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今週はなぜか手に負えません___28度でなぜ冷えた?
この頃のうちの爺様おかしいです。どこでヘソを曲げたか、理不尽な文句をつけてやたら怒ってる。対応が難しすぎます。

私に世話を焼かせながら「お前の世話にはならない」食事作るのはのは当たり前の女の仕事、別に世話をかけてるわけじゃない。

認知症相手に腹を立ててはいけないけれど腹たちますよね。痛い足腰引きずってやっと料理してるのに。

ご機嫌取りができなくてくたびれています。
来月5日にタケシたちがくれば機嫌は良くなるでしょうが、そうなると、デイを休みがちになるかも。当面はデイサービスには行ってもらうことにしておいて、孫たちと遊べる日は前日に連絡して休ませましょう。でも子供らが集まるのは大抵夕方以後だからデイサービスにはなるべく行って欲しいです。

今日夫の留守に、朝9時半ゴミ出ししてから、一番近い店で必要に迫られたものだけ買い物。もうジリジリ日差しがきつかったです。あとはお風呂に入って寝ちゃいましょう。今日は怒鳴られたって働かないぞ。今は私の体が大事です。

でも、ネットスーパーの夕食は、金曜日までカタログを見ても気にいるものが一つもなくて、今週は夕方近所で買い物して作るか、冷凍物を温めるかにします。
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4時に夫は穏やかに帰ってきました。今日はお風呂を拒否しなかったそうです。ほっ!
みつ豆に缶ミカンをのせてふたりでおやつ。


私は28度の部屋でゴロゴロしていただけでひどく冷えてしまいました。ヒートテックのズボン下まで履いているのに。膝が痛くてしばらく立てず、歩き出してやっと痛みは弱まりましたが、晩のおかずが有りません冷凍庫には素材ばかりで、出来合いの唐揚げも少ししかない。牛丼も一つしかなかった。
仕方なく手羽元を煮ようと思ったら、電気圧力鍋のレシピ本が,かけて置いたところにない。まだポトフのレシピしか頭に入っていないので、ややっこしい鍋は使えません。
ネットのレシピがあったので手羽元と卵を普通に煮る事にしました。椅子に腰掛けていられる料理です。他にはしめ鯖と、生野菜。痛い足にはしんどい仕事。

昼前ゆっくりお風呂に入って、足腰だけ厚着していました。
お昼はシャウエッセンを茹でて(夫はシャウエッセンの皮を嫌うので自分だけ、たまの贅沢)野菜も添えてきちんと食べた後、ゴロゴロしてうとうとしたら冷え切ってしまった。冷房は28度なのに。ひどい痛みを起こしてしまった。だからエアコンは嫌い。
冷房のない部屋でホッとしていますが、これからキッチンに立たなくちゃ。まあキッチンの足元には冷房が入ってきませんが。

明日はネットスーパーのお寿司で我慢しようかな。

感謝されない炊事洗濯虚しいなあ。






by hisako-baaba | 2019-07-31 17:33 | Comments(4)

発するFMで「96歳の遺言戦争だけはやっちゃダメ」を朗読しました

今日は収録を午後にしてもらい、2時に家を出て、杖を忘れて戻ったら、夫が廊下に出ていました。
目の前のスタジオに行く私を確認しようと思ったのでしょうか?
暑いので、家に入ってもらいました。

発するFMで、96歳の遺言を15分ほど短くして読みましたが、まだ長すぎたかも。

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ラジオ版はこちら。

私の大事な孫や曽孫たちへ。

これはおばあちゃんの、「戦争だけは絶対やっちゃダメ」と言う遺言です。

たった一枚の赤紙(徴兵命令書)で人生を狂わされて、戦争が終わってから、もっと酷くなった生活との戦いを、一人で戦わされたおばあちゃんの、「戦争だけはやっちゃダメ」という、叫びです。


私は大正6317日生まれ、平成25年の今、満96歳になりました。

目は見えないし、耳もひどく遠いけど、アパートで一人暮らしをしています。

昼も夜も一人の時間が長いけど、最近自分で、死に支度を済ませたから、血圧も下がって元気が出た。


だけどね、昭和の戦争で、酷い目に遭った、あの辛い時代を、話せる相手が居なくなった。

友達はみんな死んじゃったもの。

あの時代をいま、話して置かないと、またバカな戦争を始めちゃいそうで恐ろしい。ひ孫やその子孫が、兵隊に取られたら大変だ。戦争だけは絶対やっちゃダメ!


目も耳も脚も不自由だが、口は達者だ。記憶が確かなうちに、書いて置いてもらいたかった。

たまたま病院で、82歳の中谷さんと友達になった。東京の人で、焼夷弾の火の雨を知っているから、話が通じるんで、私の思い出を書いといてもらうことにしたのよ。

では,おばあちゃんの一代記を読んで頂戴ね。




   96歳の遺言戦争だけはやっちゃダメ


生まれは浅草、観音様の後ろの方。浅草警察の近所。当時は「象潟」(きさがた)と言った。


母校は富士小学校、今もある。関東大震災で焼けた後に建てられた校舎は、鉄筋コンクリートの、洒落た洋風建築だった。


父親は、建築の方の鍛冶職の親方。鉄の柵とか門扉とか、上野動物園の檻などを作っていた。


私が6歳の大正12年91日、関東大震災で、浅草は火の海になった。

両親と、兄と、弟の、5人家族は、急いで観音様の境内に逃げた。観音様の本堂と、五重の塔は、近隣の住民たちが、大火災から守り抜いた。だから境内は避難民でごった返していたんだ。

