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少年兵兄弟の無念(14)   猪熊得郎

【政府・関東軍の動向】
トルーマン、チャーチル、スターリンの米英ソ三国首脳は、7月17日からベルリン郊外のポツダムで会談をひらき、7月26
日に米英中三国の名でポツダム宣言を発表し、日本に即時無条件降伏するよう要求しました。連合国が日本にもとめた降伏条件
は、軍国主義の除去、領土の制限、軍隊の武装解除、戦争犯罪人の処罰、民主主義復活強化、経済の非軍事、および以上の目的
が達成されるまでの占領などでした。7月28日、軍部の圧力におされた鈴木貫太郎首相は、ポツダム宣言を「黙殺」し、戦争
を継続するとの談話を発表しました。8月6日、アメリカは鈴木声明などを口実に広島へ原爆を投下し、ついで9日には長崎へ
も原爆を投下しました。8月8日、ソ連は日本に宣戦を布告し、翌9日からソ連軍は、南樺太・満州・朝鮮へ進撃したのでした。
この事態に、「国体護持」を唯一絶対の旗印とする日本政府は、天皇の国法上の地位を変更しないこととしてポツダム宣言受諾の通告を10日朝行っていました。一方大本営は、「国体護持」のため「対ソ全面作戦」を発動し「朝鮮保衛」が関東軍の主任務とされる命令を、関東軍総司令部に下達しました。
1.大本営の企図は対米主作戦の完遂を期すると共にソ連邦の非望破壊の為新たに全面的作戦を開始してソ軍を撃破し以て国体を護持し皇土を保衛するに在り
2. 関東軍総司令官は主作戦を対ソ作戦に指向し来攻する敵を随所に撃破して朝鮮を保衛すべし……
こうして「満州国の放棄」、「皇土朝鮮防衛」の戦略のもと、11日には「総司令部通化に移転する。各部隊はそれぞれの戦闘を継続し、最善を尽くすべし」の命令を発し、関東軍総司令部の新京離脱、通化への移転が行われました。移転と云うより各部隊は戦闘せよ、総司令部は退却すると云うことでしょう。総司令部は新京を捨てて小型飛行機で通化へ飛んでいったのでした。
居留民の放棄
また同じ11日に、関東軍総司令部は満州国政府を通して「政府および一般人の新京よりの離脱を許さず。ただし応召留守家族のみは避難を予想し家庭において待機すべし」の命令を発しつつ軍部とその家族、満鉄社員とその家族優先の南下輸送を始めました。
第一列車が新京を出発したのは11日1時40分で、正午までに18本の列車が運行され、当時、新京に残留していた居留民14万人のうち3万8千人が新京を脱出しました。
3万8千人の内訳です。
軍人関係家族  2万0310人
大使館関係家族    750人
満鉄関係家族  1万6700人
民間人家族      240人
このとき、列車での軍人家族脱出組の指揮をとったのは関東軍総参謀長秦彦三郎夫人であり、また、この一行の中にいた関東軍総司令官山田乙三夫人と従者たち一行は、さらに朝鮮の平壌から飛行機を使い8月18日には無事東京に帰り着いています。また、牡丹江に居留していた なかにし礼氏は、避難しようとする民間人が駅に殺到する中、軍人とその家族は、民間人の裏をかいて駅から数キロ離れた地点から特別列車を編成して脱出したと証言しています。これより先、満州北部を放棄し、南部に後退する関東軍の作戦が決定され、開戦の危機が高まった時、関東軍では開拓団など居留民の措置を検討しました。しかし、居留民を内地へ移動させるには、輸送のための船舶を用意することは事実上不可能であり、朝鮮半島に移動するにしても、結局米ソ両軍の上陸によって戦場となる、輸送に必要な食料もめどが立たない、実行不可能の結論になりました。それでも老若婦女子や開拓団を国境沿いの放棄地区から抵抗地区後方に引き上げさせることが提議されましたが、総司令部第一課(作戦)は、居留民の引き上げにより関
東軍の後退戦術がソ連側に暴露される可能性があり、ひいてはソ連侵攻の誘い水になる恐れがあるとした、「対ソ静謐保持」を理由にこの提議は却下されています。
開戦するや、急激なソ連軍の侵攻に、国境周辺の居留民の殆どは、逃げるいとまもなく、第一線部隊とともに最期を遂げる事態が続出しました。また、「根こそぎ動員」によって戦闘力を失っていた、家族、村落、地域では、ソ連軍兵士による暴行・略奪・虐殺が相次ぎ集団自決の悲惨な事例も各地で繰り広げられました。また、辛うじて第一戦から逃れることができた居留民も、飢餓、疫病、疲労で多くの人々が途上で生き別れ、脱落することになり、多くの子どもたちが死亡し、また、残留孤児となり、置き去りにされ、残留婦人となった人もいたのです。こうして、開拓団約27万人の三人に一人強、7万8千5百人が死んだのでした。
