぐ終わりますから」というので、清算を手伝う。Y氏、私のパーマに気付いて「久子ちゃん、アイロン掛けたの?」私はぺろりと舌を出した。軽蔑したのだが、はにかんで舌を出したと受け取られたようだ。・・・当時髪にパーマでなくアイロン(髪をカールする電気コテ)を掛けてもカールが作れた。・・・Y君ぐずぐずして立とうとしない。帰りがけに又,Y氏が「毎日来い」とか「大勢来るようにしろ」だのくどくど言っていた。でも大学へは何時行けば良いのか???学生を呼び捨てにしたり“お前”呼ばわりしたり,Y氏にはいつも腹が立つ。
連盟に行くのが嫌になり、Y君に鏡を卸して頂けるよう紹介を頼んだ。立川で進駐軍相手に商売している会社だとのこと。明日朝彼は立川に行くそうだ。

12月24日(金)雨になりそうだったが、お金が欲しいから出かけた。K子さんを外に呼んで、夕べのY氏の話をしたら彼女もカンカンに怒った。事務所ではY氏が新発売の電気洗濯機がどうのとみんなにまくし立てていた。(初期の洗濯機で、脱水は出来ず、ローラーの絞り機がついているものだったと思う)土砂降りになってみんな諦めて帰る。K子さんはE君S君と秋葉原で降りていった。又ダンスホールかもしれない。東横に寄って福引を引いたけれど、マッチ一個だった。百匁15円のみかん200匁(約700グラム?)買ってから、2階で鏡の値段を調べた。Y君に見せてもらった40円卸し、60円売りのと同じ大きさの青くて凸凹で質の悪い鏡が130円で、やや質のよいのが160円もする。携帯ケース入りは35円と55円.Y君のほうは卸20円で25円売りだ。是非やらせてもらわなければならない。

12月25日(土) クリスマスは私には関係ないと朝は思った。腹痛で休む。明日Y君と鏡の相談が出来るかどうか、そのことばかり心配していた。夕方郵便局にアメリカの叔母さんから小包が届いたと連絡があって、居合わせた兄が自転車でとりに行ってくれた。急いで開ける。叔母さんは私のものばかり入れてくれる。レインコートが真っ先に出てきた。少し色褪せてはいるが水色のセーターはお正月に着られる。夏物衣類も色々入っていた。キャンデーがコーヒーの缶に一杯。毛のついた靴が出てきたので足を入れたら丁度良い。中は黒のハイヒールで、外はオーバーシューズだった。今日は素晴らしいクリスマスになった。中でも一番嬉しかったのが、ベージュのレインコート。Y君とおなじ色だからかなと・・・自分の気持ちがわからなくなった。(続く)


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昨日の写真の続きです。志木駅前に、小さな小さなお馬さんが2頭居ました。
セラピー犬は聞いたことがあるけど、セラピー馬は初めて見ました。育成のための募金箱に少し入れて、写真を撮らせていただきました。こちらは男の子。
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こちらは女の子。
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小さいでしょう。これでもオトナですって。世界最小の種類で、オーストラリア産だそうです。
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ちいちゃいけど、タテガミは立派です。
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優しい目をして、実におとなしくて穏やかなミニチュアホースさんでした。
病気の子供たちやお年寄りに元気を与えるお仕事、がんばってくださいね、お馬ちゃん。
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by hisako-baaba | 2007-04-07 09:57 | 我が家の歴史 | Comments(8)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・・No6
12月13日(月) Y君に会いたくて本部に行ったら昨日来られたと言う。私も昨日来れば良かったと残念でならない。今日も来られるそうだがなかなかみえない。
K子さんが「この前のこと,貴女の言った様にするわ」と言う、なんか話が妙だ。S君の傍で平気な顔をしている。S君「滝」と言う字を裏返しに書いて「ウラミの滝」などとK子さんを気味悪がらせていた。
K子さんはなんと今日Y君と出る約束なのだそうだ。私は声がかれて一人では出られないと言うと「M君かI君でも良いじゃない」という。二人とも嫌なので気のない返事をしたら、「じゃあY君と出れば」と冷やかしながら言ってくれた。思わず嬉しい顔になる。K子さんは問題のE君と出かけて行った。しかしY君どころか誰ひとり来ない。4時まで待って諦めて帰る。声が嗄れて(毎日大声を張り上げすぎたから)気分は最悪。(あとで思えば、私はこの日、K子さんに上手くおちょくられ騙されたようだ)