そこへ花やしきのおじさんが一人で、足に鎖を付けた仔象を連れて逃げてきた。花屋敷には当時動物園が有って、他の猛獣も大きな象も見殺しにしたが、仔象だけは火の中から救い出したそうで、この仔象は五重の塔の傍に4~5日繋いであったと後で聞いた。

母親は「象がもし暴れたら大変だ」と、今度は上野の山に向かった。しかし、「焼け野原の東京にいてもどうしようも無いから、何処でもいい、田舎に逃げよう」母親の決断は早かった。夫婦とも江戸っ子で、田舎はないのに、父親を急き立てて一家5人で日暮里駅を目指した。上野駅は燃えてしまったので、列車は日暮里から出たんだ。

途中、不思議なくらい焼けていない街が有った。瓦は落ちても家は潰れていなかった。そんな街の人達が、ぞろぞろ逃げてくる避難民のために炊き出しをしてくれていた。あたし等家族も、真っ白い大きなおにぎりを、一人一個づつ頂いた。お昼ご飯を作っている最中に地震でひっくり返されたのだから、お腹はペコペコ。この塩むすびはたいへん美味しかった。

あたしらは逃げるのが早かったから日暮里駅に停まっていた列車に座ることが出来た。向かい合った4人掛けの席に親子5人で座っていたが、この時、ホーム側に席をとったことが、幸運を呼んだ。

列車はなかなか発車せず、人々の波が押し寄せ、もう乗り切れなくなっていた時、知り合いの人が窓を叩いた。「親方どこに行くの?」と聞かれて、父親が「田舎はねえから、何処か壊れてねえとこまで行こうと思って」とこたえると、「そんなら桐生に連れてくから、俺たち3人を窓から乗せてくれ」そこで窓からお婆ちゃんを引っ張り込んで、夫婦を入らせ4人の席に8人以上が重なり合って、桐生まで行った。その人の実家の離れの6畳にしばらく置いてもらい、父親は東京に往復して、家の焼け跡に小さなバラックを建ててみんなで戻った。

4年後ぐらいにやっと家を新築できたっけ。


関東大震災で焼けても、親たちがいたから、子供は苦労しなかった。

私は浅草高等家政女学校で、和裁を習い、どんな着物でも仕立てられるようになっていた。

本当は子供が好きだから幼稚園の先生になる学校に進学したかったんだ。それがダメなら、杉野ドレスメーカーって洋裁学校に行きたかった。

親にいうと「何でそんなに外で働きたがるんだ」と反対された。女は家庭にはいれば良いという時代だったんだよ。仕方なく諦めたが、和裁の腕だけでは、後年暮らしは立たなかったよ。


利口だった弟が、9歳で病気で死んでから、両親の運はだんだん悪くなって行った。

大正から昭和になって、世の中はひどく不景気になった。

私が14歳の昭和6年には満州事変が始まった。

始めちゃった戦争を、終わらせる知恵が日本にはなかったんだね。ボロボロになるまで、14年間も戦争ばっかりしてたんだから。

酷い目に遭ったのは兵隊さんだけじゃないよ。女子供や年寄りが、どんな辛い目に遭ったか、ちゃんと言っておかないと、またバカな戦争始めたら大変だ。あんたらが、兵隊に取られるようなことがあったら、自分も家族もそれこそ酷いことになるんだからね。


満州事変の頃、近所に可愛い坊やがいて、女学生の私がその子を可愛がっていた。その子の母親の弟で、春吉という人が、私を見染めて将来嫁にしたいとひそかに思っていたんだそうだ。

その時彼に最初の赤紙がきて、満州事変に出征して行った。


無事帰還した彼は、板橋に移転していた私の家を探し当てて、嫁に欲しいと言ってきた。

馬に乗って結婚の申し込みに来た彼を親も気に入って、20歳の時25歳の彼と結婚した。


以前から知っていたから、結婚してもにいさんと呼んでいた。子供が出来てからは、父さんと呼んだ。

夫は私を大切にして、自由にさせてくれた。自分が勤めに行っている間に、私が映画を見に行っても、文句は言わない優しい人だったよ。


夫は、天皇陛下が大好きで、皇宮警察の騎馬警官になりたくて、警視庁に入ったが、その試験に一度落ちて、錦町警察に勤めながら、次の試験を狙っていた。

板橋に住んでいたかったが、巡査は、勤務先の近くに住むことが義務付けられていたので、巣鴨の借家に引っ越した。

けどじきに支那事変が起きたんだ。

昭和115月に結婚して、127月支那事変が起きると同時に、夫に2度目の赤紙がきた。長男が生まれて半年。結婚生活12ヶ月で、夫を兵隊に取られちゃった。

当時は兵隊に行った人の給与が、留守家族には10円しか支給されなかった。とても暮らしが立つ金額ではなくて、実家を頼りながら苦労した。


中国の戦場で夫は、部隊を救う大手柄を立てたそうだが、酷いマラリアになって、3年ほどで帰還した。

昭和15429日、天長節の日に夫は金鵄勲章を貰った。東京では一人だけだったので新聞報道でも目立った。

16年夏の読売新聞に私ら一家の写真と記事が大きく載った。

騎兵だった夫が、馬上から日本刀(備前長船)を振るって、10人斬りの大奮闘で、部隊を救った手柄が書いて有り、家族の写真では、夫が日本刀を抜いて得意そうに見せている。