しかも日本政府と大本営はポツダム宣言の受諾、「国体護持」の条件の明確化などの対応に紛れて、無条件降伏に伴う関東軍の収束、在満居留民の保護などの対策は放置し、まさに「棄兵・棄民」の事態が進んでいたのです。日本の軍隊は国体護持軍であり、まさに天皇の軍隊にほかならず、国民のための軍隊ではないことを如実に示していたのです。
停戦など 命令を受けていない・・・こうした事態の進行など露知らず、「関東軍は最後の一兵まで戦う」と「水杯」を酌み交わした第2航空軍第22対空無線隊第2分隊の私たちは、新京駅で貨物列車の出発を待っていたのでした。14日深夜、本隊から伝令が来ました。「第2分隊の梅花口配備は中止変更、公主嶺飛行場の第13錬成飛行隊と協力せよ。」ということでした。貨物列車は出発し、15日昼過ぎ、公主嶺駅に着きました。無線機材とトラックを卸しましたがどうも様子が変なのです。軍人の家族を乗せた列車が停まっています。ホームに降りた人たちが何か囁きあっています。悄然とした様子です。涙を流している人もいます。尋ねてみました。天皇のラジオ放送があったとのこと。戦争が終わったというのです。私たちはホームで車座になり相談をしました。「戦争、終わったって」、「負けたんだって、本当か」、「俺たちどうなるのだ」、「どうする」、「白頭山に行くのか」、「どうやって行く、ここは満州平野の真只中だぞ」、「白頭山まで400キロだ」、目が血走り真っ赤になって興奮する者、不安に駆られ青白く震え声で話す者、しばらく議論は沸騰しましたが、分隊長の軍曹が結論を下しました。「我々はまだ何も聞いていない。命令も受けていない。とにかく飛行場に行こう。戦隊長の話を聞こう。いいか、生きるも死ぬも、みんな、一緒だぞ、俺に着いてくるか」………。しばらくの沈黙の後、飛行場に行くことになりました。第13錬成飛行隊長は「命令など何もない。我が第13錬成飛行隊は、最後の一兵まで戦う、ソ連戦車隊への攻撃を続行する」とのことです。私たちは生きた心地を取り戻しました。早速ピスト(戦闘指揮所)に入り、送受信所を開設し、戦闘飛行戦隊との協力に入りました。大公安嶺山脈を突破し侵攻するソ連機甲師団の戦車群への攻撃に、4式戦と1式戦の戦闘機は次々に飛び立ってゆきました。私たちは、戦闘機との無線電話の応答とともに、関東軍および第2航空軍、そして中隊本部からの無線連絡に細心の注意で受信機にとりつきました。「敗けたとはどういうことなのだろう」と言う想いもよぎりますが、敗けたらどういうことが起こるかなど、経験のないことですし、なにもわかりません。「皇軍は不敗」だという「信念」だけ、叩き込まれていたのです。作戦行動に参加していると云うこと、その任務を立派に果たさなければと、一日を夢中で過ごしました。
停戦・・・16日、ソ連戦車群攻撃の作戦行動が続いていました。夕刻、関東軍から新たな電報が入りました。「兵員名簿」、「兵器台帳」、「食料帳簿」を揃え他の書類はすべて焼却せよという電報です。それも乱数表を使う暗号電報ではなく、ナマ電報です。兵員がどれだけいて、武器がどれだけあって、食料がどれだけ残っているか、それだけ分かればよいと言うのです。暗号書を焼きながら、おかしいぞ、もしかすると、やっぱり敗戦かもしれない、という疑念がわいてきました。
17日、関東軍の「停戦命令」を傍受しました。高級将校がピストにやってきました。飛行服を着ているので、階級は分かりません。軍刀は立派な軍刀です。「停戦命令とは何だ。ザバイカル方面のソ連戦車を攻撃する」というのです。沈みきった兵隊たちは喜びました。みんな飛行場に集まり、飛び立つ戦闘機に手を振って見送りました。戦闘機は上空を旋回すると、やがて、東南の方に機首を向け、日本に向かって飛び去りました。「日本は負けたんだ」、「こんちくしょう」、口惜し涙があふれてきました。8月15日から2日遅れの敗戦です。
by hisako-baaba | 2008-08-15 07:32 | 少年兵兄弟の無念 猪熊得郎 | Comments(0)

