年末ともなると、私のようなダメ主婦でも、なかなかパソコンに向かう暇がありません。
その上、昨夜はなぜかインターネットに繋がらず、ブログもメールもダメでした。
今日は買い物から帰って、お昼にうどんを食べたら、急に激しい吐き気に襲われたので・・・もうけろっとしてはいますが、家事をサボってブログを書きます。もう吐き気はありません。
TBSテレビの「あの戦争はなんだったのか」について・・・東條とは似ても似つかないと思っていたビ-トたけしが、ドラマの中ではまさに東條に見えたこと・・・すごいと思いました。
それはともかく、支那事変から、太平洋戦争へ、何故戦争を拡大してしまったのか、昭和16年の御前会議やその周辺に焦点を当てたドラマでした。
天皇は戦争を避けたくて、『東條なら陸軍の暴走を止められるのではないか』と期待して・・・近衛が投げ出した首相の座を与えたこと、東條は天皇の意思に忠実であろうと努力した事を、意図的に強調しているような感じがありました。
話の運びを、開戦の詔勅を添削したと言う徳富蘇峰(西田敏行)が勤めていました。
経済封鎖で日本を追い込んだアメリカは、中国大陸からの全面即時撤退を要求しており、日本陸軍は、日清日露から始まって、満州事変以後はすでに十年もの間、侵攻し続けてきた中国やベトナムからの撤退などありえないと強硬で「25年後の撤兵なら良い」などという始末に、平和交渉のやりようがない外相は辞任を覚悟する。そのとき陸軍軍務局の石井秋穂(阿部寛・・・準主役)が東條に「ここで内閣総辞職をすれば、すぐには開戦を決定できなくなる。12月初旬を逃せば、気象条件から開戦は難しくなる」と言う意味の進言をしていました。
【1991年8月15日に放送された『御前会議 太平洋戦争開戦はこうして決められた』と言う放送の時、石井秋穂氏は健在で、色々証言して最後に
「・・・それを正直に申せばね・・・・・侵略思想があったんですね。ええ。
それで、限りなくね、あっちこっち、これが済んだら今度はこれというふうに、侵略思想があったんですよね、もとは・・・そういうことになりましょうね・・・。」と結んでいると、ある方の記述で読みました。】
海軍大将山本五十六(市川団十郎)は、日米開戦に反対だった、「半年や一年なら大暴れもしてみせようが、2年3年となれば、全く確信はもてない」と言っていた。
真珠湾奇襲を敢行したのは緒戦にしか勝機は無いと知っていたからだが、彼の思惑に反し、アメリカ国民はパールハーバーの屈辱によって一致団結し、兵器の生産に邁進した。物量においても日本に勝ち目は無かった。パールハーバーを攻めた山本五十六は暗号解読で動きを知られ撃墜された。
日本の暗号電報を総て解読していたと言うアメリカが、何故パールハーバーを見殺しにしたか?とにかく日本に先に手を出させないと、国内の厭戦気分を払拭できないから・・・と言う事情があって、日本をおびき出したのだと右翼は言うけれど、そんな単純のものだけではないでしょう。
ドラマが始まる前の、ドキュメンタリーの中で、近衛文隆氏(文麿の長男・シベリア抑留中謎の死を遂げた)の未亡人正子さんが、「軍隊は商売ですから・・・軍人は戦争をしたがるのですよ」とおっしゃっていました。悲劇の未亡人の重い言葉でした。
北里大学名誉教授 塩谷信幸氏はブログhttp://shioya-antiaging.exblog.jp/ の中で次のように述べておられます「ただ、あの戦争の愚かさと悲惨さは、経験したものでなければ分からないだろう。
北鮮やかつてのイラク、つまり全体主義国家の恐怖である、それも世界規模で。
日本中が神がかって、オーム真理教になったと思えばよい。
しかもその最高責任者は国民に一言の謝罪もしなかった。
国民もその決着をつけるのをためらった。
その無責任体制が、今の霞が関に連綿と引き継がれている。
最後に一つだけ言いたい。
言論の自由だけでなく、思考の自由も奪われるということがどんなに悲惨であるかということを」
確かに当時は「一億一心」のスローガンの元,思考の自由は有りませんでしたから、国中がオウム真理教になっていたようなものでした。
ドラマでは開戦に至った事情だけ長々と語られて、戦争の悲惨さは飛ばしたまま、いきなり東京裁判で、東條に死刑判決が言い渡される場面で終わりました。
世界を知ろうとせず、勝てる見込みのない戦争に国民を巻き込んで行った、軍人達の見識の無さ。結果昭和の14年戦争は、庶民の家庭を破壊しまくり、悲惨な敗戦をもたらしたのでした。
今、妙な右翼が台頭して、なにやら不穏な空気がありますが、過去の戦争の実態を、きちんと学べば、戦争好きにはならないでしょうに・・・
戦争は痛いし、苦しいし、ひもじくてたまらないものなのよ・・・