主婦の友の、昭和171月号の、総理大臣東条英機夫人を囲む妻たちの座談会に、私も出たんだよ。

その読売新聞も主婦の友もとってある。

金鵄勲章なんかもらったって、病気になって帰されたんじゃあどうしようも無いやね。

マラリアってひどいんだよ。夕方の決まった時間になると、高熱が出て、寒い寒いとガタガタ震えて、暴れ出す。布団かぶせて大の男が馬乗りになっても、振り落としてしまうほどなんだ。

帰ってはきても、マラリアで弱った身体に肺結核を発症、警察の仕事が務まらなくなって、退職しなけりゃならなかった。戦場で病気になって帰っても、何の保証もなかったんだよね。

工場に再就職はしたものの、昭和18519日に、32歳の若さで死んじゃった。可哀想だよ。子供らの可愛いさかりも見られないでさ。

夫の告別式は、実家の父親の百か日の法要の日と重なって忙しかった。逆でなかったのはせめてもの幸いだったけれど。

戦争で病気になったんだから戦病死と認められるはずで、九州の部隊に書類を出した。その部隊が沖縄で玉砕しちゃって、戦争が終わったら、提出した死亡診断書が見つからなくなっていた。それっきりうやむやにされて、結果戦病死とは認めてくれなかったよ。


長男が生まれて半年で、夫は戦争に行っちゃった。

次男が生まれて半年で、今度は帰れないあの世に行っちゃった。

結局私は、いつも誰も頼れないまま一人で頑張るしかなかったんだ。

実家の父親も戦争中六十代で死んじゃったしね、男を頼ることのできない運命なんだろうね。


父も夫も死んじゃって、母と子供2人と巣鴨の借家で暮らしていた。


やがて東京の空襲が激しくなり、310日だけじゃなく、毎晩毎晩空襲警報のサイレンで起こされた。上の子は1年生だったが、田舎がないので、集団疎開に出した。


そして、昭和20413日夜、豊島区の殆んどが火の海になったんだ。330機のB29が豊島区を中心に火の雨を降らせた。

焼夷弾ってやつは一個のさやの中に38発も入ってて、空の上で38倍にはじけ飛んで、燃えながら落ちてくるんだ。何万の火の玉が降ってくるんだから、下に居る者は生きた心地はしないよ。


巣鴨は周り中が火だったから、逃げ道がまるで見つからなかった。

2歳半の次男をおぶって、ねんねこ半纏を着て、掛け布団一枚被って、どっちに逃げればいいかわからない状態だった。隣組の組織なんてなんの役にも立ちゃあしなかったよ。


火の雨の中を逃げ惑って、水のある所へ行った。貯水槽の水を、バケツで何杯も何杯も掛けてもらって、布団をぐっしょり濡らして被って、火の中を逃げ回ったら、布団が乾いて燃え出した。それを捨てて、走ったら、誰かが「ねんねこ脱げ~っ」て叫んだ。背中が燃え出していたんだ。東西南北どっちを見ても、火が燃えてるんだからもう地獄だったね。燃えだしたねんねこは脱ぎ捨てたが、子供が着ていた綿入れの着物にも、火の粉が降りかかって、焼け焦げた穴がいくつもあいた。次男の背中には一生火傷の跡が残っていたよ。その時の子供の着物はまだとってある。綿入れの一つ身の産着の裾に、有り合わせの布を継ぎ足して綿を入れた仕立て直しの着物でね、焼け焦げた穴がいくつもあいているよ。


その後はどうなったかわかんない。焼夷弾の雨に当たらなかったのが不思議だった。そこら中の地面に筍のように突き刺さってるものを、なんですかって聞いたら、焼夷弾だって言われた。

爆弾も落ちて、吹っ飛ばされた。朝になって、爆弾の落ちた丸い穴の近くに居たら、「ここで死ななかったなんて、奇跡だ」と驚かれた。


幸いにも空襲の晩母親は、府中の叔父さんの家に泊まっていて助かった。私らも府中に行ったが、長く泊めて貰える状態ではなかった。叔父さんだけはとことん面倒見てくれようとしたんだが、他の家族の嫌がらせに耐えられず、当てもなく飛び出した。親戚にだって、無一文の焼け出されは、いい顔されるわけがないからね。みんな自分たちが食べるにも不自由してたんだから。


それからの、住まいの苦労はひどかったよ。落ち着く暇もなかった。立て続けに引っ越したこともある。

あの頃はね、家が広くたって、焼け出されの一文無しを泊めてやろうなんて家は一軒もなかったよ。みんな冷たかった。


終戦の前の日に、疎開しようと埼玉へ引っ越してしまった。その途端戦争が終わったので、引っ越し荷物を運んできた牛車に、そのまま東京へ戻ってもらった。無駄なことをしたわけだが、でも嬉しかった。日本が負けたんだが、もう焼夷弾に追っかけられないんだから、ただただほっとした。