少年兵兄弟の無念(15) 猪熊得郎

 【撃ち合い・殺人・脱走】
 ソ連軍が入る前に混乱が始まりました。八路軍(中国共産党軍)のゲリラが決起し、満州国軍(日本の傀儡軍)が反乱を起こしました。八路軍は華中で転戦した新四軍とともに、現在の中国人民解放軍の前身です。日中全面戦争が発展する中で、蒋介石国民党政府と中国共産党との抗日統一戦線が組まれ1937年8月、八路軍、新四軍は、それぞれ中国国民革命軍第八路軍、および中国革命軍新編第四軍と改組されました。八路軍は延安を根拠地とし、中国民衆に根ざし、華北一帯での遊撃戦で日本軍を悩ませていました。中国東北部旧「満州国」でも、日本の官憲による苛烈な追求にもかかわらず、粘り強く活動を続けていたのでした。満州国軍は、形式上満州国皇帝溥儀の直接支配下にありましたが、実質関東軍の支配下にある傀儡軍で、移動・演習の実施・装備の変更・昇格人事等関東軍司令部の批准が必要でした。
1938年に満州国の国防法が制定され、一般的に云う「徴兵制」が施行されました。国内の20歳から23歳の男子を3年間軍務に尽かせました。毎年春に20万人を招集し、軍務不適応と見なされたものは土木工事などに3年間の勤労奉仕をさせました。もともと傀儡国家の軍隊なのですから、関東軍の横暴な支配に不満を募らせていました。多くの満州国軍が、ソ連軍の侵攻とともに、日本人の将校、下士官を放逐し、反乱を起こしたのでした。日本の植民地的支配で苦しめられていた中国人が日本人を襲撃するようになりました。襲撃、略奪、暴行、撃ち合い、殺人で街中に死体が転がっていました。日本軍の兵舎の中ももう全く無秩序です。街に食糧や衣糧を略奪に出かけるもの。「あの野郎ひどい目にあわせやがって」と古兵や上官を追いかけ鉄砲を乱射するもの。撃ち合い。古参下士官の中には飛行場で自決するものも出て、遺体にガソリンをかけ燃やす炎が燃えさかっていました。まともな兵隊たちも、どうしても食糧を確保しなければなりません。食糧や衣料は街の外の貨物廠に集積してあります。中国人も竹槍や青竜刀などの刀を持って群がっています。冷たく鋭い目で睨みつけてきます。憎悪の目というのでしょうか。恐ろしいです。
こちらも集団で武装して、銃剣に弾丸を込め、何時でも撃ち合い、突き合いに備え、構えながら横歩きで、じわりじわり倉庫に近ずきます。にらみ合いで一触即発です。一歩間違えば殺し合いです。はぐれれば引き込まれなぶり殺しです。無事兵舎に帰ると、その場にへたり込み、しばらくぼんやりしています。脱走が始まりました。何もかも統制がとれなくなっていました。敗戦で指揮命令系統もなくなっていました。私たち十五人の分隊でも今後どうするかという議論になりました。このまま部隊について行くか。それとも自分たちだけで単独行動をとるのか。意見は二つに分かれました。多数は、大きな部隊についていった方が生きて帰れる可能性がある、それこそが天皇のためだという意見でした。私は迷ったあげく、大きな部隊と一緒の側に付きました。分隊長軍曹、古参兵長、少年飛行兵兵長、特幹(加古川)兵長、特幹(水戸)兵長、一等兵2名(2年兵)、2等兵3名(初年兵)、10名です。 
残り5人は「それは捕虜になることだ。生きて虜囚の辱めを受けず。歩いてでも日本に帰り祖国再建に尽くすのだ」と反論しました。特幹兵長(水戸)、3年兵の上等兵2名、1等兵2名です。 1941年(昭和16年)1月に東条英機陸軍大臣が軍の規律を引き締め戦意を高揚させるために「戦陣訓」を示しました。(軍紀)  「命令一下毅然として死地に投ぜよ」(生死感) 「生死を超越し……従容として悠久の大義に生きることを悦びとすべし」(名を惜しむ)「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」 満州事変前には20万の常備軍を持つのみであった日本陸軍は、1941年末には一挙に250万の大軍に拡大されていました。軍隊の急速動員と、戦争の長期化に伴い軍紀の退廃は急速に進行してゆきます。