12月14日(火) 天気が良いので、風邪をおして出ようと思ったが母に叱られ諦めた。そのうち雨になった。姉(上の兄の嫁)が歯医者に行く。頼まれた赤ちゃんは泣いてばかりで、お昼ご飯も落ち着いて食べられない。家にいるのはこりごり。

12月16日(木) まだ体調悪く休む。又姉さんに子供3人預けられて困る。赤ちゃんをおぶってS子を連れて氷屋(駄菓子屋を兼ねている)に行く。折り紙を買って輪つなぎなど作ってやる。絵を描いてみてもうまく描けず、絵よりも児童心理を勉強して、良い母親になったほうが良いかも知れない。学校に行かれないのが何より困る。宝くじでも当たれば・・・買わないから当たらないし買うお金も無い。やはり欲しいのはお金。しかし年の暮れにノートが売れるはずも無い。連盟がもう少し積極的に他の商品を仕入れてくれれば有り難いのに。

12月17日(金) 今日やっと連盟に行ったが、会いたい人たちはたった今出てしまい夕方は戻らないと言う。仕方なく京成船橋に一人で出たが売れない。籤売りの農大生さんとおしゃべりしながら、6時までがんばったが、終バスに遅れると困るので、売り上げ450円で諦めた。収入120円。足代90円。40円使ったので結局10円赤字。バスで帰って9時少し前家に着いた。

12月18日(土)早く行ったのに連盟に誰も居ない。Y君たちは直接出て、帰りは寄るかどうか分からないと言う。声がまだ出ないので、一緒に行ってくれる人を待つ。連盟でも、ノートの他に飴を売る事になった。Nさんという人が横浜の桜木町から初めて来た。連れて出てくれといわれたが、声が出ないから無理。K子さんが来てNさんを連れて出た。私の分までノートを持たせたので私は出られなくなってしまった。せっかく来たのだから夕方Y君が戻るなら会いたいし、見たい映画が来ているから、時間つぶして待つことにする。新小岩に出て映画館に行ったら停電だという。闇市をぶらついて、大豆20円のを2合買う。帰りの電車賃と、映画の30円しか残らなかった。また映画館に行って見たら、もうすぐ始まると言う。中に入って木の長い椅子(背もたれも無くて、縁台のような粗末な椅子)に腰掛けて待つ。見たかった映画『蜂の巣の子供たち』とってもいい映画だった。(戦災孤児たちが集まって生き抜くお話)途中で度々フィルムが切れて気をもんだが、それでも良かった。(切れるたびにフィルムを繋ぐ間、電気の節約の為か両側のドアが開かれる。そこは廊下ではなく外なのだ。バラックみたいな映画館だった)ニュースの途中で又停電になる。いつ電気が来るかわからないから出てしまう。(当時停電はしょっちゅう起きた)劇映画が終わっていて良かった。町じゅうが停電で真っ暗。時間の潰しようが無いから、恥ずかしいが本部に戻る。トランプ占いをしてY君を待った。じきにY君のレインコートが入ってきたので『待っていたのよー』と言ったらI君だった。Y君はI君のジャンバーを着て入ってくるなり「本持って来てないぜ」という。本なんかどうでも良い。「事務の人に置手紙するから何か紙をくれ」と私に言う。手提げの中の紙を探すのに、浅田飴(水飴状の喉の薬)を出したら、「あ、これくれ。美味いんだ」と取って「でも棒が無くちゃ食えないな」と返してよこす。お正月の相談をしてI君やK子さんと3日午後家に来る事に決まった。お小遣いは無くなったが、映画も見られたし・・・今日は良い日だった。