それからも東京で焼け残った家を借りるのは大変だった。物価はどんどん上がったしね。

出征中の軍医さんが借りている家が、奥さんも疎開して空き家になっているから住んでいてよいと言われたが、空き家になってから、ガラス戸も障子も襖もみんな盗まれちゃっていて、雨戸しかない。開ければ寒風が吹き抜けるし、閉めれば真っ暗だ。屋根しかない家に家賃払って一冬住んだ。

そんな時、税金の通知が来たから、税務署に怒鳴り込んだ。偉い人を出してくれって言って「焼け出されになんで税金掛けるんだって聞いたら、いま年に一人4000円かかる。お宅は4人だから、16000円の収入が有ったとみなして、その税金だという。そんなお金が有ったらこんな苦労はしてないわよ。払わなかったらどうするんですか」って聞いたら「差し押さえだ」って。次の日、税務署から調べにきた人が、家ん中一目見て「奥さん、税金なんかほっときな。鍋釜布団も仏壇も差し押さえにはなんないから」と言って帰った。


家にも困ったが、配給はろくそっぽ無いし、闇で食料買うにも、買い出しにいくにもお金がいる。女所帯で子供抱えて、何をどれだけやって稼いだか、覚えきれないさ。


朝霞の畑に行って、人参を5貫匁(20キロ弱)400円で買って,電車乗り継いで船橋まで担いで行って、500円で売った。百円儲けても電車賃は高いし、乗り換え駅は、池袋も秋葉原も階段だらけだし、割りの合わない仕事だったよ。


死んだ父親が鍛冶屋の親方で、テキ屋の親分と知り合いだった。テキ屋から浅草においでと言われて、道端にゴザ敷いて、いろんなものを売ったよ。惨めでさ、涙が出た。そのうち、テキ屋の子分に結婚しようと言われ、親分にいうと「そいつはまずい、浅草にこねえ方が良いから」と、板橋のテキ屋の親分に紹介してくれた。

やれることは何でもしたよ。何しろ家族に頼れる男は居ないんだから。


だが、再婚なんて全く考えなかった。二十代で再婚したら、また子供が生まれるだろう。そのとき上の二人が切ない思いをする。子供たちを泣かせるようなことは絶対できないからね。女一人で頑張ることに決めていた。


住まいも転々としたが仕事も転々とした。女に勤め先なんてほとんど無い時代だっーた。


テキ屋のよしず張りの売り場が一つ空いていた時、常盤台の八百屋が、キュウリを売りなと、品物を回してくれた。毎日仕入れに行って、安く売ったら飛ぶように売れた。けどキュウリやナスが終わったら、冬野菜はうちに回してくれる余裕が無くなり、自分でほうれん草の産地まで毎日何度も買い出しに行ったよ。配給じゃあ足りないから、闇の食品はどんどん売れた。でも、運ぶ途中で警察に捕まれば、全部没収された。運び屋から没収した米や野菜は、一体誰の口に入ったんだろうね?


下駄を、栃木県まで買いに行って売ったこともある。当時は下駄履きの人が多かったから、売れたよ。鼻緒のすげ方も覚えた。(靴なんか高くて滅多に買えない時代だった)「東京で下駄の問屋になれ。そうすれば買出しに来なくても送ってやる」っていわれたけど、住む家さえ安定してないのに、問屋をやる力はなかった。

勤め口も有ったけどね、月給だと、給料もらう日までのお金がない。日銭が入らなきゃ、今日のご飯がないという状態だから、良い仕事があっても行かれなかった。食べるだけで精一杯の時代が長かったよ。


四畳半ひと間を4500円で借りていた頃、都営住宅に申し込んだが抽選に当たらなかった。都営の家賃は月1500円、ひどく困ってる者から入れてくれりゃ良いのに、議員や役所の者にコネのある、困ってもいないやつが入れるのだった。

公団住宅は、収入の少ないものは申し込むことさえできなかった。金のないものは安い家に入れて貰えない変な仕組みだったよ。

家賃が払えず二ヶ月溜めたら、いついっかまでに立ち退きますと、誓約書を取られた。それでも行き場がなかったら、大家が踏み込んで来て、縫っていた仕立物をほうりだされた。

いつもいつも住まいに困っていて、19年間で10回以上引っ越しを繰り返した。


貧乏人は蔑まれる。身内からさえ疎まれる。けど、あたしが怠けて貧乏になった訳じゃないよ。

国が起こした戦争で、夫も財産もすべて奪われたから、貧乏してるんじゃないか。空襲の焼け出されには、何の保障もしなかったんだよ。

貧乏は恥ではないが、切なかったさ。


家を借りるお金が無くて困っていた時、池袋の街を歩いていて、ハンコ屋の店先に親友を見つけた。浅草で育った幼馴染がハンコ屋の奥さんになっていた。はんこ屋の店に上がって、二人が家政女学校時代の丁寧な言葉づかいで深々とお辞儀をして挨拶しあっていたら、彼女のご主人が「あんたたちそんな丁寧語で挨拶するの」とびっくりされた。彼女のご主人は良い人でね、「お金貸すから家探しなさい」と言ってくれた。昭和39年のことだ。地獄で仏とはこのことだったね。

都内は高いので、埼玉の、鶴瀬の駅から歩いて30分、畑の中の貸家に入った。近所に風呂屋がない。自分で風呂桶を買うしかなくて、鶴瀬の燃料屋さんが、月賦ですぐに取付けてくれた時は恩に着たね。風呂はついたが、薪も、石炭も、薪を割る鉈も買わなくちゃならなくって、大変だった。