「軍人勅諭」と「私的制裁」で服従を強制し軍紀を確立しようとしても、そしてまた、どんな大義名分をたてようとも、それが他国を侵略し、他民族を抑圧するものであれば、軍隊の戦闘力を高める上で兵士の自発的愛国心を期待することは
出来なくなります。 そこで、「悠久の大義」という美名をかざし、天皇のために死ぬことを強制する精神的な支柱として、「戦陣訓」がつくられ押しつけられたのでした。
 議論は平行線のままで結論が出ません。どっちも根拠がないわけです。大きい部隊について行けばどうして帰れる確率が高いのか。関東軍が帰すのか。ソ連軍の捕虜になってから帰れるのか。捕虜の処遇は。殺されないか。どうやって歩いてゆくのか。食料は。途中の安全は。歩いてでも帰るという一団の中心は水戸から一緒の特幹同期生の戦友で17歳でした。三日間の激論で結論が出ない状況に 業を煮やし、彼らは、夜中、武器や食糧を持って兵舎を出て行きました。ごそごそと身支度するのを私たちは感じ取りました。しかし、止めることは出来ません。どちらが生きて帰れるかは誰にもわかりません。声をかけ引き止めるわけにはいきません。残るもの誰もが気がつかないふりをしていました。外に出ると彼らは、振り向いて敬礼をしました、私たちが気がついていることも知らず別れの挨拶をして行きました。彼らの後ろ姿をピスト(戦闘指揮所)の二階の窓から見送りました。彼らが無事、日本に帰れることを祈りました。銃を担ぎ、食糧を入れた背嚢を背負い、とぼとぼと飛行場のはずれまで小さくなる影を、じっと無言で見つめていました。見送る誰の目にも涙が光っていました。それが彼らとの最後の別れでした。彼らはまだ日本に還っていません。ソ連兵に殺されたのか。中国人に殺されたのか。それとものたれ死に、飢え死にか。彼らの最後を誰も見ていません。遺族はどんなに思っているのでしょうか。これを何死というのでしょうか。靖国神社に祀られているのでしょうか。
「生きて虜囚の辱めを受けず」、この言葉の強制で、どれほど多くの兵士が、無意味な死を選ばされたことでしょうか。どれほどの「玉砕」が、どれほどの「餓死」が、どれほどの「名誉の戦死」が作り出されたのでしょうか。そのうち収拾のつかなくなった部隊長が「自分の身は自分で処せ」なんて言う通達を出しました。無責任な話です。半分近くが脱走しました。その時脱走した連中は機関車の運転手にピストルを突きつけ、貨物列車を走らせたのですが、ソ連の飛行機から機銃掃射を受け停車させられ、そしてまた、武装した中国人に襲撃され、命からがら、大部分が部隊に戻ってきました。部隊長はまた、慌てて、「一丸となって帰り、天皇の御為、祖国再建に尽くす」と命令を出しました。関東軍に「在留邦人」を守ろうなどという使命感などひとかけらもありませんでした。脱走で「員数」が足りなくて、一緒に行けば早く帰れるぞと、軍籍にないものどころか、女の人たちを丸坊主にし、軍服を着せて部隊に組み込み、シベリアにまで連れて行ったという例さえあります。 日本の軍隊は国民の軍隊でなく天皇の軍隊であり、まさに。国体護持軍でした。大本営も、関東軍総司令部も、各級指揮官も、下級兵士の生命や、非戦闘員居留
民の保護安全など夢にも考えていませんでした。国民を見放すことなど当然のことなのでした。昭和天皇と大本営は、国体護持、自分たちの安全のための、松代大本営の地下工事を進めていました。皇太子、現在の天皇は、奥日光湯本の湯の湖畔の宿で、空
襲も、空腹も知ることなく、1500人の兵士に守られての日々を過ごしていました。
by hisako-baaba | 2008-08-15 07:21 | 少年兵兄弟の無念 猪熊得郎 | Comments(0)