ここまでで2冊目は終わっています。当時学生が駅前で売っていたのは、茶色っぽいざら紙で表紙もすぐぼろぼろになる灰色の再生紙の薄いノートでした。10円売りのが普通32ページ。インクはにじむしペン先が引っかかる。当時のペンはいちいちペン先を差し替えるものや、ガラスペン。このガラスペンは優れもので、今も有るらしいです。インク壷に入れると、ガラスの表面にある細い溝に毛細管現象でインクが上がって、金属のペン先よりも長く書けました。当時の万年筆にはカートリッジなんて無いから、いちいちインクビンに突っ込んで吸い上げるものでした。父の遺品の万年筆はすでにインクを吸い込む機能が壊れていたから、インクをつけながら書きました。ボールペンなど全く知らなかった時代の話です。(続く)



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桜は待ってくれないので、風邪が治りきっていないのに一人で散歩に行きました。
志木から歩いて宝幢寺へ。10日ほど遅かったでしょうか、枝垂れ桜は散り終えていました。
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一本だけ遅咲きが咲いていて、八重桜はまだまだ固い蕾でした。
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東京では六地蔵様に屋根は有りませんでしたが、埼玉では屋根に守られておいでなのでした。
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一級河川同士の、新河岸川と柳瀬川が合流するところにも行ってみました。
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合流点の三角地帯は公園になっていて、明治10年に建てられた薬屋が移築されていました。
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ボランティアの老紳士が説明してくださいました。志木は新河岸川水運の中継地で、商家も多かったようです。ついでに近隣の町の見どころも色々教えていただきました。

もう一度脚を鍛えて、一時間半ぐらいかけて家から歩いて行きたいと思っています。
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by hisako-baaba | 2007-04-06 16:16 | 我が家の歴史 | Comments(6)

戦争は終わったけれど・・・十代の私・・No5

12月5日(日)休み。今日は良い天気だが、疲れているので日本橋に行くのは止めた。朝から連盟の事ばかり頭に浮かぶ。休むと寂しい。どんなにみんな憂鬱な顔をしていても、大勢で居る方が楽しいものだ。私は何と言う寂しがりやだろうか。小さいときから家庭が寂しいので、大勢集まって面白く遊びたいといつも思っている。Y氏に言いたいことがあるから、もう一度会食会が有れば良いのに。私は学生の集まりにお酒を出すことを絶対反対する。

12月6日(月) 今日は骨折り損のくたびれもうけだった。先に出た人たちが千葉と舟橋に行ってしまった。Y子さんが来るまで事務所の留守番を頼まれてしまう。K子さんが来て昨夜の話しを聞かせてくれた。Y氏がぐでんぐでんに酔っ払って吉田首相の所から帰ってきて、又酒を持って来いと自宅まで取りにやったそうだ。一級酒をコップに4杯も飲んでその上M君,I君にまで飲ませ,I君は酔って手こずらせたそうだ。未成年者に飲ませるなんて仕様の無い酒飲み親父だ。「Y子は俺の愛人だ」などとK子さんやY子さんを困らせたらしい。私が居たらY氏をひっぱたいて帰ったかも知れない。昨日の話を聞いて私が軽蔑して「ふん」と言ったら,Y君が苦笑していた。
Y氏は昼ごろやっと出てきた。兄が譲った自転車の代金を早く欲しいと言っていたと催促したが、「もう少し待ってください。今年中には払いますから」と呑気なことを言っていて、払いそうに無い。「本部の仕事一切学生に任せてみませんか」と意見してやろうと思ったら、Eさんが来てしまったのでやめた。遅くにY子さんが来ると,Y氏はノートの工場に行ってしまい,Y君たちの味方をする機会は逃げてしまった。結局がっかりしただけで、ろくなことが無いまま5時ころ帰宅。またまた電車賃損した。