鶴瀬から池袋のハンコ屋に通勤して、給料では足りないから、夜なべで着物の仕立てをしていた。


そこに2年住んだところで、家主が住むからと追い出された。近くに家を見つけて移ったが、自分で買った2万円の風呂桶を、そのまま置いて出てしまった。勿体無かったよ。あれは買い取らせるべきだったと、後まで悔しい思いが残った。

今度の家には10年以上住んだが、やはり売るので出てくれと言われ、その後みずほ台に25年住み、今のアパートにきて10年になる。ここもどうなるか分からない古いアパートだ。

病院の付添婦を長年やった。完全看護じゃない時代、付添婦は病人の傍に泊まり込んで世話をしたんだ。


書道師範の資格をとって、子供達に書道と一緒にお行儀を教えていた楽しい時期もあった。子供たちがきちんと挨拶をするようになって、親たちが驚いていたものだ。


次男一家が近くにいて、心丈夫だったのに、私の77歳の誕生日に次男が突然死んだ。事故だった。あまりのことに、何も考えられなくなった。我が家の男はみんな運が弱いんだね。女ばかりしっかりしていてさ。


私は、派出婦などで無理を重ねたから糖尿病を悪化させて、心臓も悪くなり、近頃はほとんど目が見えない。耳も遠い。急に歩けなくなっちゃって、不自由だが、寝たきりでオムツばっかりになるのは真っ平だから、意地を張って起き上がる。


今が一番楽かもしれないね。

あたしは何も頼んでないのに、家族や、いろんな介護の人たちが、みんなで相談して良いようにしてくれる。ありがたいよ。

朝は一人でパンを食べるが、昼と夕方にヘルパーさんが来てご飯作ってくれる。座って自分で食べられる。手はしっかりしているから、箸も使える。これ以上世話をかけないよう頑張っているんだ。


寿命は解んない、死に支度は、できるとこまでやってある。あとはお任せ。

ただ、子孫の代に、また徴兵なんてことがないように、みんなで気をつけて欲しいもんだ。


あたしは目が見えないから、いつもラジオを聴いている。イヤホーンを一番大きい音にして、ニュースは必ず聞く。近頃いろんなことが心配になってきた。


かつて、あたし等は国に騙されたんだ。踊らされたんだ。昭和初期のように、右向け右、右へ倣えなんて踊らされていたら、またまた酷いことになるよ。歴史は繰り返しちゃあいけない。

原発だって同じだ。福島でどれ程の人が泣かされてるか、ちゃんと助けてもいないのに、再稼働したいとか、外国に売ろうだなんて、国は何考えてるんだ?信用しちゃダメだ。

戦争で酷い目に遭ったあたしは、国を信用しない癖がついている。そのぐらい目を凝らしていないと、危ない目に遭うよ。


とにかく戦争をする国にしちゃあダメなんだからね。

戦争だけはしちゃあならないんだよ。

戦争で良いことなんか何にもないんだからね。これがおばあちゃんの遺言です。 


20135   久米銈 (くめけい)聞き書き中谷久子




by hisako-baaba | 2019-07-30 16:14 | Comments(4)

昨夕からの腰痛の酷さ

暑い! 昨日は35度。多分今日も。

エアコンの効き目が弱ったのか? 去年は28度にして扇風機を併用すればひと夏過ごせたのに、今年は27度に設定しないと、冷房している気がしない。
いくらエアコンが嫌いでも、ほどほどに冷やさなければ熱中症になる。今年は27度に決まりそう。夜は28度で24時間つけっ放し。

夫はポットの氷水を飲み、私は常温の水道水を飲む。暖かい緑茶も度々飲むけれど、外出には保冷水筒に入れたスポーツドリンクを持ち歩く。
脱水になるはずはないのに、脚が攣る。

昨日昼間少しだけ働いたら、腰痛、膝痛が猛烈になった。今朝もかなり痛む。
働けなくなった。この散らかりどうしよう・・・

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もう隠居しないと身が持たないのだけど、未だに介護をしている。
老人ホームに落ち着いてくれるまでの辛抱だけど、今月の順番通知がどこからもまだ来ない。

一人暮らしなら息子の支援はほとんど必要なくなる。全然寂しがらないしね。
家の中を限定的に使って、コンパクトに暮らし、家事を楽にできる。
朝夕は自分だけが好きな料理を作り、ネットスーパーには頼らない。お茶漬けの昼食も自由だ。
そんな一人暮らしに憧れている。

老人ホームは近所だから、訪問も楽だし。
時間の余裕ができて、語りの準備も楽になる。
夫の入居はいつになるでしょう???待ち焦がれております。


[追記]
ここまで書いて朝食を作った。足腰痛いまま。
夫は早起きしていたので、お腹を空かせていると思って、焦って作ったら、夫は元の寝室でゴソゴソ始めちゃった。
『パン焼けますよ」と呼んだら、いきなり怒り出した。
「パンはトースターに入れれば焼ける。せっかく片付けようとしたのに呼ばれたらやる気がなくなる」口調がガミガミなのでびっくり!
急いで作って上げたんだから、冷めないうちに食べてもらわなきゃ困る。第一部屋の片付けは迷惑なだけ。やってもらいたくない、というのが私の本音。言わないけど。








by hisako-baaba | 2019-07-30 07:14 | Comments(6)