コワイ気がしました

お医者さんがいっせいにお盆休みに入ったとたん、私の喉は痛み出しました。だから今日はぶらぶら。静かにしていたのでだいぶ治ってきました。

オリンピックにはさほど熱中できない私。ただ開会式は大好きなのだけど、今回は、孫がスペインに帰っちゃった日の夜だったから、ロクに見ないうちに眠り込んで、聖火台にどうやって点火したか、いまだに知らない有様。そこだけは見たいのですが・・・
今夜も、卓球で激しく競り合っているのを、はらはらして見ていられず、部屋を出た間に勝っていました。

昼間、ラジオをなんとなく聴いていたら、開会式の花火の一部がCG画像だった事と、子供の歌が、替え玉の口パクだったことを「許せるか?」と意見を募っていました。7割の人が「まあ、良いんじゃない・・・」と答えていました。コメンテーターが「口パクはかまわないが、CGは良くない」と言ったので・・・???逆じゃない?と私は一言言いたくなりました。

CGはどう見てもCGだったから、どうでも良いけど・・・幼い女の子に「あんたは綺麗で可愛いが歌が下手だから、口パクをやりなさい」「あんたは歌が上手だけど可愛くないから顔は出しません」と言い聞かせたのでしょ。子供心にどう感じたかしら?傷つくじゃないの!
それを又「私の声が開会式に流れただけで、満足です」と言わせてしまう体制はコワイ。
そう思いませんか???
by hisako-baaba | 2008-08-14 22:18 | 終のすみか 暮らしの周辺 | Comments(4)

takeshiの優雅な暮らし

孫たちが帰ってしまって、5日が過ぎました。急に又少なくなったベランダの洗濯物が寂しいです。
彼らは週末に帰宅して、田舎のお家でゆっくり出来たでしょう。
ここでは、お別れ前日のtakeshiを載せましょう。
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それから、田舎のお家で遊ぶtakeshiも。
「マイカーだよ」
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「自転車もあるよ」
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「三輪車も持ってるよ」
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お庭で安全に遊べるtakeshiは幸せです。

広い国土に、人間が少ないから、地面が非常に安い。(今、値上がりしていても) 羨ましい限りです。
首都の家から車でたったの20分で、もう田舎なんですから驚きです。

失業人口は多くて、失業中の家族を抱える家は苦しい。
一方、安定した仕事に就いてさえ居れば、日本よりはるかに給料は安くても、何倍も豊かに暮らしていられる。
障害者や、老人の福祉は、結構充実していて、医者代もかからないとなれば、貯蓄するより、今日を楽しむことを考えて当然ですね。