12月7日(火) からりと晴れたのに、風が強すぎてノート売りは諦めた。お小遣い数えたら1106円。なんとなく憂鬱でならない。お正月にK子さんやM君を呼んで面白く遊べたら良いなあと思う。

12月9日(木) ノートの質が悪すぎて売る気がしない。(茶色っぽいザラ紙で、ペン先がひっかかる)それでもM君に会いたくなって、本部へ行った。来ない.K子さんは来たが、「出るの嫌になったから帰る」という。私は仕方なく一人で船橋へ出る。昼間は売れなかったが、夜になって売れ出した。収入280円。電車賃90円差し引いて、190円。がっかり。今日はM君と二人しか出なかったそうだ。一緒に帰って面白い人はいないから、さっさとバスで帰る。帰宅は9時。

12月10日(金) 今日はY君を当てにして本部に行った。バスが来るたびに出てみたが来ない。K子さんとトランプ占いに熱中する。2時まで待って来ないので、K子さんはS君に、私はY君に置手紙をして、久々に二人で元八幡へ、感じ悪いので京成船橋に移る。宝くじ売りの隣に出す。くじ売りの農大の学生さん、初めてだが毎日ここに出るそうだ。留守番頼めて便利になった。でも全く売れない。お腹がすいて我慢できなかったので、赤字覚悟でパンを買う。
K子さんは朝からしきりに「S君に悪い」「S君に悪い」と考え込んでいる。訊いてみたら打ち明けてくれた。K子さんが日大のS君に6分,Eくんに4分の好意を持っていた頃、S君に告白され、軽はづみに承諾してしまったが、その後二人に五分五分の好意を抱くようになり,E君とも踊りに行ったりしたのを見つかってしまった。昨日又S君に文句を言われたので、はっきり「別れましょう」と言ってしまったのだそうだ。(又軽はずみだったと思う)それで「悪い」「悪い」と自分ばかり責めている。私はそうは思わない。K子さんの気持ちが変わったのならK子さんの自由だと思う。「一体あなたは二人のどちらをより好きなの」と訊くと、解らないと言う。二人を別々にすると物足らないのだそうだ。それなら二人ともに遠ざかったら良いでしょうというと、それは寂しくてできないと言う。それならどちらを好きなのか、自分の心を試すため、休んで二人の顔を見ないようにしたら良いでしょうと言うと、そうして見る気になったらしい。私には経験が無いから、漠然としか解らない。
後からE君M君が京成船橋に来て、何処から持ってきたのかバターを売り始めた。K子さんとE君平気な顔。心の中少しも解らない。バター一つしか売れず、みんなして諦めて帰る。どうせ赤字。80円ずつにしかならなかった。足代90円、パン代15円。赤字赤字。終バスにやっと間に合い帰る。代々木までM君I君と一緒。M君ヘンな本ばかり持っている。Y君が居たら良いのにと思う。
K子さんの話を聞いているうちに、自分はY君をお友達としてなら大好きなのだと自覚した。お正月には是非彼らを招きたいと思う。まだまだK子さんにしても私にしてもお友達以上の気持ちを抱くのは早いような気がする。 (続く)



****************************************
今朝は久々の快晴です。でもまだ酷く寒い。
昨日までの数日は、風やら雨やら、霙まで降って、満開の桜を見ることも出来ませんでした。今朝も霜が降りたようです。
完全に風邪を引いてしまいました。でも桜を見に行きたい・・・今しかないのですもの。
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雨の中でもピンクの花はやさしく咲いていました。
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by hisako-baaba | 2007-04-05 09:07 | 我が家の歴史 | Comments(6)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
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