魔の月曜日

魔の月曜日夫は朝から荒れる。

昨夜の薬を飲み忘れて持っていたらしく、朝の薬をテーブルに出したら、同じものを二つ出したと文句を言って、夕食後の薬を飲もうとする。「パックは似ていても中身が違うから、夜の薬を朝飲んじゃダメなのよ」と強引に取り上げて捨てました。それから荒れ出して手に負えず、ヘルパーさんが来ていても、杖振り上げて私に怒ったり、出した服をぶん投げたり、小銭入れはどこ行ったとぐずぐず。
「お金は使うところがないですよ」と言われてもなかなか靴を履かない。
ヘルパーさんは次のお宅に行く時間が迫っているのに、お迎えの車も来ているのに、待たせてしまった。
それでも行ったからまあ良かった。

薬を間違えても放っておけば良かったのかな?

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志帆たちの小学生チームは河口湖で合宿ですって。


さて猛烈に暑い。エアコンのエコナビボタンをうっかり押したらしく、まともに風が来なくてまごつきました。風を強めて28度で我慢。扇風機と併用しています。

扇風機といえば、掃除のできないのが2台あって困っています。
小さい扇風機は分解ができないため羽を掃除できないのです。
トイレのも、キッチンのも汚れっぱなし。
買い替える時には羽を拭けるかどうか、確認しなくっちゃなりません。
小さい安物はネットで買ってはダメですね。


毎日ぐったりしていたので、今日こそは片付けをしないとどうにもならない。
お風呂は後回しで働かなくちゃならない日です。ふ〜

高齢の八百屋さんが夕方4時過ぎまで開けていてくれますように。夫が帰ってから買い物に出たいのです。この日差しでは昼間外に出られません。

[追記]
遠雷を聞きながら、夕方の買い物はできましたが、夫はデイサービスで、入浴を拒否したそう。金曜日から入れてないのに。汗まみれでしょうに困ったものです。

折りたたみバケツにお湯を汲んで、タオルを渡して勝手に身体を拭いてもらいましたが、バケツに足を入れたので潰れて、床はびしょびしょ。潰れるバケツだからと言ってるそばからやらかしてくれました。
体を拭くにしても、しっかりした足湯バケツを使わないとダメなのでした。
でもお湯を入れると重くて運べないのよね。










by hisako-baaba | 2019-07-29 09:50 | Comments(2)

20年若い気分の夫____洗濯機の排水口清掃できず

夫は起き抜けに、70歳頃に警備員をしていた練馬の中学校に電話しろと言い出しました。
「今日から勤めることになっていなかったか確認する」電話番号を知らないというと、「確かめに行く」どうやって?「勿論電車で、桜台」
20年前の健脚のつもりでいるのでした。
なだめて朝食が済んだら何も言わなくなりました。
埼玉に移住してもう13年経つのに。

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昼前突然排水管清掃にみえました。チラシを見落としたらしく、気にしていませんでした。
二人の青年がキビキビと高圧洗浄。キッチンも洗面所もお風呂も問題なしでした。ただしうちの洗濯機は動かせないので、清掃出来ないそうです。
もう13年も、洗濯機の排水管清掃をしていません。
大きい洗濯機に、パイプの棚を覆いかぶせているから移動させられないのです。
買い替えるまで待つしかない?13年経っていますがまだ無事。でも故障したらすぐ買い替えです。幅の狭い機種を探しておかなくちゃ。

冷蔵庫は買い替えを予想して2年前から機種選びしていて、大成功でした。
洗濯機も今から選んでおきたいです。
小型で良いでしょう。近所にコインランドリーが有るから。
幅の小さいもの、二槽式も懐かしいけど、幅があるかな。暇を見て探します。

冷蔵庫の時みたいに機種だけ決めておいて、電気屋さんに注文するのが良いでしょう。

[追記]
調べてびっくり、うちの洗濯機は日本製で一番幅が狭いものでした。51センチ。
それより幅が狭いのは中国のメーカーだけ。
世界中に進出しているハイアールは、うちの冷蔵庫アクアの会社。

アクア冷蔵庫がとても良いので、又これになっちゃうのかも。
国産が好きと言っていられなかった冷蔵庫。アクア以外にうちに合うのがなかった。
何で日本製には多様なニーズに応えるものがないのか不思議でなりません。

まだまだ機種探しは続けますが。何でマンションサイズ50センチ以下に作れないのでしょうね。単身者用も見てみましょう。

あれ!?単身者用もでかい!?








by hisako-baaba | 2019-07-28 13:47 | Comments(2)

素晴らしかったお話し会______必需品と そうではない?物

心配だった台風は何処にいるのでしょう?
ここは快晴。隅田川の花火も無事開催出来そうで、よかったですね。

1時に、コーヒー店に行きました。土曜日に変えても人は集まりませんでしたが、4人の聞き手に「生きていた茂兵衛さん」を語って福岡村と火工廠の実話を長々話し「山の背比べ」を語って、96歳の遺言の電子絵本と電子紙芝居があると紹介。
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畑をなさっている方から、お野菜をどっさりいただきました。トマトに茄子に、バジルにエゴマ。このエゴマは売っていませんから大助かり、もう一人の方と大喜びしたら次回も持ってきてくださるそうです。
帰ってすぐ、にんにく醤油に漬け込みました。