GDPなどでは計りきれない、豊かさを感じます。
年金で暮らせて、家族に失業者が居なければ、老人は楽しく生活できるようです。

あちらのおばあちゃんは、週末を田舎の家で、takeshiと大いに楽しんでおられます。
やっぱり羨ましいですね。
by hisako-baaba | 2008-08-13 18:19 | 終のすみか 暮らしの周辺 | Comments(14)

お友達が本を出しました

ハムスターパゾちゃんをご存知のみなさーん。彼女がやりましたよー。

半年以上、ブログほったらかして、帰国してもだれにも会う暇なくて・・・何 やらかすかと期待していたら、こんな本を先月出版しました。河合妙子という素敵な本名で。
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「パリのおさんぽ パリの小道めぐり」 すぐ買いに行ったのですが、孫マゴ騒ぎで読めなかったので、今日ご紹介します。

かつて住んだパリの街を、表通りより、小道を歩いて、素敵な写真と文章で、紹介しています。

pasoちゃんを、御存知の方なら、彼女の写真のキレの良さはお解かりでしょう。5ヶ国語を駆使して取材できるし、文才も十分。きっと何かやらかす人と思って居ました。

卒業旅行や、熟年旅行で、パリを目指す人には必見の本ですし、私のように、行かれない人には、地図と照らし合わせて、イメージ旅行が出来る素敵な本です。

そうして彼女は、目下、次に出す「ロンドンの小道めぐり」を、取材中。今後又、行方不明になるかも・・・いいえ、時々は、ブログも書いて欲しいです。

河合 妙子さん!出版おめでとう!!
次の本も待っていますよ。
by hisako-baaba | 2008-08-13 06:24 | お友達 | Comments(2)

スペインの庶民生活
10年くらい前まで、スペインではピソ(分譲マンション)がとても安くて、家賃は比較的高かったようです。
だから二十代の独身男女は、定職につくとすぐ、家を買いました。築100年の家だって、綺麗にして売られている、地震を知らない国ですから、若者でも手軽に買える家があったのです。
実家が近所にあっても、さっさと家を買って、自立する娘さんは沢山居ました。
今では、移民が増えたり色々で、家の値段が急騰し、そう簡単に買えなくなったそうです。

私たちが2000年にスペインに行ったとき、娘は築40年とは見えない綺麗な2LDKに住んでいました。南向きの明るい家でした。(定職があれば、外国人でもすぐローンが組めるのです)

婿さんの方も、20代で広いピソを買っていました。そこで世帯を持ったとき、要らなくなった娘の家を売りに出しました。一番に見に来た二十代の娘さんが「こんなお家が欲しかったのよー」と即決で買いました。洋服を買うくらい簡単な決め方でした。

スペイン人は貯金をしません。家を売ったお金は、何かを買ってしまわなければいけないのです。
そこで田舎の家を探したら、首都の家から車でたった20分のこんな田舎を見つけました。
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だれも使わなくなって、荒れ果てた果樹園とプールのついた、築20年の小さい家が、日本の十分の一以下の値段で手に入ったのです。ラッキーでした。
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大きな犬ですが、スパニッシュマスチフの優しい女の子です。
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もう一頭も大きいです。アーモンドの花が咲き実がなります。
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takeshiのパパが自分で建てた小屋、大理石のかけらを貰ってきて壁に貼りました。
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3年前、近所の人たちと、裏の畑を買い足しました。家を建ててはいけない畑地だから安いのです。
パパはクボタのトラクターを買って、週末農業を楽しんでいます。
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この田舎の家にはしばしば、パパの親兄弟が集合します。
月曜から金曜まで、それぞれ仕事に精を出して、週末は好きなことをして過ごします。休日出勤なんて有りませんから。
貯金はなくても楽しそうです。
by hisako-baaba | 2008-08-12 11:54 | Comments(12)

日本軍の捕虜の始末は・・・

今年も8月9日に、神直子さんたち若い方々が「8月くらい戦争カタレ場」の会合を開いてくれました。

8月3日に米寿を迎えた兄と、7日に喜寿を迎えた私が、今年も戦争体験を語らせて頂きました。
私は勝手なお願いをして、終わりに現在の活動を、聞いて頂きました。
つまり昔話「法印様と狐」を語らせていただいたのです。

戦争話の中で、兄は、「日中戦争のときの日本軍には捕虜収容所が無く、捕虜は銃剣で突き刺す訓練の的にされたりした」と語りましたが、日刊ベリタにもそれを書いています。今回もタイプ ミスの目立つ文章ですが、お読みいただければ嬉しいです。


娘一家は一昼夜をかけて、順調に帰宅しました。
婿殿が、スペインでの写真をどっさりパソコンに入れて行ってくれましたので、おいおい向こうの暮らしをご紹介します、少しお待ちください。
by hisako-baaba | 2008-08-10 22:26 | 愚かな戦争 | Comments(4)

あと たった一日

明日の朝早く、Takesiたちは帰ってしまいます。今日一日は濃厚にしたいです。

昨夜は、お別れ食事会をしました。
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このマンションの一階に、ゲストルームが有って、本当に良かったです。
8階の我が家で、6歳、4歳、3歳がはしゃぎまわったら大騒音になりますが、ここは大丈夫。思いっきり遊ばせることが出来ました。
詳しくは落ち着いてからアップします。

明日送り出したら、明後日は、「8月くらい戦争をカタレ場」の催しで、広尾に行きます。
日曜日も外出の用事があります。そのあとで、ゆっくりブログを書くでしょう。

今日は私の誕生日です。77年前の今日、午後1時8分に生まれました。
by hisako-baaba | 2008-08-07 06:07 | Comments(11)

今日はゆっくりお休みしてます

今日は娘一家と息子一家が、子供プールに行っていて、夕食も済ませてきます。
だからじじばばは、一休み。あまりの暑さに28度の冷房の中から出られません。
4時半を過ぎたら、買い物に行きましょう。
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夫が、婿殿に「日本で暮らす気はないか?」と聞いたら「日本にはいっぱい良いことがあるけれど、日本のサラリーマンの働き方には我慢がならない」と言いました。
彼が仕事を請けている日本の大企業に、研修で来日した事があるのですが、そのとき見たサラリーマンは「5時になっても課長が帰らないので、平社員は帰れないで、7時間でやれる仕事を9時間かけてだらだらやって、残業に付き合っている。5時になったらさっさと帰れば良いのに。あんな働き方は真っ平」
「働くのは個人の幸せのため。人間は好きなように生きるべき」といったところでしょうか。週末は農作業を楽しんでいます。器用だから部屋の増築も一人でやってのけました。
娘も、日本の大企業のOL暮らしに愛想をつかして飛び出したので、日本で働くのは真っ平なのです。向こうでならOLも勤まって、キャリアを積んできています。会社勤めのありようが全く違うのです。
彼らには日本の水は合いません。考え方がヨーロッパ的ですから。

目下、あちらの社会保障について、色々質問しているところです。彼らには、後期高齢者を差別するような、日本の現状は信じがたいようです。

公立病院は無料。(薬代の負担あり)公立学校は大学まで無料。(教科書代は負担)
消費税・・・水は4% 食料品は7% その他は16% だけど総て内税で、その商品に幾ら税金がかかっているか一目でわからないから、気にならない。
健康保険料は、収入の4% 年金暮らしの人は払っていないと思う。年金から引かれるなんてことはありえ無い。

これからもっと詳しく訊いて見ます。田舎の方まで医療や福祉がうまく機能しているのかとか・・・フランコ独裁時代と、どんな風に違っているかとか・・・訊きたいです。
by hisako-baaba | 2008-08-03 16:23 | 終のすみか 暮らしの周辺 | Comments(12)

日刊ベリタに兄の記事が載っています
兄、中谷孝の寄稿が、日刊ベリタに掲載されております。
(ちょっと誤植の目立つ原稿ですが)
よろしかったら、他にもいくつかの記事が有りますので読んでみてください。
by hisako-baaba | 2008-08-02 16:11 | 少年兵兄弟の無念 猪熊得郎 | Comments(0)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
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