マスターからはボトルのお茶と水羊羹をいただきました。

初めて見えた方からは、面白い喫茶店の情報。月一回個人でささやかな子ども食堂をされているお店だそうです。お店と言っても普通の小さな平屋だそうです。行ってみたいです。

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ペットボトルはなるべく買わない。道端の自販機で買うことは絶対しません。
だからスポーツドリンクを持ち歩いています。
初めはペットボトルを使い回していました。でも不衛生だという。
リハトレで運動するために保冷水筒を使っていましたが、パッキンをなくしてダメになってしまった。それはワンタッチ水筒でした。熱いものは飲めません。もっと単純なのが良い。
数百円の超特価品を手に入れたのに、どこに置いてきたやらたちまち失くした。
ガス会社からもらった水筒はコップ一杯半しか入らない。

介護疲れが無くなったら、又リハトレに通います。どうせ必要になる水筒なら、今から持ち歩きたい。っで、安いのを見つけました。口は広いが、プラスチックがはまっていて、ステンレスに唇をつけないで飲めるんです。
夏の外出と、トレーニングにはこれ。冬は小さい方、必ず持ち歩いて脱水を避けましょう。


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自分へのささやかなご褒美もとどきました!
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ルーペ付きウオッチ。

sideさんのブログで拝見して、欲しくなりました。
ボストンテリア以外にも、芝犬や猫やフクロウのデザインも有るけれど、中の時計の文字盤は見辛い物ばかり。ボストン君の時計だけが断然見やすいのです。
ボストンテリヤは可愛いし。
それに、ルーペを持ち歩けるのが良いですね。商品の説明が読める。結構実用的かも。
ウエストバッグにつけます。
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楽しいルーペ&ウオッチです。

今日はスカイツリーもよく見えました。
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都庁もズームしたらこんなにはっきり。
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ベランダの前の工事現場は、建物がどこに建つのかはっきり分かるようになりました。
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バス通り側の一段高い地所は、駐車場かしら。














by hisako-baaba | 2019-07-27 16:41 | Comments(4)

今日は寝不足

寝不足の原因はエバーノートです。(ipadなのでワードは入れてないのです)
「無料で使える分がいっぱいになったので年間5千幾らか払いなさい。そうすればあんな事もこんなことも自由に出来ますよ」と画面いっぱいのお知らせ。
でも私は、あんなこともこんなこともやる暇はないから、今書いたものをいくつも消して、もうしばらく無料で使わして欲しいんです。削除したいのにページが出せない。
つけたり消したり繰り返したら一瞬でたので抑えて、要らないものをかたっぱしから消したら、お金払えと言われなくなりました。
そんなことやって寝そびれて3時間半しか寝てない上深い眠りはなかったようです。
朝起きたら全然歩けなくて、いよいよ足がダメになってきたかと思ったら、朝食作るうちに血の巡りが戻って、歩けています。
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夫はデイサービスに行ったし、今日は生協の配達が済めば、出かける用事もなかったはず。ネットスーパーは頼んでないけど、夕方遅くちょっと買い物すれば良い。
夫が帰るまで昼寝します。

Amazonは品物を見ると、欲しがってるなと分かっちゃって、繰り返しこれはどうですかこっちならどうですかと次々勧めてきますね。余計欲しくなるように。
で、根負けしたのと、14歳から88歳まで頑張ってきた私に、自分でご褒美上げちゃうことにしました。大層なものじゃなく2700円の出費。ちょっと楽しい!
このちょっと楽しいのが大事なんだな〜


[追記]
ゆっくり昼寝して、ウインナでビール飲んで、元気回復しました。
家は散らかったまんまですけどね。





by hisako-baaba | 2019-07-26 11:12 | Comments(10)

発するFMで戦争体験を語りました。

昨日は予報ほど暑くはなりませんでしたが、今朝から猛烈な暑さ。
さすがにエアコンを28度でつけています。朝から忙しく10時半になってしまってスタジオに行きました。
8月の放送には、戦争の話がしたくて自分の体験をかいつまんで語りました。

そのあと、本から「琴の稽古」を語りました。
農村部でも灯火管制と言って、家の明かりが漏れないように電灯の傘には黒い袋をかぶせて、真下しか明るくならないようにし、窓には黒いカーテンをかけて光を漏らさないよう強制されたのです。
アメリカの飛行機にはレーダーというものが付いているから、そんなことをしても意味がないとは、誰も知らない頃でした。

尺八の名手が琴の名手を嫁に迎え、毎晩合奏していたけれど、彼は戦争に行かされてしまう。妻は琴の稽古を続けていたが、音楽は軍歌以外禁止されてしまう。
ある晩川の上流から尺八が聞こえてきて、天の川という曲に妻が合わせて見事な合奏になった。誰も咎めないで村中が聴き惚れた。
間も無く敗戦。戦友が夫の遺骨を届けてくれた。
夫は、あの尺八が聞こえた夜、南の島で戦死していたのだった。

20代の今村さんに、「ピンとこないでしょう」と聞いて、つい明治からの戦争の話をしてしまいました。大勢の人に聞いて欲しい話ですが、一人にでも知って欲しくて、戦争がどんなものか、よその国から危険視されないことが大事なのに、戦後生まれの政治家たちは、軍備が必要だと思っている。日本の長い海岸線を、軍隊が守れるはずがない。日本を攻めるには核ミサイルは必要ない、普通のミサイルを若狭湾の原発銀座に打ち込んだだけで、日本は壊滅するのだから。
まず恐ろしいのはテロ。日本はイスラムの国々をまだ痛めつけたことがないから、ISにやられた事もないけれど、アメリカの尻尾について戦争すれば、自爆テロに見舞われる危険がある。
平和国家であり続けて、敵を作らない事以外にテロを防ぐ道はない。と力説しました。
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そのあと駅ビルのATMと、郵便局に行き、少しの買い物をして帰りました。息子が来ていて、お昼を作ってくれたので、私はコピーをとったり事務仕事を済ませ、ケアマネさんの所の事務員さんに書類を預けて役場に行っていただきました。自分でやったら厄介な申請ですが、全部やっていただけるので有難いです。
息子は水回りの掃除をして、「仕事しなきゃ」と帰りましたが、夫はもっと頻繁に来いと無理を言いました。

4時からは、訪問看護師さんが、バイタルチェックや、排泄の観察と体操をさせてくれました。私も一緒に体操。
夫は両膝上げなど非常に良くできます。歩くのがおぼつかないのはなぜでしょう。

さて今日も夕飯を作らなきゃ。
ネットスーパーには欲しいものが見当たらなくて、この頃注文していません。


[追記]
この頃非常に困る事。私は靴下が一人で履きにくくなった。
夫は片足上げてさっさと靴下を履く。私は足が上げられない。
低い椅子に座らないと、足先に手が届かない。普通の椅子だとお腹も胸も苦しくて、手が足まで届かない。体操の前屈は良く出来るのに、椅子に座ると前屈ができないのはなぜ?
柄物の安い靴下は裏に糸が出ていて指が引っかかって履きにくい。片方履くのに息を切らす有様。
そこで紺無地の足袋ソックスをまとめ買いした。でも冬物だった。冷え性だから靴下は冬物でも良いけれど。
これ以上介護が必要な人にはなりたくないのに。不自由さは増すばかり。悩ましい。

この頃薬の副作用による目のかぶれもひどくて、目やにが増えた。三輪車で走っていて困ることが多い。目の見え方が悪くなった。家計簿や、血圧手帳をつけにくい点が特にこまる。
眼科は2ヶ月経つので、近々受診してよく相談してこよう。88歳の誕生日が迫ってきたから、このぐらいは当たり前かな。うまく折り合いつけるようにしましょう。
靴下は絶対一人で履きたい。






by hisako-baaba | 2019-07-25 16:41 | Comments(4)

水曜日は機嫌よくデイサービスへ。
朝6時から起き出して、私の民話の本をいじくりながら
「これもらっていいか?」「まだ読んでないから、持ってってもいいけど返してよ」
こんな会話の後、自分のベッドを見て、
「あれここ俺の部屋じゃないか」「え?ここをどこだと思っていたの?」
「図書館」!??????

昨日午後と夜、散々「下の部屋に行く」「上の部屋は?」妄想を繰り返していました。
8階のこの部分だけが我が家で、上にも下にもほかに部屋はないと言っても、全然納得しないのです。

しかし早めに朝食を済ませ、薬も飲んで支度はすみ、ヘルパーさんをせかせて出かけて行きました。
行かないと駄々をこねるのは月曜日だけなんです。
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先日取材を受けた雑誌から、原稿が送られてきて、違うと思う点を訂正して今朝返送。

プロのライターさんは、2時間ものインタビューからうまく骨子を掴んで、短い文章に纏めるのだなあと感心、勉強させていただきました。
私もライターになりたかったのです。

写真部長さんに、たくさん写真を撮っていただいたけれど、使うのは1枚。もう一枚は私のカメラにあったもののようです。
プロに撮影して頂くチャンスなんてないから、お願いして、メールで送っていただけることになってます。
これで遺影の準備ができます。笑!




今日の留守番は早めにお風呂に入り、昼寝します。






by hisako-baaba | 2019-07-24 10:07 | Comments(7)

忙しすぎて

何か疲れが抜けなくて、寝坊してしまい、発するFMの収録を、明後日に変えていただきました。

ひどく散らかっているのに今日は訪問医療チームが先で、ヘルパーさんが後なので昼食後わーっと片付けました。

先日取材を受けた雑誌から、原稿が届き、明日一部修正して返します。

何やかんやざわざわと心忙しい日です。

なんだかへとへとで、お医者さんが見えても、私はぼんやり。ただ入眠剤が効かなくなっているので3週間後から徐々に量を増やすそうです。

ヘルパーさんにはやはり清拭させなかった。足湯だけやっと。体に触らせないなら、ヘルパーさん頼む必要ないのだけど。

5時半にヘルパーさんが帰られてから近所で買い物して帰ったら別々の古本屋さんから2冊が届いていました。
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「北欧の民話」53円送料込みで403円
「日本のむかしばなし」は、143円。送料込みで493円
古本は良いです。

今日は夕飯頼んでないので作らなきゃ。ふ〜









by hisako-baaba | 2019-07-23 18:53 | Comments(2)


1931年生れのhisakobaabaが七十代万歳と言って始めたブログが八十代に続いています
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